神話最大の裏切り者とは!?国譲り神話の真実と鴨氏
お元気様です!シン・歴史沼チャンネルのきーです。
日本神話の重要なシーンである国譲り神話の裏には、ある裏切り者がいた!?
その裏切り者の神の正体とは?
国譲り神話の真実と裏切りをきっかけに日本古代史で別格扱いされているある一族について深掘りしていきます。
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国譲り神話とは?
まず最初に国譲り神話とは…ということからお話ししましょう。
国譲り神話とは、八十神(やそかみ)と呼ばれる兄弟たちからイジメられて2度も死にかけたり、スセリビメを嫁にもらうために父であるスサノオからの試練を乗り越えて立派な大人になり、葦原中国と呼ばれる国をを作ったオオクニヌシ。
しかし高天原から葦原中国を見た天照大神は、「葦原中国は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
天照大神はタカミムスビと相談して葦原中国に使者を派遣するも、上手くはいかず最後に派遣されたのはタケミカヅチでした。
このタケミカヅチがオオクニヌシに「私たちはアマテラス様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだとアマテラス様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。
するとオオクニヌシは「私の一存ではお答えできません。息子のコトシロヌシがお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております。」と答えました。
なのでタケミカヅチはコトシロヌシに尋ねると、コトシロヌシは「おっしゃるように、アマテラスのお子様に差し上げましょう」と答えました。
するとそこへオオクニヌシのもう一人の息子で力持ちのタケミナカタが大きな岩を抱えて戻ってきて、タケミナカタは「この国が欲しいのなら力比べだ」と言ってタケミカヅチと勝負しますが、タケミナカタは負けてしまい、怖くなって逃げだしてしまいます。
そして逃げた先が、諏訪の池であり「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。
これが諏訪大社にタケミナカタが祀られる起源として語られています。
そしてオオクニヌシは「仰せのとおりこの国をお譲りします。そのかわり、高天原の大御神様の御殿のような神殿を建てていただきたい。」と答えました。
タケミカヅチは願いを聞き、オオクニヌシのために大きな神殿を建てました。
この神殿が、出雲大社である。というのが「国譲り神話」の一般的な理解でしょう。
国譲りの前夜
タケミカヅチがオオクニヌシに葦原中国を譲るよう迫る前、いわゆる国譲り神話前夜の話があります。
それはアメノホヒとアメノワカヒコのお話です。
まず高天原はタケミカヅチを派遣する前に、タカギムスヒとアマテラス大神の命令で八百万の神々が、天の安の河に集まって相談し、アメノホヒを遣わすことにしました。
ところがアメノホヒは、オオクニヌシに従ってしまい、
3年が経っても、命令を果たしませんでした。
そして三年が経ってもアメノホヒは帰ってこないので、
再び、タカギムスヒとアマテラス大神は高天原の神々と相談して、アメノワカヒコを派遣することにしました。
アメノワカヒコは、葦原中国に降りてゆきましたが、
オオクニヌシの娘のシタテルヒメと結婚してしまいました。
アメノワカヒコは、葦原中国を自分の国にしようと考え、
8年が経っても、命令を果たしませんでした。
そこで、アマテラス大神とタカギムスヒは、ナキメを遣わせて8年も返ってこない理由を尋ねさせました。
ナキメは天より降って、アメノワカヒコの住まいの入り口にある神聖な桂の木にとまり、アマテラス大神とタカギムスヒ神の言葉を伝えました。
するとアメノワカヒコはアメノクサメの進言をうけ、ただちに、天つ神より与えられた弓と矢をもち、ナキメを射殺しました。
その矢はナキメの胸を突き抜けて、天の安の河にいた
アマテラス大神とタカギムスヒ神のところに届きました。
タカギムスヒ神は、矢を高天原の神々に示し見せながら
「もし、アメノワカヒコが命令どおりに悪い神を射た矢なら、アメノワカヒコには当たらない。もし、命令に背いて放った矢なら、アメノワカヒコは、この矢の禍を受けよ。』
といって、矢を突き返しました。
矢は、朝方になってもまだ寝ているアメノワカヒコの胸に突き刺さり、アメノワカヒコは、死んでいました。
このアメノホヒとアメノワカヒコが高天原から派遣された任務を果たさないというエピソードがあり、その後に、では武力に訴えるといわんばかりに高天原から派遣されたのが武神であるタケミカヅチなのです。
裏切りの神の正体
ここからは神話をどのように捉えるか?という問題になってきますが、神話が実際の起こった話を元に作られたと考えるならば、苦労して作った国を譲れ!と言われたからといってやすやすと譲ることは考えにくいでしょう。
そう考えると、この国譲り神話の元となった実際の起こったこととは、葦原中国側と高天原側で武力衝突目前の緊張状態が続いていて、その結果高天原が勝利した。といえるのではないでしょうか?
では、高天原を勝利に導いたのは誰なのか?
それは記紀では、高天原から派遣されていながら葦原中国を自分の国にしようと野心を燃やし、裏切りの神の汚名をかぶっているアメノワカヒコだと思います。
裏切った相手は高天原ではなく葦原中国?
アメノワカヒコは高天原を裏切っているのに、高天原の勝利の立役者とはどうゆうことなのか…
それはアメノワカヒコは葦原中国側の出雲神であるある神と同一神だからです。
その神の名は、アジスキタカヒコネ。
アメノワカヒコ=アジスキタカヒコネは出雲神でありながら、高天原側に味方してスパイ工作をし、葦原中国の支配者オオクニヌシから国譲りをさせることに成功した立役者なのです。
裏切りの神が裏切った対象は、高天原ではなく葦原中国ということになります。
アメノワカヒコ=アジスキタカヒコネ
まずアジスキタカヒコネとはどんな神様なのか?から紹介しましょう。
アジスキタカヒコネとは、オオクニヌシと宗像三女神であるタキリビメとの間の子供であり、同じ父母からシタテルヒメも生まれています。
『出雲国風土記』では
『アジスキタカヒコネは大人になっても言葉を話すことができず泣き叫んでいるばかりだったので、オオクニヌシはアジスキタカヒコを船に乗せて池に放したところ、そこに白鳥が飛んできて、このときアジスキタカヒコネが声をあげて叫んだことから、言葉をしゃべれるようになった』
との伝承も残っています。
では、なぜアジスキタカヒとアメノワカヒコが同一神と考えることができるのかは、記紀に記されているあるエピソードがあるからです。
そのエピソードとは、出雲に遣わされながら高天原に反逆を企てたアメノワカヒコがタカミムスヒの放った矢で亡くなり、アメノワカヒコと仲の良かったアジスキタカヒコネはその葬儀に参加しました。
しかしアジスキタカヒコネはアメノワカヒコと姿がそっくりであったため、アメノワカヒコの父のアマツクニタマが、アメノワカヒコが生きていたものと勘違いして抱きついてきました。
するとアジスキタカヒコは穢(けがら)わしい死人と一緒にするなと怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。というエピソードです。
このエピソードの真実は、アジスキタカヒコネとアメノワカヒコが似ているのではなく、本当は同一だった...ということを暗示しているのではないでしょうか?
その証拠に、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘であるシタテルヒメと結婚したことになっていますが、シタテルヒメはオオクニヌシと宗像三女神であるタキリビメとの間の子供…簡単に言うとアジスキタカヒコと両親を同じくする兄弟です。
そしてアメノワカヒコの系譜は、アマツクニタマの子として登場しますが、アマツクニタマの系譜の記述はありません。
系譜の記述がないということは、アメノワカヒコという名前の神はいないにも関わらず無理やり作ったからでしょう。
記紀には天皇家の祖である天津神は、出雲神のアジスキタカヒコネが裏切ってくれたことで勝てました!とは記録しにくいので、アメノワカヒコという神を作り上げ、アジスキタカヒコネの存在を隠したのではないでしょうか?
コトシロヌシとアジスキタカヒコネ
しかし記紀では、あっさりと国譲りを承諾したのはコトシロヌシということになっています。
コトシロヌシとアジスキタカヒコはどうゆう関係なのでしょうか?
コトシロヌシとは、オオクニヌシの子とされ、恵比寿様としても有名です。
『古事記』の記述によればカムヤタテヒメを母とし、『先代旧事本紀』ではタカツヒメが母としており、このタカツヒメは宗像三女神のタキツヒメと同一神とされています。
国宝である『海部氏勘注系図』ではタカツヒメはカムヤタテヒメの別名としているので、オオクニヌシと宗像三女神のタキツヒメの子がコトシロヌシということになります。
ここで思い出してほしいのは、アジスキタカヒコネの両親です。
父はいわずもがなオオクニヌシですが、母は宗像三女神のタキリビメです。
いわばコトシロヌシもアジスキタカヒコネもどちらも母は宗像三女神なのです。
宗像三女神は、イチキシマヒメ、タキリビメ、タキツヒメの3女神であり、福岡県の宗像大社に祀られています。
この宗像三女神はどうやって生まれたかというと、アマテラス大神とスサノオの誓約です。
アマテラス大神とスサノオの誓約では、アマテラスがスサノヲの持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から宗像三女神と呼べる女神が生まれ、スサノヲが、アマテラスの勾玉を噛み砕き、吹き出した息の霧から五柱の男神が生まれました。
この誓約の解釈は難しいですが一般的な解釈では、宗像三女神がスサノオの子、五柱の男神がアマテラスの子ということになっています。
宗像三女神を母に持つということは、コトシロヌシもアジスキタカヒコネも、高天原に起源をもつといえるのではないでしょうか?。
国譲りの際に、オオクニヌシは「コトシロヌシが先頭に立てば私の180人の子供たちもコトシロヌシに従って天津神に背かないだろう」と言っています。
このセリフは、コトシロヌシが出雲において絶大な権力があったことを思わせます。
ここは私の考察になりますが、国譲り神話とは母方の起源を高天原に持つコトシロヌシとアジスキタカヒコが高天原側につき、これが高天原側勝利の決定打になったのかもしれません。
宗像三女神が3人ではなく本当は1人であるという話もあり、そうなるとアジスキタカヒコネ・コトシロヌシ・シタテルヒメは母も同じ兄弟ということになります。
話を整理すると、アメノワカヒコ=アジスキタカヒコネが母方の実家が同じであり、出雲で絶大な力をもっていたコトシロヌシを味方につけることで、高天原側への寝返りに成功、このことが決定打となって葦原中国の統治権が高天原に移ったのでしょう。
別格一族鴨氏
アジスキタカヒコネを祖神としている一族がいるのはご存じでしょうか?
その一族とは、鴨氏です。
鴨氏とは、いまでは賀茂大社を祀る一族として有名で、賀茂大社とは京都にある上賀茂神社と、下鴨神社の総称であり、山城国の一宮として現在も有名な神社です。
上賀茂神社のご祭神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみ)と玉依姫命(たまよりひめ)であり、下鴨神社の御祭神は賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)となっていますが、この名前の神様は実態を得ない神様です。
この神様の正体を探るために、ある神社に迫りましょう。
その神社とは京都の賀茂大社の元宮であり、全国の鴨神社の元宮といわれる神社が葛城地域にある「鴨都波(かもつば)神社」と「高鴨(たかかも)神社」です。
鴨都波神社
鴨都波神社とは、コトシロヌシとシタテルヒメを主祭神とする延喜式内社の神社です。
葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめたことから、高鴨神社を上鴨社というのに対し、鴨都波神社は下鴨社と呼ぶようになり、社伝によれば、コトシロヌシは元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、鴨都波神社がコトシロヌシの信仰の本源であるとしています。
高鴨神社
高鴨神社は、アジスキタカヒコネ、コトシロヌシ、アジスキハヤオ、シタテルヒメ、アメノワカヒコを御祭神としています。
社伝によれば、アジスキタカヒコネは「迦毛之大御神かものおおみかみ」と呼ばれ、鴨一族の守護神であり、高鴨神社は全国の鴨神社の総本社であるとしています。
賀茂大社の正体を探っていけば、鴨氏の祖はアジスキタカヒコネやコトシロヌシにいきつくのです。
別格だった賀茂大社
賀茂大社が古代において伊勢神宮と変わらない別格の地位にいたことをご存じでしょうか?
賀茂大社は平安遷都以降は桓武天皇の度重なる参拝から皇室との繋がりが強くなり、「賀茂皇大神宮(カモノスメオオカミノミヤ)」、さらには「賀茂御祖皇大神宮(カモノミオヤスメオオカミノミヤ)」と称せられました。
それだけではなく、賀茂大社の神様は「賀茂皇大神(カモノスメオオカミ)」と称せられ、807年には正一位を賜り、国内随一の地位が与えられています。
「皇大神宮」とは、現在の伊勢神宮のことを意味し、「皇(スメラギ)」は天皇を意味するため、「皇大神宮」は天皇の大神を祀る宮を意味します。
そして伊勢神宮と賀茂大社の二社だけ、神社に未婚の皇女を奉仕させる斎王制度がおかれていました。
賀茂大社に使われていた皇大神宮の文字は、現在では明治政府の強い要請によって取り払われましたが、賀茂大社が天皇家や古代日本でどれだけ別格だったのかがわかります。
なぜ賀茂大社が別格なのか?
賀茂大社を祀る鴨一族は、ヤマト中央豪族の中でも君の姓を許されている数少ない一族です。
君の姓は、中央豪族の中では天皇家に準ずる地位にいたとされる豪族に与えられた姓です。
君の姓を許されているのは鴨氏と同じくコトシロヌシを祖とする大神氏だけです。
古代日本や天皇家にとって別格であった鴨氏と賀茂大社。
なぜここまで別格扱いをされてきたのか…それは、ここまで動画を見てくださった方にとってはもうお分かりでしょう。
高天原勢力=天皇家にとって、葦原中国を統治することができたのはアジスキタカヒコやコトシロヌシのおかげであり、この2柱の神が出雲を裏切りがなければ、天皇家が葦原中国を統治することがなかったのです。
天皇家にとってアジスキタカヒコとコトシロヌシを祖とする鴨氏には感謝してもしきれない功績があった…だから天皇家に準ずる地位を与え、それを祀る賀茂大社を大切にしたのではないでしょうか?
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は日本神話の中でも重要なエピソードである、国譲り神話の真実について迫ってみました。
裏切りの神であるアメノワカヒコがアジスキタカヒコと同一であり、裏切った対象は高天原ではなく出雲だった…と考えると『出雲国風土記』でアジスキタカヒコが良い印象で描かれていないことにも納得でしょう。
ではタケミカヅチとタケミナカタの対決はどうなるのか?という話は次回以降にまた考察してみたいと思いますので、続編を楽しみにしていてください。
今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
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ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!
この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。
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