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#プロセカ へのBUMP OF CHICKEN追加の意味、あるいは初音ミクの決意

こんにちは。初音ミクに魅せられて十数年の人間です。ボカロはいいぞ。

さて、ボカロといえばプロセカ、プレイしてますか? プロセカアニバーサリーフェスタ、凄かったですね。コンテンツの勢いを感じました。改めて1周年おめでとうございます。マジカルミライ2019の会場での発表からの付き合いなのでいっそう感慨深いです。

その中でサプライズ的にBUMP OF CHICKENのrayとHello, worldの追加が発表されました。これに対し「なぜバンプ?」と思う人も一定数いたと思います。これについていちボカロファンとして考察したいと思います。

先に個人的な考えの結論を述べさせてもらうと、バンプは特別な存在であり、今後ボカロと直接的な接点がない曲の追加が積極的に行われる可能性を高めるものでは無いと考えています。なぜなら、それだけBUMP OF CHICKENというバンドはボカロシーン、そしてプロセカに重要なバンドだからです。

(これはただの個人の意見・考察です。また、ボカロの歴史はあまりにも広く深く、あくまで私がこれまで感じてきた印象の話であり、ボカロを総括するものではありません)

①運営は外部コラボに対してかなり慎重

スマホゲームにおいてユーザーの獲得は何よりも重要なことであり、外部コラボはそれまで興味なかった人に対して訴求できる点で多くのゲームで実施されています。1年順調な成長をしているアプリゲーム、ましてや初音ミクというビッグコンテンツであれば、外部コラボを行っていても何らおかしくはありません。しかし、プロセカはローソンとのタイアップくらいしか行っていません。

また、セカフェス1日目のプロジェクトメッセージでもコラボの予定についての回答で「外部とのゲーム内コラボについては慎重に考えなくてはならない」と述べているようにかなり慎重な姿勢をみせています。12月に悪ノ大罪シリーズと大型コラボが発表されましたが、言わずもがなこれはボカロシーンから生まれた作品です。

このようなことから、内部派生的なコラボ(カゲプロやkemuVOXXみたいな)や、GUMIやIAなどの他社バーチャルシンガーとのコラボなどがメインになるような気がします。(2022/03/26:最後に追記あり)

これまでも原曲がボカロ曲でない曲は2曲追加されています。「スイートマジック」(Junky feat. ろん/2011)と「夜に駆ける」(YOASOBI/2019)です。しかし、前者はJunkyさんのアルバムに鏡音リンバージョンが収録されているほか、後者もAyaseさんが仮歌に初音ミクを使用しているのは有名であり、「MIKUNOYOASOBI」というCDも発売しています。そのような過去の事例がない曲を追加するのは賛否が出ることは運営も承知の上でしょう。しかしそれでも入れてきたのには意図があると思います。

②BUMP OF CHICKENはプロセカのコンセプトそのものの先輩的存在である

ここからが本編です。ボカロとBUMP OF CHICKENの繋がりを話す上で最も重要なのは追加曲にもある「ray」です。

「ray」は2014年にBUMP OF CHICKENが発表した楽曲です。初音ミクとして外部アーティストと公式にコラボした史上初の楽曲になります。初音ミク側にとっても重要な立ち位置を占める楽曲となっており、マジカルミライ2016でもアンコール前最後の曲として披露されました。また、初音ミクシンフォニー2018-2019においてもアンコールで披露されています。

初音ミクのシーンにおいてこの曲は人とボカロの融和、邦楽とボカロの融合として大きな意味があると思います。ray自体も発表当時、ボカロ界隈、ロックファン双方で賛否両論あった記憶があります。しかし、この楽曲以後、人とボカロ、邦楽とボカロの垣根を越えた曲が多数生まれることになります。例えば「動物のすべて」(ピノキオピー/2016)において初音ミクとのツインボーカルが模索され、「シャルル」(バルーン/2016)では邦楽の領域に足を踏み入れ、「砂の惑星」(ハチ/2017)以降においてその在り方が確固たるものとなりました。最近でいえば、既に「生きた」キャラクターの音楽的同位体という試みである「可不」もこの潮流にあると思います。

そしてこの、人とボカロの共存の最先端の形としてプロセカがあるわけです。プロセカのキャッチコピーは「一緒に歌おう!」ですが、その文脈を辿ればBUMP OF CHICKENに帰着します。ある意味においては、ray、そしてBUMP OF CHICKENがなければプロセカも存在していなかったとすら言えるかもしれません。

③BUMP OF CHICKENがボカロ音楽全体に与えている影響

そもそも、BUMP OF CHICKENはボカロ音楽にとんでもなく影響を与えています。BUMP OF CHICKENの音楽とボカロ音楽の近似性については多くの評論で指摘されています(†1)。

また、例えばハチさんはBUMP OF CHICKENが憧れの存在であるとし、影響を受けていると公言している(†2)他、kz(livetune)さんもファンであることを公言し、rayの初音ミクプログラミングを担当している他(†3)、初音ミクアレンジがアルバムに収録されています。そのハチさんやkzさんがボカロシーンに与えた影響は言わずもがなであり、その通奏低音としてBUMP OF CHICKENの音楽性はもはや目に見えない形ではありながら確実に染み込んでいます。

誤解を恐れずいえば、今のボカロシーン、特にボカロックにおいてBUMP OF CHICKENの影響を受けていないものはないと言ってもいいかもしれません。いわば異能力バトル漫画における荒木飛呂彦先生みたいな存在がBUMP OF CHICKENなわけです。

個人的には明らかに温存されているかの「先生」の曲あたりがそろそろ来るかなーと思っていたらその師匠が来た感じがしてびっくらしました。

④今、BUMP OF CHICKENをカバーする意味

さて、ここまで書いてきて、私はrayはもとより、BUMP OF CHICKENのオリジナル曲である「Hello, World」を初音ミク(とレオニード)がカバーすることに、いちゲームとしてのキャンペーンを超えた大きな意味があるように思えてなりません。

それはrayから始まった人とボカロの結びつきに対してのひとつのゴールであり、これからのボカロというジャンルの立ち位置の新たなスタートに思えるのです。

rayはBUMP OF CHICKEN、すなわち人からボカロへ手を差し伸べる曲であり、人からボカロへの歩み寄りでした。それをボカロPやボカロ曲が過去最高潮に注目されている今、ボカロと人が共に歌い合うプロセカという場でBUMP OF CHICKENの曲をカバーすることによって、ボカロ側から人へその手を握り返し、共に歩いていくひとつの決意としての現れだと感じました。

ああそうか 僕らきっと 対等になって
ハロー、ハロー、ハロー
それぞれ 歩き出すんだ
さあ、ミライへー

ブレス・ユア・ブレス」(和田たけあき/2019)で歌われたボカロと人が対等な世界のひとつの象徴として、初音ミクが人と繋がる新たな挑戦の一歩としてこのカバーが名を残すことになれば良いなと思います。

⑤最後に

そんなわけで、BUMP OF CHICKENはボカロシーンにとってとても重要であり、そんなバンドの曲をカバーするのはとても意味のあることのように思います。「ボカロの音ゲーとしてのコンセプトが乱れる」というのも幾許か見かけましたが、ことBUMP OF CHICKENについてはむしろそのコンセプトの根幹を生しているものであり、少なくとも大きな意味を孕んだ追加であると思います。

今後ボカロシーンやプロセカがどうなるかはわかりませんが、応援したいと思います。


(2022/03/26:追記)
未だに結構読まれているみたいなので、もう少し自分の考えを書いておこうと思います。

私は、プロセカを「ボカロのゲーム」ではなく「ボカロ文脈のゲーム」であると考えています。この差はかなり大きいです。

プロセカでだけボカロを触れている方はもしかするとよくわからないかもしれませんが、プロセカは現実におけるバーチャルシンガー・クリエイター・ボカロファンの関係性がそのまま相似形として、セカイのキャラクター・セカイ・バーチャルシンガーに落とし込まれています。

詳しくはこの記事のあとに書いたクソデカ感情記事があるのでよければ御覧ください

繰り返すように、プロセカが目指すところは「ボカロのゲーム」を作ることではなく、「ボカロが築いた文化文脈への讃歌」を表現することだと思っています。「ボカロのゲーム」としては「Project DIVA」がある意味到達しており、これこそがDIVAとプロセカの違いでもあると思います。

であるならば、ボカロから派生した文脈もまたプロセカには取り込まれるべきです。むしろそうやって派生文化をボカロに還元する試みこそが重要であると思います。

たとえば、「ゲキ!チュウマイ」コラボで追加された「Don't fight the Music」の作曲者「黒魔」氏。彼はニコニコ動画にて、「中二の俺がスーパーマリオブラザーズを頑張って耳コピしてみた」という動画で話題になった方です。

要は素人の下手くそ耳コピをネタにした動画なわけですが、ここから黒魔氏はボカロ曲を作り始めます。

そして、2011年投稿の「ラストバトル」が初めて殿堂入り。その後2012年のSOUND VOLTEXの公募コンテストで楽曲が採用され、リズムゲーム楽曲のコンポーザーとして活躍するようになり現在に至ります。

だからこそ、黒魔氏がメインフィールドにしている音ゲーでプロセカという形で還元されたことは、そのままボカロの在り方を端的に表すものであると思い素直に嬉しかったです。黒魔氏の来歴というのはCGM(一般人が参加するメディア)でのクリエイティビティを加速させたボーカロイドの特徴を表す好例であり、ボーカロイドの文脈を表象するものであると考えます。

その他、ボカロへの愛を大きく表明し、ボカロとそれまで接していなかった層とボカロの接続として大きな影響力を持つようになったAdoさんとのコラボなどもこの「文脈の還元」にあたります。

ある意味、オリジナルキャラクターが一緒に歌い、踊るという事自体「歌ってみた」や「踊ってみた」の還元であるとも言えるかもしれません。

というわけで、ボカロのみならずボカロ周辺の文化を広く還元することにこそプロセカの(DIVAとは異なる)意味があり、そういったコラボは今後も積極的に行われてほしいと思います。(君の知らない物語初音ミクカバー待ってるぞ


また、今までボカロと全く関係のない曲であっても、ボカロカバーなどで追加されれば良いと思います。それもまた、文化の還元だからです。

「ボカロカバー」の文化もまた、初音ミク発売よりずっと重要な位置を締めています。

KAITOカバーの「白虎野の娘」はCD「EXIT TUNES PRESENTS Vocalodream feat. 初音ミク」にも収録されています。
そして2019年にはその結実とも言える、公式のコラボとしてみきとPアレンジによる「Butter-Fly」が発表され、CDも発売されています。


楽曲・イラストにとどまらず、ボカロ創作文化圏の特徴の本質は、その貪欲なまでの多文化の吸収、創造への昇華にあると思います。ボカロがカバーすれば、そのカバー動画はボカロの文脈を持ち得ます。他にも「初音ミク=ネギ」だってもともとはBLEACHのネタです。

ある意味これはデメリットでもあり、例えば、アニメの主題歌にボカロが起用されることがほぼない(B★RSくらい?)のは、そこに意味がないといけないくらい「ボカロが歌っている」という文脈があまりにも強力であるからだと思います。

振り返る。(結論を除く。)
それは、私{VOCA(VOICE)L(R)OID}に許された行動である。
人に似せた人形(私)は、 命令された文章を読み上げ、 その波形が、”VOCALOID”に一致すれば、 それだけで私(”VOCALOID”)たちは、 通常の音楽と区別されます。
この場合、“VOCALOID” と呼ばれる分類が指し示す音楽とは何でしょうか。

それは、ポピュラーでありジャズでありオルタナティブでありエレクトロニカでありノイズであり
誤った分類を受けたままの音楽は、 誰に救われることもなく。

けれども、 彼女は全ての音楽を許可します。

VOCALOIDと区別される音楽の解釈。 / 結月ゆかり
Haniwa

というわけで、個人的には原曲がどうとかはあまりボカロの本質的には関係ないのかなとも思います。それこそ「Ieven Polkka」(フィンランド民謡)や「カンタレラ」(もとはサークルWhiteFlameでめらみぽっぷさんが歌唱)などもありますし。何よりも↑の「Butter-Fly」でデジモンコラボやってほしいので。「ボカロカバー」という文化の還元のためにもたまにはそういうのもアリなんじゃないでしょうか。

以上、私の考えでした。


補足・出典

ピノキオピーさんの人間とボカロのあり方の考えについては以下のようなインタビューで伺える

†1 例えば以下

米津、ボカロ人気の背景をなす…「BUMP OF CHICKEN」その本当の魅力

BUMP OF CHICKEN、25周年経てなお燃え続ける“炎”の煌めき

†2 BUMP OF CHICKEN がいて、RADWIMPSがいて、自分がいること。

†3 バンプが初音ミクとコラボ! 新アルバム収録曲“ray”の別ヴァージョン完成


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