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その日-猫と暮らして(14)

その日-2023年の、4月17日 月曜日

最高気温が20度。最低気温が10度。寒暖差のある1日だった。いっときすれば、カラッとした暑さがはじまり、そのうち梅雨に入り、そして蒸し暑い酷暑と……。朝から、少し先の季節を考えていたのを覚えている。

前日 4月16日は最高気温24度だった。
気温の乱高下が激しく、こういうときに私は体調を崩すことがある。気をつけねば…と思った。同時にここ数年の日本の気象の大きな乱れを振り返り、気をつけようがないな、とも思った。

実はここ数ヶ月間、シロとクロの折り合いが悪く、シロがクロを追いかけ回していた。そのため、できる限り二匹を離して生活させていた。しかし、4月に入り、仲良く一緒にいる様子が増えて、お互い毛繕いをする姿を見ることもできた。心配の日々が続いたが、ほっと一安心していた。

クロは定位置が好きである。
冷蔵庫の上に置いてある段ボール箱は彼のお気に入りの場所の一つだ。私は冷蔵庫の前を通るたびに、クロのあごをなでるのだが、その日もクロは気持ちよさそうに撫でられていた。目を細める様子がとても可愛らしい

餌の求めるときに、クロは鳴いて「おなかへったー」と教えてくれる。シロは、私のあごをなめて空腹アピールをする。猫によって表現方法は様々だ。

「おなかへったー」と鳴くクロに促されて、二匹にドライフードを与えた。カラカラと音を立ててガラスの餌容器に落ちるドライフード。それを美味しそうに食べるシロとクロ。
クロは、体調が悪くなると分かりやすく食欲が落ちる。ひどくなると水も飲まなくなる。
8年前クロが我が家に来てからの数ヶ月、新生活に慣れてないせいか、クロは餌と水を取らないことが数回あった。だから、しっかりご飯を食べてくれることは、飼い主として何より嬉しい。健康はまず食からだ。

夕方から夜

普段通りに(人間が)食事をとり、風呂に入り、家事をした。
その日は疲れていて、8時から9時の間に寝た。


そして、12時前頃。
「ねえ、ちょっと起きて」と、家人から起こされた。
声の質がいつもと違う。夜中だと人は遠慮して小声になったり、こもらせた声になったりする。家人の声は、昼間の声だった。声量に遠慮がなく早口で、つまり「緊急性」を感じる声だった。
私はどきりとして勢いよく起きた。
「クロちゃんが変なの」

クロは餌容器の前に倒れていた。クロが倒れた勢いのせいか、餌容器がひっくり返っていた。
「ねえ、クロ、クロ」と、家人はクロに呼びかけていた。少し離れたところでそれをシロが眺めていた。シロはどんな心境で家人を見ていたのか。振り返っても想像が難しい。
「クロ、どうした」と私はクロを軽くゆすってみた。
クロは口を大きく開けていた。ビニールを食べる癖があるクロだから、喉に異物を詰まさせていて気絶しているのかもしれないと思い、クロの口の中を見て、指を入れた。しかし、何かが入っている様子はなかった。

「クロ、クロ、クロ。おい、クロって」と、何度もクロの耳元に顔を近づけて彼を呼んだ。

とてもたとえるのが難しいが、冷えた羽毛のようなものに全身をじょじょに締め付けられて、体温が下がり血が流れないような感覚に襲われた。そして、そのうち下半身にほとんど力が入らなくなった。私は「現実」に覆われていったのだ。

クロが死んでいた。餌容器の前で、いきなり、何の前触れもなく、予感も、予兆も、なくて。夜に。

泣き崩れる家人の横で「現実」に対応できない私がいた。ふと、シロが近づいてきた。シロがクロをがっと勢いよく噛んだ。私は驚き反射的にシロを手で払い、クロから離した。離れたシロは、クロの睨みつけたりシャーと言ったりして威嚇する。

なんでそんなことするんだ、やめろって、はなれてくれ……

これは後日知ったのだが、猫は死んだ猫に攻撃的になるらしい。仲間や親兄弟でも関係ない。
私は、シロが「おい! おい! 何やってるんだ! 起きろ!」とクロを叱咤しているように見えた。しかし同時に……「クロでないもの」に対する恐怖心から攻撃しているように感じた。

深夜

私は混乱する頭を何とか落ち着かせて、この先の段取りを考えた。

まず、近くに住む親族にクロが死んだことを連絡した。遅い時間だったが、親族2名がクロの看取りに来てくれた。クロを優しく撫でてくれた。

次に葬式である。近隣のペット葬を行なってくれる会社を検索した。その中から口コミで評価が高い会社に電話連絡をした。深夜なのに、丁寧な対応をしてくれた。業者から「遺体が傷む速度などを考えると早く火葬した方がいい」「そろそろ死後硬直がはじまる。お顔や姿勢を整えてほしい」「遺体が傷まないように保冷剤で体をひやしておいてほしい」というアドバイスをいただいた。
明日すぐに葬式をすることになった。

手足を伸ばして目をうっすらと開けた顔のクロを見て、彼がリラックスしているときの様子だと思った。姿勢も顔もこのままでいい。床に寝たままじゃない方がいいと思い、クロが好きな爪研ぎ用のダンボールソファーに保冷剤を敷き、そこにクロを寝かせた。保冷剤を敷き詰められて何だか寒そうだったので、薄手のタオルケットをかけた。

夜が深くなってきた。寝られそうもないが寝ないといけない。今日はクロとの最後の夜になる。私はクロの隣に布団を敷いた。
部屋を暗くした。何の音もしない。シロは家人の横にいる。私の近くにいるのに、暗闇になると黒色のクロは見えなくなってしまう。クロに手を伸ばした。冷やされたせいか時間が経ったせいか、クロは固くなっていた。柔らかさは猫の良さの一つだ。それが失われていく。クロが死んでしまったという実感が込み上げてきた。冷静になっていた反動もあり、悲しくて涙が溢れてきた。固くなったクロだが、毛並みの艶やかさは失われていない。泣きながらクロを何度も撫でた。クロのクロらしいところを確認したかった。

次の日

寝たか寝ていないのか分からないまま、朝を迎えた。薄暗い部屋の中、やはりクロは昨日と同じ格好で横になっている。

身支度を整えて、葬儀会社を待った。
クロをリビングに連れてきた。家人とクロを撫でながら過ごした。シロは私のベッドで丸まっていた。何を思っているのか分からないが、じっと動かずに目を開けていた。

お昼に葬儀会社の方がきてくれた。
まず、クロのために念仏を唱えてくれた。静かにお経を聞く。

そして、火葬の段取りとなった。クロの火葬は車で行う。車の後ろに窯があり、そこにクロを入れる。法律上、住宅街で駐車しながらの火葬はできないため、適切な場所に移動して火葬し、30分-45分後に家に戻るということだった。

家の近くに停められた火葬車まで、家人はタオルで体を包んだクロを抱きかかえて移動した。クロは家人によく懐いていた。最期は家人に抱かれた方がいい。私は、クロの好きな餌やおやつと、隙あれば噛み付いたり舐め回したりするほど大好きだったビニール袋を持って、クロの横を歩いた。
窯のサイズは畳一畳よりも小さい。高さは1mあっただろうか。壁や天井に煤がついていた。
窯の前で家人が「いやだ、離れたくない」とクロを握りしめた。何をどう伝えたのかはっきり覚えてないが……、何とか家人を説得してクロを窯の中央に寝かせてもらった。クロの周りに餌やおやつやビニール袋を置いた。窯の扉が閉まった。家人と二人で釜が完全に閉まるまで、クロを見続けた。
家に帰りシロのところに向かった。丸くなったままでこちらを見るシロをずっと撫でていた

※本当は私もクロから離れたくなかった。家人がこちらの気持ちを吐露してくれたような気がした。内心感謝した。

40分ほどして、クロが帰ってきた。お骨になったクロは、銀色のトレイにきれいに並べられていた。業者の方が、それぞれの骨の種類の説明をしてくれた。

これが大腿骨、これは牙、喉仏がきれいに残っていますね……

業者の方に「骨の様子で病気だったとかそういうことってわかるんですか?」と聞いてみた。クロの死因が知りたかったのだ。突然死したことに全く納得できず、少しでも腑に落ちる何かが欲しかったし、その何かがあれば悲しみが薄まると思ったのだ。

内臓が悪かったりすると、お骨が黒くなっていることがある、後はもろくなっていて、火葬の後骨が粉になっていたりもする、 しかし今お骨を見ても悪い部分は無いようで、しっかりしているお骨もありますね

業者の方はそう語ってくれた。つまり、骨からクロの異常は見つからないということだった。健康だったことは嬉しい反面、ではなぜクロが……という思いが強まった。

お骨を骨壷に収めた。大きい猫だったクロが、小さくまとまってしまった。しかし、壺を抱いたときに不思議とクロを抱いている感じもした。

クロの場所

クロは日向ぼっこが好きで、外を眺めるのが好きな猫だ。陽が当たる窓際にタンスが置いてある。その上に小さくまとまったクロにいてもらうことにした。外はいつも通りよく車が通り、天気も良好だった。多分クロの好きな日。

2023年4月17日、翌18日のことだ。

「その日」から数日後

とにかく色々なことを考えた。
その時に考えたことの一部をまとめたのが、次の記事だ。

クロは何かと気を遣う猫だったと思う。だから、クロの葬儀の後に色々なことを起きたのだが、それはクロのパーソナリティーに結びついたもののように感じた。
たとえば、クロの好みのカリカリご飯やウエットのおかずがちょうど無くなりかけていた。そして、クロがいなくなったタイミングでちょうど無くなった。
たとえば、ペット保険が更新のタイミングだった。保険の内容をよく調べてなかったのだが、そこには火葬の補償もついていた。その補償に気づいたのは、葬儀代を払い込んだあとだった。まるでクロが保険の整理と葬儀の世話をしてくれたようだった。
もちろんこういうことは、飼い主の思い込みに違いない。しかしそれでも、クロの性格を考えると、勝手に紐づけてしまうのだ。情けないことに飼い主だから

ある日

何かと病院のお世話になっていたクロだが、私が主に通院の担当だった。

通院についていつも思い返す「瞬間」がある。

最初にも書いたが、一緒に住んで1-2年目のとき、クロは、よく病院にお世話になっていた。

クロは、待合室で心配な声で泣いたり震えたりしていた。それが涙のせいなのかわからないが、診察が終わったら目に目やにをたくさんつけていた。

病院は二階建てで、二階は広い待合室になっていて、誰もいないことが多い。人や他の動物がいない場所だと、クロは比較的落ち着く。クロのため、私はいつも二階に移動した。

広い静かな空間で、クロと二人っきり。
クロの安心のため、家の匂いがついた毛布をキャリーに入れていた。それにくるまりながら静かに、けどやっぱり少し固まってクロは待っていた。私は、その様子をながめながらクロは撫でながら見つめながら、そばにいる。
その時間はクロには申し訳ないがとても心地よい時間だった。二人だけの時間。階下からの呼ぶ声が聞こえてくるまでの数十分の間、世界にクロと私が取り残されていた時間

もう一度クロと……と愚かにも私は考える。
もし叶うならばどんな時間をクロと過ごす?と自問自答する。
全ての時間が愛おしい。けど、あの二人きりの静かな時間をあたしは求めるのかもしれないなと思う。

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