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リーダー修行記⑤(私がリーダーをしている本当のワケ)

「なんで女性なのにリーダーやってるんですか」

 私がリーダー修行を始めて以来、会う人会う人、みんなに聞かれ続けている質問がこれです。

 私はたいがい「なんかあこがれがあって」と答えるのですが、9割の人にこう返されます。

「宝塚的な感じですか?」

 宝塚は…全然興味がないですねえ。

 そう言うと、残る質問はほぼ3パターンです。

 ①  パートナー側の上達に役立つんですか?
  →役には立つけど主目的ではない
 ②   男性が少ないからですか(フリーダンスで重宝されますよね)?     
  →特に関係がない。フリーダンスは基本しない。
 ③  背が高くて、合う相手がいないからですか?
  →先生と踊るのが基本スタンスなので別に困ってない。

 私も本音のところはちょっと違うなと思いつつ、一番わかりやすいであろうことばを選んで「なんかあこがれがあって」と言っているのですが、まあまあ伝わらない。それ以上説明するともっと伝わらない気がするので、相手の「ようわからん」という表情を見なかったことにして「なんかあこがれ」で押し通してきた8ヶ月。
 これからも聞かれるたびに「なんかあこがれ」と答え続けると思いますが、ここでは、私がリーダーを始めた本当の理由をことばにしてみようと思います。

注:(特にリアル知り合いの方々へ)内容はわりとシリアスですが、私的には言うほど深刻に捉えている話ではないので適当に読み流してください。


 私は、自分が女性であることに身体的な違和感は別になく、女性であることが嫌なわけではないのですが、メンタリティ的には思春期頃から、女性性というものに対する違和感を持って生きてきました。「女性らしさ」や「女性としての役割」を求められたり、性的に「女性」と見られることに対して猛烈な不快感を抱いていて、自分自身のマインドと現実に何かしらジェンダー的なギャップを感じていたので、ジェンダーフリーなんて言葉が存在しなかった時代を生きるのは、とにかくとても大変でした。ポジティブな言動、たとえば「重いものを持ってあげる」と言われることや、服や髪型を褒められることも、不快とまでは言わないまでも違和感があって、あまり触れないでほしい、というのが本音でした。かと言って、男性になりたいわけでもないので、これが社会的・文化的性差に対するミスマッチ(要は性格的なもの)なのか、先天的に生まれ持った何かなのかは自分でもよくわかりません。

 そんな私が社交ダンスを始めたとき、男性と女性の役割が厳格に存在することに、まず驚きました。単に男女が手を繋いで踊っているだけだと思ってましたからね…。

 私はペアダンスが好きだし、社交ダンスは、男性の役割と女性の役割が明確に分かれていて、だからこそ成り立つ美しさがある、というのは理解しています。ふたりの役割が異なるだけで立場は対等だということも。そして、遊びであれ競技であれ、身体を使うものなので、身体的にはパートナーの方が圧倒的に楽でなじみます。当たり前ですが。

 けれど精神的には、やっぱり違和感を覚えたり、はっきりと苦痛だったりすることがあるのも事実です。求められる「女性」としての役割、「女性らしさ」は、ときに曖昧に、ときに刃物のようにはっきりと、私のメンタルに打撃を与えます。

 求められるフォロー力や柔軟性、女性らしいラインや、美しくあれという圧。
 自分が進むべき道筋や動くタイミングを他人に委ねなければならない理不尽さ。

 リーダーを始めるまでの私は、ペアで踊る楽しさと、性別による役割分担に感じる違和感を、いつもどこかで天秤にかけていました。

 ドレスにもまったく興味がなく、初めてドレスショップに行ったときも、競技会のために必要だから仕方ないけど面倒だしお金かかるなあ…というテンションでした。自分で言うのもなんですが(笑)、実際に試着をしてみたらスタンダードドレスがやけに似合って、「どれもアリですね。決めるの難しいですね」と店員さんも悩むほどだったので、これはちょっと楽しいゲームかもしれないぞ、となったわけですが(コスプレ気分)、ホテルデモで同じドレスを着回し、メイクも髪も適当、という程度にしか着飾ることに関心がないのも事実で、先日のデモでは、髪をゴムで結んで終わりはさすがにないと友達に突っ込まれました (笑)。

 そんな私なので、世の中がジェンダーレスの時代に突入し、ガチ女性リーダーもアリらしい、と知ったとき、かなり気持ちは揺らぎました。身体的には絶対に不利で、筋力にも技術にも適正にも自信がないけれど、精神的な安寧は得られるかもしれない。女性であることからは一生逃れようがないけれど、ダンスをする上だけでもその役割をシフトすることができるかもしれない。

 そして一念発起した2021年夏。

 結果として。

 私はいろいろなことから解放されて自由になれました。

 「性差の違和感」を「踊る楽しさ」というおもりで押し殺していた天秤を、「リーダー」と「パートナー」というおもりで吊り合う天秤に変えたら、どちら側へも行ける、どちらでもない自分が生まれて、ジェンダー的な部分での心のバランスがとれるようになったのです。

 男女がそれぞれの役割を担い、美しく、かっこよく着飾って踊る、もはやこの世でもっとも私に向かないスポーツではないか、と思い悩んでいた社交ダンスが、私の気持ちを縛ってとても窮屈にしていた何かから解き放ってくれました。

 現実には、その時々でリーダーとパートナーのどちらかを選ばなくてはならず、選んだからにはどちらかの役割を果たさなければならないわけですが、どちらを選ぶにしても、ジェンダーの選択肢が与えられていて、自らの意志で決めることができる、ということが私にとってはとても重要で譲れない部分なのだと、リーダーを始めて気づきました。

 なので。

 なぜリーダーをやっているのか、という問いに対してとても端的なことばで答えるならば。

 私はノンバイナリーの傾向があるから

 となるのですが、それを言ってしまうと、自分の感覚以上にシリアスに捉えられてしまう可能性があるので。

「なんかあこがれがあるから」

 と言っておくのがやっぱり無難ですかねえ…。

(実際に…男装ゲームはドレスコスプレより圧倒的に楽しいので『なんかあこがれ』も嘘ではない(笑))

(おわり)

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