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私小説③ 老街

学生時代を過ごした田舎のA県から都会のB県に引っ越してきて、もう10年になる。
都会は家賃や諸々が高く、住む場所を探すのに苦労した。
結局、家賃の安さから謳い文句は「最寄駅まで徒歩10分」の、実際は最寄り駅まで徒歩で20分かかる老人ばかりが住む街で暮らすことにした。

ある日、若いCさん夫婦がこの街に引っ越してきた。Cさん夫婦は大変朗らかな夫婦で、人情も厚い。

そうしたCさん夫婦に老人たちは「遠慮なく」頼り始めた。
「網戸が壊れたから見にきてほしい」
「粗大ゴミが重いから捨ててきてほしい」
挙句、「洗濯機が動かないから貸してほしい」と言い出したこともあり、
私は「ここまで来たら老害だな」と常々思っていた。

ところで、ある日の町内会に参加した時のこと、老人たちが「春祭りで民謡を歌いたい、この地域独自の。だから作ってほしい。」と言い出した。

私の中では、民謡は歴史があるからこそ歌うことに価値があるのだと思っている。
誰が好んでSince2023の民謡を歌い、ありがたがるのだろうか。

しかし、Cさん夫婦はその人柄の良さから、この話を引き受けることとした。渋々、私も。

民謡を作る上で、老人たちに街の歴史についてインタビューをした。

「この街は干拓地だから歴史は浅い。」
本当に歴史の浅い、ただ老人が住んでいるだけの廃れた街、いわば「老街」だなとやる気を失っていた。

そうした町内会の時間が流れていく中で、しんみりと老人Dが語り出した。
「戦後間もない生まれで、脱脂粉乳が臭くてね。あれは飲めなかった。」と苦しかった時代の話が涙ながらに出てくる。
老人Dは今でも乳製品を食べると脱脂粉乳を思い出し、吐いてしまうそうだ。
さすがにこうした話が出てくると弱い。
きっとこの老人Dも大変な苦労があったのだろう。

町内会が終わり自宅に帰っていると、途中で老人Eに声をかけられた。
小声で「Dさん、『戦後間もない時代生まれ風』なことばかり言って皆を困らせるのよ。
だって俺と同じ1960年生まれよ。
脱脂粉乳は俺たちは飲んだことないもの。
ここだけの話、Dさんのこと皆嫌いだよ。」
聞けば、老人Dは大企業に入社して順調に出世をし、早期退職をしたという。休日はゴルフ三昧とのことだ。
だからこそ人々から妬まれ、さらに地域から疎まれている。

後日、Cさん夫婦とSince2023の民謡作りの打ち合わせをした。
Cさん夫婦は老人Dが戦後間もない生まれだと信じきっている。
「『硫黄島からの手紙』って映画あるでしょ。『大変な時代もあったんだな』ってまるで他人事なのよ。でもそうでも思わないと生きていけないんでしょうね。」
「ある日、晩飯の話になったんだ。『うちはクリームシチューです』って答えたら『私は戦後の脱脂粉乳の影響か、乳製品が食べられなくてね』って。脱脂粉乳って本当に臭かったらしいですね。」

少し調べてみたところ、1950年代半ばの給食から脱脂粉乳は消え、牛乳に移り変わっているらしい。
老人DとEはSince1960なのだから、彼らが給食を食べる頃には牛乳に移り変わっている可能性が高い。老人Eの証言もある。
脱脂粉乳を経験した可能性は否定できないが、ただの乳製品嫌いではなかろうか。
さらにいえば老人Eを筆頭に「老街」の老害たちからも疎まれているのだから、
「老街」の中の老害、
Top of the topな老害である。

おそらく次に揉めるのは楽器をどうするかだろう。
戦後間もない楽器の話が出てくるのだろうか。老人Dも必死で調べてエピソードを作ってくるだろう。
そう考えると楽しみでもある。

現在進行形で民謡作りは進んでいる。しかし歴史がないこの「老街」でSince2023の民謡ができるのだろうか。
私とCさん夫婦のセンスが問われている。

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