わたしが人として生きる訳 -5-

「姉ちゃん、大丈夫かな?」

「心配ない。私達の力で邪鬼は抑えた。」

「あとは長老様にお任せしましょう。」




フッ・・・
アタシの若い頃に似たヤツじゃの。

アタシの死期もすぐそこじゃ。オマエの中に封じ込めた邪鬼共の怨念は、ひとつ残らず持って行ってやる。ついでにここ数日のオマエの家族との記憶もな・・・。



時折、人間共が起こした殺し合いが原因で、地獄と呼ばれる地の底は憎しみ、悲しみ、恨みなどの負の念で溢れかえる。その念は地を抜け、空を上り、天界にまで達する。天界に達した念は怨念と化し、天界の全てを腐敗さてしまうのじゃ・・・。天界は清き魂の拠。腐敗させてしまえば、多くの魂が空を彷徨い、それらもまた怨念と化してしまう。天界を守るためには、地獄からの怨念を綺麗サッパリと消し去らなければならない。

しかし、怨念を消し去ることができるのは、死期を迎えた天界の者のみ。死期を迎える者がいない時は、封印の力を持った若い者が怨念の器として捧げられ、死期を迎える者が現れるまでの間、その怨念を封印され人間界に送られる。天界の者は自ら死期を早めることはできぬのじゃ・・・。
平和に犠牲は付き物とはいえ、邪鬼の怨念を封印する力を持ったオマエを、怨念の器にしなくてはならなくなった・・・ということじゃ。

人として人間界に送られた天界の者は、やがて身も心も人となってゆく。人に近付けば近付く程に、封印の力も弱まってゆく。それが今のオマエじゃ。家族がそれを察して様子を見に来ていたというわけじゃな。人間界で封印が解ければ、また人間共の殺し合いが始まる。それも阻止しなくてはならないからな。

人間共が殺し合いなどという馬鹿げたことをしなくなれば、少しは地獄も平和になるだろうに。



オマエの記憶の片隅に残っておろう?
天界での家族との生活の記憶が・・・。

人の命は短い。
もう少しの辛抱じゃ。
人としての命を全うすれば、
また家族のところに戻れる。

それまで
人としての生活を学び、
楽しむがよかろう・・・


・・・・・・。

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