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地球平面説は陰謀論なのかどうか?問題(demo version)

もしもほんとうに地球が丸くなくて平らで、現行科学の言うところの宇宙空間が実在していないならば、NASAの提出する丸い地球の写真や、それを国際社会の各国政府も良しとしていることや、もちろんそこに税金が使われていたり、ロケットや人工衛星が打ち上げられていたり、あるいは科学学界の言い分が公的に認められていること、その来歴や歴史の扱われ方、そして公教育への影響などなど、そのすべてはたしかに「陰謀論」として扱うことはできると思う。それはたしかに"隠されている"からである。一般市民から隠れたところで謀られている。そんなのもう誰がどう考えたって陰謀である。何者かの陰謀でしかない。ならばそれは陰謀論である。

しかしある人がこの世界と自然の様相を見定めようとするとき、平面説はただの自然科学になる。この地面にはどこにもカーブがなく、太陽と月は大空の向こう側ではなくその内側にあると見ることは、これはただの自然科学である。あるいは自然哲学である。その営みに過ぎない。そしてそこから延伸し、社会との関係性を見てゆくあたりでそれはどんどん陰謀論としての色が濃くなってゆく。

僕はあまり陰謀論の界隈や文脈や流儀や文法のようなものを知ってはこなかったので、この「陰謀論」という言葉や概念がどのように扱われているかは、一般通常社会常識でのそれしかほとんど知らない。つまり、そんなことは無い、という見方である。つまり"陰謀"というものは無いのだという思想(いわば社会思想)に根差すそれしか僕は詳しくはない。だからいわゆる陰謀論者の指すところの「陰謀論」の中に、このフラットアースを含むことができるのかどうかはよくわからない。おそらくは人(論者)によるのであろう。けれども僕が見てきたところでは、"陰謀論出身"の人物がフラットアースに触れて「棄却」する時には、フラットアースを"陰謀論"として扱うことは無く、ただただ論と論者をコケにするだけではないかと思う。そして「支持」する時には、自然科学または自然哲学としての側面にフォーカスすることは少ないようには思える。

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