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久しぶりに、クレヨンしんちゃんの映画を見てみた。

私がまだまだ小さかった頃、お父さんが近所の映画館に連れて行ってくれて、一緒にクレヨンしんちゃんの映画を観たことがありました。

何の作品を見たのか今では全く覚えていません。ですが、当時はものすごくハマってしまい、それからというものレンタルビデオ屋さんでクレヨンしんちゃんの過去作を借りては、何度も何度も繰り返し鑑賞したものです。

ただそれでも、幼かった頃に観た映画はなかなか記憶に残っておらず、私の中では「面白かった」という漠然とした思い出しか残っていませんでした。

それこそ最高傑作と名高い『モーレツ! オトナ帝国の逆襲』や『アッパレ! 戦国大合戦』なども面白かったという印象はありますが、なぜそこまで評価されているのか私にはいまいち分かりませんでした。

しかし、そんな曖昧な記憶の中にもひとつだけ、今でも強く印象に残っているシーンがあります。

それがこちらです。


キャプチャ333


人影のない場所。

そこにポツンと佇む、「カスカベ座」という名の映画館。


おそらく、クレヨンしんちゃんファンの中には、

「え? なんでこのシーン (´・ω・`)?」

と、疑問に感じた方もいらっしゃると思います。そもそも何の映画だよ、と思った方も多いのではないでしょうか。

それでも私は「クレヨンしんちゃんの映画」と聞くと、必ずと言っていいほどこの景色が蘇ってきます。

いったいどうしてここだけが印象に残っているのか私にも分かりませんが、毎回このシーンを思い出すたびに、郷愁に似た懐かしさを覚えるのです。

ちなみにこの場面は、映画『クレヨンしんちゃん  嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ』の冒頭で登場します。


キャプチャ433

『夕陽のカスカベボーイズ』は、2004年に公開された映画で、クレヨンしんちゃんの映画としては12作目にあたります。

『オトナ帝国の逆襲』と比べると人気も知名度も低い本作品ですが、一部のマニアからは最高傑作と名高い評価を受けているらしいです。

かくいう私も、そのうちの1人なのですが(/ω\)

以下、あらすじとなります。


<あらすじ>

【ある日、高鬼をしていたかすかべ防衛隊の5人は、町中を駆け回っているうち、一軒の古びた廃映画館「カスカベ座」を見つける。

誰もいないはずの劇場では、ひたすら荒野が映し出されているだけの映画が、ひとりでに、ひたすら無音で上映されていた。それを見つめるかすかべ防衛隊。

だが、トイレに立ったしんのすけが劇場に戻ると、風間達はどこかに姿を消してしまっていた。

夜になったが、しんのすけ以外の四人は、いまだにそれぞれの家に帰っていない様子。行方不明になったみんなを心配した野原一家(しんのすけ、ひまわり、みさえ、ひろし)はしんのすけ先導のもと再びカスカベ座を訪れるが、またも流れていた荒野の映像に目を奪われているうちに、気が付けば映画と同じ、何もない荒野に立っていた。】

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)



🚨注意🚨

これから感想に移ります。

が、その前に――


「まだ映画を観たことがない」というそこのあなた!!

悪いことは言いません!! 

まずは映画をご覧になってください!! (; ・`д・´)

ネタバレ無しで見た方が、ラストでより感動できると思いますし、見終わった後グッと胸に来るものがあると思います。特に私のような、子供の頃に観たけど全然内容を覚えてないって人ほどオススメできる作品です。

それこそ、「騙されたっ」と思って観てみてください!!

ちなみに、Amazonプライムに入会している方なら、プライムビデオでクレヨンしんちゃんの映画をほぼ全て無料で見ることができます! 是非この機会にご覧になって頂けたらな、と。(;^ω^)

それでは、またの機会にお会いできることを楽しみにしております。バイチャ('ω')ノ

(既に映画をご覧になった方は、以下の感想まで目を通していただけるとうれしいです)

|д゚)

<感想>

――まだ映画を観ていない、という方はいませんよね?💦

それではまず本作品の評価についてですが......

なんと、95/100点というなかなか点数の高い結果となりました!!

評価が高くなった理由としましては、ストーリー構成の良さと、昔の映画ならではの良さ、そして『映画』というテーマを最大限まで表現できていた素晴らしい作品だったからです。また、クレヨンしんちゃんならではのギャグも十分に楽しめたので、このような点数となりました。

逆に100満点じゃなかったのは、単純にみさえの歌っているシーンが見てて辛かったので5点引かせていただきました。( ͡° ͜ʖ ͡°)


うーん、正直なところ「子供向けの映画だろ」と侮ってましたが、22歳の捻くれた大人でもここまで没入できるような作品だとは思いもしませんでした。

そもそも登場人物たちが映画の中に迷い込むという設定は、今まで見たことがなく、「これからどうなってしまうんだろう」と、最初から最後までドキドキワクワクしながら映画を楽しむことができました。なんだか童心に帰ったような気持ちです。



ーーいや、そんなことよりもまず......


つばきちゃん可愛い!! 

つばきちゃん可愛い!!

つばきちゃん可愛い!!!! (*´Д`*)はあはあ

※大事なことなので3k(ry

キャプチャra

(👆 私はこのシーンが一番好きです)


今回観た映画をきっかけに、クレヨンしんちゃんの映画を片っ端から観ていくつもりですが、おそらくこの子以上にヒロインしているキャラは出てこないんじゃないかと(^-^;

しんのすけが、ななこおねえいさん以外の女性、しかも恋愛対象は女子高生以上と決めていたのにも関わらず、つばきを好きになってしまったことにも深く頷けます。

電車の中でしんのすけがつばきに告白するシーンとか、もう胸がキュンキュンしました。( *´艸`)

キャプチdfasgャ


――ただ、今思い返してみると、本当にしんのすけがつばきを好きになっていたかどうかは、少々疑問が残るところです。

真偽は定かではありませんが、そこら辺のことも、次の考察でお話ししたいと思います。



<考察>


ところで、ネット界隈では、「つばき=シロ説」というものがあります。

なんでも

『つばきの心は元々、シロの中にあった』

という説や、

『つばきの魂がシロに乗り移った』

というものなのですが、皆さんはどうお考えでしょうか??

ちなみに私はそうは思いませんでした。

というのも、しんのすけにとって家族や恋人レベルで大切な存在だったのが、映画ではつばき、現実世界ではシロ、というふうに対比されていただけで、「つばき=シロ説」はちょっと強引な気もします。

たしかに私もつばきがシロだったらとても嬉しいのですが、水島努監督も否定しているように望みは薄いのかなと思います。( ;∀;)

また、ラストのシーン(『おわり』が出てくるところ)では、「一緒に帰れるね、つばきちゃん」と、しんのすけの言葉に対して、つばきは何も答えず、ただ優しい笑みを浮かべるだけでした。

『はじまり』があれば『おわり』があるように、しんのすけとつばきの物語はここで終わってしまいます。もちろん映画の中の住人であるつばきはそのことを知っているので、しんのすけに思いを伝える最後のチャンスだったのですが、つばきはあえてしんのすけには何も言いませんでした。

映画や物語の設定上、主人公とヒロインが結ばれるというのは定番中の定番なので、おそらくしんのすけとつばきは両思いの関係にあったと思います。(※ただし、この設定のせいで、しんのすけが本気で恋をしていたのかどうかは分かりませんが)

では何故、つばきはしんのすけに何も言わなかったのか。

ここからは私の想像になりますが、きっと、しんのすけに辛い思いをして欲しくなかったからあえて何も言わなかったのだと思います。

もしここでつばきが、しんのすけの言葉に対して「そうだね、一緒に帰ろう」みたいな言葉を返していたらどうでしょうか。

おそらく現実に戻った後でも、しんのすけの心からつばきの存在は消えずいつまでも残っていたと思います。

(つまり、しんのすけはつばきが映画の中の住人だと気づかず、映画が終わった後でもつばきのことを忘れられないのではないか、と私は思いました。)

では逆に、自分の正体を明かして「ごめん、私はそっちに行けないんだ」と言っていたらどうでしょうか。

それはそれでいいと思いますが、もしそうなった場合しんのすけは帰りたくないと駄々をこねて(現実に戻ったときのように)、下手すれば映画は終わることなく、しんちゃん達は現実に帰れなくなっていたかもしれません。

映画の主人公がラストでそんな姿を晒したとき、果たして監督はOKを出すでしょうか。


ですので、「何も言わない」というのが最善の選択だったのかな、と私は思いました。

ちなみに椿の花には、「控えめな素晴らしさ」や「控えめな愛」という花言葉があります。

「しんのすけには幸せになって欲しい」という気持ちがつばきにあった。その気持ちが表情に現れていた。そう考えるとしっくりくるような気がします。

しかし、つばきに限らず映画の中の登場人物らは、いずれしんちゃん達の記憶から忘れられてしまう運命にあるんですよね。

そこが寂しいといいますか、なんとも言えないもどかしい気持ちになっちゃいます。(´・ω・`)

特にヒロシが映画館を出るとき、「あれ? 俺たちなんでここにいたんだっけ?」みたいな感じで劇場内を振り返るシーンなんか、すごく胸が締め付けられました。



最後に余談ですが、皆さんは『ジャスティス・ラブ』についてはどう思いましたか? 

名前があれなので分かりづらいのですが、この人のことです。

キャプチfasgeャ

人々に強制労働をさせ、おじさんを馬で引きずり回すなどとんでもないことをしていたので、大半の方は彼に対してマイナスなイメージをお持ちになったと思います。

ですが、ちょっと待ってください!

見方を変えれば、彼のいい所も少なからず見えてくるはずです!

まず、本作品で彼は完璧と言っていいほどの悪役ぶりを発揮していましたが、これも『映画の設定』だった、と考えればどうでしょうか。

彼は作中、自分のことを「この映画の主人公」と発言していました。

たしかに彼は行き過ぎたことをしていましたが、振り返ってみると、どれもこれも『映画を終わらせたくない』という目的があっての行動だったと思います。

例えば、『おわり』の場所に行かせないよう人々に強制労働させたり、アンチジャスティス達が反乱を起こさないよう、見せつけとしてその1人を馬で引きずり回したり......。(ちょっと強引な解釈かもしれませんが💦)


「映画を終わらせたくない」

実はこの思いって視点を変えてみると、映画の中の人々を救うことでもあるんですよね。

つまり人によっては、彼はヒーローのような存在になっていたのかもしれません。それこそ、物語の主人公のように。

またラストのシーンで「まだ終わりたくっ......」と嘆いている姿がすごく印象的で、私はこのキャラを憎めないなあと思ってしまいました。

もちろん、少しだけですよ。少しだけ。🤏

みさえやしんのすけに対して行ったことは、それはもう酷いもんでしたし、それはちょっとね、世間は許してくれりゃせんよ。



......とまあ、ここまで長々と書いてきましたが、要は、「クレヨンしんちゃん最高ッッ!」って話です!

子供も大人も楽しめる映画って結構レアですよね。私も将来、息子が出来たら一緒に見に行きたいものです。

また読者の皆様へ、最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。m(_ _)m

気づけば4000字ですよ、4000字!

本当は1000字くらいにまとめようかな、と思っていたので自分でもびっくりですw

これからも、何か心打たれるような作品に出会えたら、その度noteに書いていこうと思います。

もし見かけたら読んでもらいたいな.......なんておもっちゃったり(*´Д`*)

では、またの機会に。_(:3 」∠)_

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