砂漠のポプラ
「パンツ羽毛にしちゃった」
奥さんが手で口を隠しながら、ちょっといけないことをしたような、テヘペロ的な顔をしながらぼくに言った。
パンツ…を羽毛にする…?
洗濯を失敗か何かして、ぼくのパンツを羽毛のようにしてしまったんだろうか?
それとも、奥さんが高級羽毛のパンツなんかを買ったりしたんだろうか?
理解できなくて「?」な顔をしていると、奥さんは続けた。
「あの、前話したことある原宿のパン屋さん覚えてる? そこが通販始めたから注文しちゃった」
…
「パンツ、羽毛にしちゃった」んではなく、「パン、注文しちゃった」のだった。
ぼくのパンツが羽毛状になったわけでも(羽毛状のパンツって何だ?)、奥さんが高級羽毛パンツを買ったわけでもなかった(高級羽毛パンツって何だ?)。
ぼくは昔から聞き間違いが非常に多い。
先日も諸事情で病院に行っていたのだけど、院内を案内してくれていた看護師さんがエレベータの中で、
「降りたところにショートケーキがありますのでご協力お願いします」
と言ってきた。
混乱しているとエレベータが止まり、扉が開いた目の前には『消毒液』があった。
単語の聞き間違いなんかは日常茶飯事だが、文章まるまる違う意味に捉えてしまうこともある。
一つよく覚えているのが、中学二年生の頃、『あすなろ白書』という当時爆発的にヒットしていたトレンディドラマを家で姉と一緒に観ていたときのこと。
石田ひかり演じる主人公なるみの髪の毛を、鈴木杏樹演じる友人の星香(せいか)が、櫛で梳きながら結ぶか何かしてあげてるシーン。
松岡(西島秀俊)という友人が事故死した直後で、しっとりした悲しみに包まれている場面だったと思う。
少し関西弁訛りのある星香がこう言った。
「神、仏(ほとけ)ちゃったんやね。私、仏教やから」
突然なんだ…? と思った。
ドラマの世界観に合わない、登場人物が言いそうにないセリフ。
しかも単語はそれぞれつながりあるものの、微妙に意味もわからない。
しかし、人の死の直後のシーン。
神も仏も無慈悲だ、とかそういうことだろうか。
まだ中学生のぼくには理解し得ない、深い意味があるんだろうか、など思った。
姉が食い入るように見ていたので、頭に「?」を置いたままその回の放送の終わりを待って、姉に訊ねた。
「さっきのどういう意味? 突然、神だの仏だの」
「は?」
「いやだからさっきのセリフ。『神、仏(ほとけ)ちゃったんやね。私、仏教やから』っての」
きょとんとする姉。
「そんなセリフなかったよ」
「あったやん、髪といてるときのシーンで!」
ぼくの言葉を受けた姉が少し考えたあとで
「あんたそれ、『髪、ほどけちゃったね。私、不器用やから』だよ?」
と言った。
思い返せば、星香が結んだなるみの髪が、たしかにほどけてしまっていた。
姉と答え合わせをしたあと、あまりのよくできた聞き間違いに、二人で妙に感心してしまった。
「かみ、ほとけちゃったんやね、わたし、ぶっきょうやから」
「かみ、ほどけちゃったね、わたし、ぶきようやから」
これは奇跡の聞き違いじゃないだろうか?
これはぼくが悪いんだろうか。
羽毛パンツ発言のとき、奥さんには特に何も言わず、この思い出を一人回想したりしていた。
四半世紀も前の、こんなくだらないことを今でもはっきり記憶していて、奥さんとの会話中こんな思い返しをしている夫を、奥さんが知ったらどう思うのだろうか。
…きっと、なんとも思わないだろう。
書いていたらぼくの好きな真心ブラザーズの「ポプラ」を連想したので、その一節を最後に置いておく。
砂漠のポプラ
君の声、そう聴こえたよ
ぼくは人より聞き間違いが
多くて大変なんだよ
いついつまでも
仲良くしよう
そうまだ
ぼくら始まったばかり
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