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私と先生が、あるひとつの作品作りに費やした2年半の話

 ハンドルネームが示す通り、欅坂46ファンの私が、代表曲「不協和音」でタンゴを踊りたい、という無茶振りをしたのは、2019年秋のことでした。この時点でデモ未経験。この曲を知らなかった先生は、私が見せた欅坂46の鬼気迫る動画に一瞬怯んだものの、快諾…多分、快諾、してくれました。
 振付けたのがその秋。そのときの私はダンス歴1年半。見たこともない狂気の塊のようなルーティンに一瞬怯んだものの「この曲で簡単なルーティンは思いつきようがないんだよね」という先生のことばに、かい…快諾…はしてないけど、チャレンジしてみようと決意しました。

 夏のパーティーに向けて練習を開始したのは2020年の年明けから。メンタルのアップダウンが激しい(双極性障害と診断されている)私は、このときダウンの方に傾いていて、秋のやる気がだいぶ失せており、初心者にはあまりに難しすぎるルーティンを前に途方に暮れ、ダンス自体やめようかというモードに入っていました。
 そこへ襲いかかったのがコロナウイルスでした。初めての緊急事態宣言で教室がクローズ。功を奏したというと不謹慎ですが、それが私にとっては先生との二人三脚が始まった転機となりました(と勝手に思っている)。(詳細は「オンラインレッスンを受けてみた   」をどうぞ)

 先生と話し合って始めたオンラインレッスンは、もちろん先生も私も未経験で試行錯誤でした。1時間で3ステップしか進まない日も、ペアダンスなのに組めないことの限界に凹んだ日もありましたが、おかげで私の理解は深まり、教室が再開したときには、幼稚園児が小学生に上がったくらいには上達していました。

 が、それにしたってこれはないよという難しいルーティン。そもそも曲が難しい。社交ダンス、それもスタンダードを踊る曲ではない。まったくもってない。しかも曲…曲が…人を追い詰める何かを持っている狂気的な曲なので、何度も、本当に気が狂いそうになりました。最後の方は、先生も私も、この曲が頭を離れなくてどうしようもない、という状態に陥り、どうすれば日常からこの曲を振り払えるかを愚痴り合うまでになっていました。そりゃ本家も生放送で失神するはずだわ…。

 あまりの難しさに、本番を目前にして、もう自信がないとうなだれる私。
 ステップなんか別にどうだっていい。この曲をどう表現したいのかが大切で、それさえあれば観ている人に必ず通じる。最後に必要なのは技術なんかじゃなくて、その気持ちだよ

 振付してから実に10ヶ月。そんな先生のことばに後押しされ、コロナ禍の中、ひっそりと少人数で行われたパーティーで、私はデモデビューしました。
 技術的にはやっぱり稚拙で圧倒的初心者でしたが、この曲へのリスペクトの気持ちをすべて込めて踊った2分50秒。パートナー先生が飛んできて、すごい!すごい!感動した!!!と叫んでくれたのと、先生が、けやきさんの気持ちを繋いでいる手から受け取って僕も鳥肌が立ちました!と言ってくれて、すべてが報われた気がしました。欅ちゃんたち、ありがとう。

 このとき、デモの魅力って、自分が主役になれるとか、好きな先生と踊れるとか、そういうことじゃなくて、一緒に踊る人と気持ちが通じ合った瞬間の快感とか、作品を通して人に感動を与える喜びを得られることなんですね!と言ったら、いろんな人(主にプロの先生たち)に、それは…アマじゃなくてプロの感想ですねえ…と言われました。技術はまったくもって持ち合わせないど素人だけど、心持ちはアマを超えたらしい(笑)

 その後、大好きな欅坂46のセンター平手友梨奈ちゃんがメンタル不調で倒れると同時に私も倒れ、長く、レッスンをお休みすることになり、その間に平手ちゃんは脱退し、欅坂46は解散しました(泣)。
 休職し、死の淵をさまよった私は、2021年春にようやく教室に通えるようになり、また調子に乗って、その冬、2回目のデモに出ました。打って変わって切ないバラードで。(しかし相も変わらずダンス曲ではない)。
 その日、出番直前の舞台裏で、「不協和音、楽しかったですね」「またやりたいですね」という会話をした私と先生。なんでそのタイミングだったのかはちょっとよくわかりませんが、その日のデモも、徹頭徹尾、曲の世界観にこだわり、ふたりで話し合って話し合って作り上げた作品だったからかもしれません。

 少しだけ成長した今なら、もっとあの曲を表現できるんじゃないかな。

 2022年1月、そんな気持ちで「不協和音」リバイバルプロジェクトはスタートしました。
 習い始めた当初は、私があまりにもエキセントリックなので、その扱いに困惑し、困り果てたり、若干キレたりしていた先生も、この頃には私の取説を完璧にモノにしたらしく、私が勝手に前回と違う編集をして突きつけた曲を黙して受け入れ(編曲は自分でやる主義)、まずは曲の解釈からやり直しましょうか、というお前プロのつもりか、みたいな提案にも真摯に付き合ってくれました。

 ついには、完全に私のペースに引きずり込まれた先生が、「ここの部分の僕の気持ちは…どんな感じでいけばいいですかね?」と言い出すようになり、キミとボクの関係性について言及するようになり、どうすればこの世界観を表現できるか、でレッスンの大半を費やすようになりました(技術的なことももちろん含む)。
 ことあるごとに話し合い、たびたびイメージ動画を送りつけては振付を変えているうちに、前回とほぼ全とっかえの振付になり、それでも飽き足らず、レッスン動画を撮っては確認し、撮っては確認して、直前まで微調整を繰り返しました(微、ではなかったかもしれない)。

 中でも、冒頭の一連のステップが何度やっても納得するレベルに届かず、思い余ってその箇所のレッスン動画20連発を時系列につなげたキチガイ動画(約3分)を作って先生に送りつけたりしました。時間があったら観てくださいね、くらいの気持ちだったのですが、次のレッスンに行ったら「僕、1時間くらい観続けたんですけど、多分問題はここだと思うんですよね」と言われて、私の意味不明なこだわりに付き合ってくれる先生に心の中で感涙しました。この部分に関しては、累計100回以上は繰り返し練習したのにまだ不安で、前日に「やっぱり最初が決まるかどうかがすべてですよねえ」と呟いたら、「けやきさん、もうこれ以上はないくらい十分やりましたから(呆)」とさすがに言われました。

 そしてもうひとつ、このデモの成否を決めるラストポーズ。ここは平手ちゃんへのリスペクトを全力で投下して私が決めたのですが、練習で成功したのが1度だけ、当日リハでも失敗するという、トリプルアクセルに挑むフィギュア選手か、みたいな状況で、「もし決められなかったら倒れこんでください。本家は倒れてるんで」と本番前に真顔で言われたので、ガチで倒れこむパターンを舞台裏でシミュレーションしていたのですが、本番はちゃんと決められました。(我ながら本番に強い)

 こうして、人を狂気の渦に巻き込む「不協和音」という名曲と向き合い、持てる技術と魂のすべてを2分50秒に注ぎ込んだ私と先生の2年半は終わりました。

 満足だ。もう思い残すことはない。二度と観ることができない平手友梨奈という天才が率いたこの曲への愛を、私はすべて昇華させた

 と思いながら、いま、欅坂46の東京ドームラストコンサートを観ながらこの記事を書いています(笑)

 初めてお会いしたプロの先生から、とてもよかった、本家へのリスペクトが随所に観れた、と言っていただけたのがとても嬉しかったです。主催の先生からも、振付が曲とつながってストーリー性があるのがとてもよかったと言ってもらえました。

 ………もっとうまくなったら、またやるかもしれない(苦笑)

(おわり)

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