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村生ミオとは何者なのか その2

僕は80年代のラブコメブームはあだち充と村生ミオが牽引したと思っている。

あだちの場合、いわゆる正統派ラブコメは「みゆき」である。ただ好き嫌いの感情の揺れ動く様をストレートに描いた傑作であり、ハッピーエンディングも青春の苦味を適度に添えているところも素晴らしい。漫画史において最終回の名シーンは幾つもあるが、個人的にはベスト5に入る。フラれた2人が北海道のとある街の交差点で偶然出会うところも。ようやく結ばれた血のつながらない兄妹が最後のコマまで登場しないところも。

村生の「胸騒ぎの放課後」、「結婚ゲーム」両作品はどうだったか。「胸騒ぎ〜」は高校生編を経て大学生編に入り、あきらかに難しい展開に突入した。これが少年マガジンではなくヤングマガジンだったら何の問題もなかった。キス止まりの2人がそれ以上の関係に、となる時点で少年誌で連載することの矛盾が生じる。それでも村生は2人が結ばれるシーンに踏み込んだ。だがそれは少年誌でラブコメを連載し続ける限界でもあり、ほどなく「胸騒ぎ〜」は連載終了する。

「結婚ゲーム」の場合、教師と生徒が秘密裏に結婚という設定の妙はあるものの、やはり関係はキス止まり。連載が長期化するにつけ、ラブコメブームも時代的に終焉を迎え、「ドラゴンボール」、「北斗の拳」といったジャンプ勢が時代を牽引し始めた85年に連載は終了する。

おそらく少年誌での表現の限界を悟ったのか、たまたまなのかは知るすべはないが、徐々に作品発表の場を青年誌へと移行していくことになる。「胸騒ぎ〜」と「結婚ゲーム」の設定をそのままうまく青春誌向けにアレンジしたヒット作「微熱MY LOVE」は移行期における代表作だろう。同じ大学の同級生、実は彼女はアイドルで・・というキャッチーな設定と連載媒体が「GORO」(小学館)というヌードグラビアもありな青年カルチャー誌だったのは表現的にも制約がなく、のびのび描くことが出来た作品だったと思われる。そしてこの移行期を経て、村生の漫画家人生において最重要作品を描くことになるのだ。

「サークルゲーム」(秋田書店)である。

この章、まだまだ続きます。

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