今夜は涼しいぞ。
さっきから思うことを書いては消し、書いては消し、している。
”意見”のようなものは、思わぬ鋭い響き方をするので、発言するときはユーモアに乗せて提供するのがセオリーだ。
まだここの文章にユーモアを用いる段階ではない、と考えているので、書いては消し、書いては消し、しているのだ。
それにしてもユーモアって口に出せば出すほど、そんな言葉だったか?という気になる。
なんだユーモアって。
別に字面としては何とも思わないが「ユーモア」という音韻に強い違和感を憶えてきた。
ゲシュタルト崩壊の聴覚バージョンだ。
そういうのなんていうのかな…と思って調べたら、聴覚でもゲシュタルト崩壊と言うらしい。
そういえばゲシュタルトってなんだ? 誰だ?
PCを個人が所有するのが当たり前になって(そらパーソナルコンピュータだから当然か)、インターネットが普及して、スマートフォンなんていうものができて…
気軽に検索できるようになって、検索中毒になっている。
なんでもかんでも気になることは、考える前に左手の親指がすすすいと動き出してしまう。
調べること自体は悪くないが、検索って本当は調べた内に入らない。
手だけが能動で、頭は受動だ。
若い時分、「愛読書は広辞苑」といって差し支えない時期があった。
当時は言葉も鋭敏だったし、漢字もよく書けた。
今は本当に鈍ってる。
人間は頭がいいから、できることが多い。
そして、自分が持つ能力を外に出すことができる(=道具を作り出す)。
そうして外に出された能力は使うことがないので退化していく。
昔の人の方が絶対頭が良かったと思う。
ことわざとか四字熟語とか見事すぎる。
物の本によると、昔の日本人の身体能力はすさまじかったらしい。
飛脚なんてどう計算しても現代人では不可能なスピードで移動していたとのこと。
何が言いたいのかわからなくなってきた。
なんで飛脚のすごさなんて書いてるんだ。
文章の勘を取り戻すまで、「日記的なものを毎日書いて投稿する」、と決めていたけれど、おもしろみのない、意味のない、どこにも辿り着かない文章を書くことに、正直なところ早くも自分で飽きてしまった。
予定よりずいぶん早いが、勘も冴えてないままだが、そろそろ自分が読みたいような文章、を時間をかけてちゃんと書いていこうか。
noteをどうやって使っていこうか、使い方をちゃんと読んでその辺りを詰めていこうか。
プロフィールも整えて人の投稿も読んだりしようか。
今夜は涼しいぞ。
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