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【常識が変わる】日本神道のルーツ...ユダヤと秦氏との関係とは?

お元気様です。
歴史沼チャンネルのきーです。

秦氏の神社に隠された日本神道の真の姿…
日本神道の意外過ぎる真実とユダヤの神との関係は?
秦氏の信仰、ユダヤの神について深堀していきます!
ユダヤの神と日本神道のルーツについて動画の最後で、深堀考察していきますので、最後までお付き合いください!

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日本神道とは?


日本神道とは、日本人の暮らしの中から生まれた信仰で教典や具体的な教えはなく、開祖もいない日本人の民族宗教です。

初詣や厄除、初宮参りや七五三、結婚式や地鎮祭など、無意識のうちに日本人の暮らしにとけ込んでいるのが神道です。

清らかな山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとしてまつり、やがてその場所に建物が建てられ、神社が誕生していきました。

列島の各地で発生した神々への信仰は、大和朝廷による国土統一にともない、形を整えてゆきました。そして、6世紀に仏教が伝来した際、この日本固有の信仰は、仏教に対して神道という言葉で表わされるようになりました。

神道の神々は、海の神、山の神、風の神のような自然物や自然現象を司る神々、衣食住や生業を司る神々、国土開拓の神々などで、その数の多さから八百万の神々といわれ、その八百万の神の中でも最高の神格を有するのが天皇家の皇祖神「天照大神」です。

そんな日本神道の最大の特徴は、八百万の神と呼ばれるほどあらゆるものに神が宿っていると考えその神々を信仰する多神教であるということでしょう。

しかしこの多神教は、元々の神道ではないということをご存じでしょうか?
8世紀以前、『古事記』や『日本書紀』いわゆる『記紀』以前の神道は八百万の神を信仰する多神教ではなく、唯一の神を信仰する一神教だったのです。

古神道は一神教だった



日本神道が一神教だったというと、日本神道は自然崇拝精霊崇拝から来たものなので、一神教だったはずがない…と思う人が大多数でしょう。

しかし『記紀』以前の神道、いわゆる古神道が一神教であった可能性は、日本神社の最高位である伊勢神宮でも確認することができます。

伊勢神宮の元宮といわれている丹後国の一之宮である”籠神社”の宮司である海部宮司は自身の著作で、「8世紀以前は一神教だった」とし、8世紀以前の日本人が信仰していた神を「大元神」や「大元霊神」と呼んでいたとしています。

「大元神」とは、おおもとの霊なる神という意味です。

そしてこの「大元神」とは、天之御中主神であり豊受大神であり、ウカノミタマだとしています。

天之御中主神とは、古事記に【天地初発し時ときに、高天原に成なる神の名は、天之御中主神】とだけ登場する神様で、造化三神の一柱、別天津神(ことあまつかみ)の第一柱です。
神名の「天」は宇宙や天空、「御中」は崇敬を込めた中心、「主」は主人や主君を意味しており、文字通り宇宙の中心に在る神様です。

豊受大神とは、伊勢神宮の外宮に祀られている神様です。
一応、天照大神の食事を司る御饌の神ですが、
豊受大神が祀られている外宮と天照大神が祀られている内宮はどちらとも正宮という扱いになっているので、豊受大神は天照大神と同格で祀られていることになります。

そしてウカノミタマも、食物の神です。
このウカノミタマという名前より、”稲荷大神”と言った方が馴染み深いかもしれません。
ウカノミタマとは、日本で2番目に多い稲荷神社に祀られている神なのです。

同じ食物の神である、豊受大神とウカノミタマは同一神であると考えられてきました。
しかし伊勢神宮の元宮といわれている丹後国の一之宮である”籠神社”の宮司である海部宮司は、天之御中主神も豊受大神もウカノミタマも同一神であり、唯一の神である「大元神」だと述べているのです。

ヤファエと古神道の一神教


天之御中主神が一神教的神様だったことは、歴史上の神道家や国学者も述べています。

江戸時代の国学者である、平田篤胤は「アメノミナカヌシは、はじめなく終わりもなく、天上に会って天地万物を生じる徳を持ち、万有を主宰している」述べていますし、
大神道家 吉田兼俱(よしだかねとも)は「古来の純粋な神道は天智の根源なる神、無始無終、常住恒存、また絶対なる唯一神に発する」と述べています。

「大元神」と呼ばれ、同一神であり唯一神だったとされる天之御中主神と豊受大神とウカノミタマは、聖書に出てくる神であるユダヤ教の唯一神ヤハウェと同一神とも考えられています。

聖書ではヤファエのことを「すべての根源なる神様」「天の真ん中に住む主たる神様」「日々の糧を与えてくださる神様」と様々な呼ばれ方をします。

これは呼び方が違うだけで、全部同じ神を指しているといえます。
「すべての根源なる神様」は、”おおもとの霊なる神”を意味する「大元神」のことですし、「天の真ん中に住む主なる神様」は文字通り宇宙の中心に在る神様を意味する「天之御中主神」のことです。

「日々の糧を与えてくださる神様」は、日々食物を与えてくれる食物の神である豊受大神であり、ウカノミタマです。

8c以前記紀編纂以前の神道では、一神教的でありその神とは日本神道では「大元神」と呼ばれる聖書の神であるヤハウェだったかもしれません。

これは平田篤胤の弟子であり、国学者・神道学者であった渡辺重石丸(わたなべ いかりまろ)も「アメノミナカヌシは聖書のいう神ヤファエと同一」と述べていることからも根拠つけることができます。

秦氏の信仰は一神教だった


日本神道の話をする際には、秦氏の存在は欠かせません。

秦氏とは、5世紀に日本に渡来し酒造りや機織り、土木技術などの技術を伝えたとされる渡来系氏族です。
そして秦氏はとてもユダヤ教の影響を強く残すキリスト教である、景教徒だったことが指摘されています。

現代の私たちはキリスト教というと、ローマを中心に成熟して至った西洋化されたキリスト教を思い浮かべてしまいます。
しかしイエス・キリスト自体がユダヤ人ですし、早くから西洋キリスト教と分離していた景教はもっとユダヤ的だったと考えられます。

ではなぜ日本神道を考えるうえで、渡来人である秦氏について語るべきなのか?それは日本で一番多く祀られている神社は秦氏の神社だからです。

イナリ信仰は唯一神的である


全国で2番目に神社の数が多いのは、稲荷神社です。
そんな稲荷神社の総本宮は、京都にある伏見稲荷大社です。

主祭神は稲荷大神であるウカノミタマです。
伏見稲荷大社の創建には秦氏が大きくかかわっています。

『山城国風土記』では、イナリの名前の由来について…
秦伊呂具という人物が稲作をして裕福な生活を送っていたある日、伊呂具が米でつくった餅を的として矢を射ったところ、その餅が白鳥に変わって飛び立ち、神社のある山に降りて稲が成長したため「稲成」から「稲荷」になり、これが伏見稲荷大社のはじまりであると記されています。

しかしこのイナリの語源が、秦氏が景教徒であったことに着目されている説もあります。
それはイナリとは、ヘブライ語の「ナザレのイエス、ユダヤの王(INRI)」からきているのではないか?としている説です。

イエス・キリストの磔刑図には、そのほとんどに「INRI(インリ)」と書かれています。
これは「ナザレのイエス、ユダヤの王」を縮めた言葉であり、これは景教徒であった秦氏に影響されているのではないか?といわれています。

伏見稲荷大社の公式な『稲荷大神秘文』は、「それ神は唯一にして、御形なし・・・」から始まることからもわかるように、稲荷大神であるウカノミタマは唯一神としての傾向が強いです。

唯一神「大元神」として、天之御中主神と豊受大神と同一神とされているウカノミタマを祀る日本で2番目に多く信仰されている稲荷神社には、聖書の一神教の神との関係が強いのです。

平安京と稲荷信仰


そんな伏見稲荷大社にも、”元稲荷”と呼ばれる稲荷神社の元宮となった神社が存在します。

それは現在京都の船岡山にある義照稲荷神社です。

平安京は秦氏が本拠地としていた京都に置かれた都であり、平安京を作ったのは秦氏ですが、元稲荷がある船岡山は平安京がつくられたときの中心線の目印とされた小高い山でした。

船岡山を頂点に区画整理され、平安京はT字系の形に作られたていきました。


出典:https://kusanomido.com/study/religion/18129/


この形を見て、ピンときた方も多いかもしれません。
平安京の形は十字架の形に作られ、十字架のちょうど罪状書の位置に、船岡山があり、元稲荷である神社…INRIがあったのです。

平安京と稲荷神社の元宮の話は、都市伝説の域を出ないような話ではありますが、ユダヤの聖地エルサレムが日本語に訳すと平安の都となることを考えると、関係ないと言い切れるものでもないのかもしれません。

八幡神社に残るモーセ伝説


日本で2番目に信仰されている神社は稲荷神社ですが、1番多く信仰されている神社は八幡神社です。

全国に1万4000社以上あり、日本一の数を誇る八幡宮の総本社は、大分県宇佐市にある宇佐八幡宮です。

八幡神社の総本宮がある大分県宇佐市は、秦氏がたくさん居住していた地域として有名です。

これは私の考察ですが『隋書』倭国伝に登場する”秦大国”とは、宇佐神宮周辺だったのではないかと考えています。

詳しくはこちらの動画で解説しているので、ぜひ参考にしてください。

そんな宇佐神宮には、起源とされいる神社があります。
その神社とは、薦(こも)神社です。

薦神社とは、宇佐神宮の北側にあり本殿の裏にある御澄池みすみいけ)という池をご神体として祀っている不思議な神社です。
薦神社の御澄池(みすみいけ)には、不思議な伝承が残されています。

その伝承とは、
その昔、御澄池のきれいに澄んだ水の中から美しい幼い男子が姿を現し、池の岸辺に生えていた薦草(こもぐさ)の上に立ち、
「私こそがヤハタの神である。私のために薦草で方舟(はこぶね)を作り、御神体とせよ!」と告げた。

この伝説から、この神社では湖畔に生えている薦草を刈り取って、方舟を作り、これを薦枕と呼び、宇佐八幡宮に御神体として奉納しているというのです。

この伝説は、旧約聖書に出てくるユダヤ人の指導者モーセの誕生のエピソードにそっくりです。

宇佐神宮の主祭神は応神天皇、比売大神、神功皇后なので直接的には唯一神との関りはありません

しかし宇佐神宮の御神体のエピソードが、ユダヤ人の指導者であるモーセの誕生とそっくりなこと、そして宇佐神宮は秦氏がたくさん居住していた場所にあることや、応神天皇と秦氏の関係を考えると、八幡神社は聖書の神を信仰していた秦氏と関係ないとは言えないのではないでしょうか?

秦氏の神はヤハウェなのか?キリストなのか?


秦氏は聖書の神を信じる民であり、ユダヤとの関りがあるんだ!という話をしていると、秦氏はユダヤ教徒なのか?ネストリウス派キリスト教である景教徒なのか?という疑問が生まれます。

これは私の考察ですが、秦氏はネストリウス派キリスト教いわゆる景教徒であり、唯一神ヤファエを信じる民なのではないでしょうか?

ネストリウス派キリスト教(景教徒)と、西洋キリスト教(カトリック・東方正教会)との違いは、キリストの母マリア”神の母”とするか?”キリストの母”とするか?ということです。

西洋キリスト教はマリアを”神の母”としていますが、ネストリウス派キリスト教(景教徒)はマリアには神性はなく”キリストの母”という立場をとります。

逆をいえば三位一体は認めているということになります。
三位一体とは、父なる神=ヤファエ神の子イエス聖霊が一体=唯一神であると考えます。

なのでネストリウス派キリスト教(景教徒)は、ヤファエもイエス・キリストもどちらも一体であり唯一神としているということです。

なのでイナリ信仰や八幡神社など秦氏のゆかりの地には、キリスト教的要素もユダヤ教的要素もどちらもあっておかしくはないと思います。

記紀編纂以前の日本神道は一神教的だった


伊勢神宮の元宮の宮司が「日本神道は一神教だった」と言ったとしても、「8世紀以前の神道が一神教だった」ということには疑問を持つ方も多いかもしれません。

これは私の考察ですが、縄文時代は自然のものすべてのものに神が宿っていると考えていましたが、その神をすべてまとめて神(God)と呼んでいたのではないでしょうか?

海や川、山などすべてに神がいると感じ、おのおのに個別の神がいるのではなく、神という一体のものだったのです。

その後弥生時代になり、稲作が本格的に始まったことで日照りが欲しい時には太陽を拝むようになったり、稲が出来たら豊作を神に感謝したりと祈りの対象が細分化はされていきましたが、「すべてのものに神がある」という考え方は残っていきます。

現代の我々は一神教唯一神といえば、西洋の聖書で経典化された絶対神を思い浮かべてしまいますが、古代日本人にとっての神とは「すべてのものが神」という発想だったのではないかな?と思います。

なので聖書の神が「すべての根源なる神様」として日本にやってきたとしても「すべてのものが神」という信仰心で馴染んでいったのではないでしょうか?

その後に記紀によって、神にはいろんな種類の神がいるということにされ、そのトップが天照大神だとされたことで、神道は多神教であるイメージが定着したように思えます。

しかしトップが天照大神だからといって、その他の神を廃したりしないのは縄文時代から培ってきた「すべてのものが神」という信仰があったからでしょう。

「すべてのものが神である」という信仰があったからこそ、一神教的要素のある神社が日本で1番目と2番目に多く信仰されているという現状を誕生させたのではないでしょうか?

これは少しスピリチュアルチックで感じ方考え方の話なので、いろいろな考え方があると思います。
みなさんの温かいコメントをお待ちしております。

まとめ

いかがでしょうか?
今回は、秦氏の信仰から日本神道のルーツについて考察していきました。

今回の参考文献は、概要欄にリンクを貼っているので興味のある方は概要欄のリンクからチェックしてみてください。


今回の動画につかった台本も公開しています。
文字で今回の内容を読みたい!という方は、概要欄のリンクからチェックしてみてください!

今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
また歴史を楽しめるコンテンツを配信していきますので、高評価やコメント、チャンネル登録、あとスーパーサンクス機能も使えるようになりましたので、よろしくお願いいたします!
ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!

この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史本プレゼンチャンネル】の動画を、テキストにしたものです。

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