「僕はnoteを書くには不十分な器だ。」

 ここ最近、"note"というコンテンツを用いて文章を書きそれを伝える活動をしている人が僕の身の回りで発生してきているらしい。何やらブロガーのオフ会なるものもあるらしく、非常に精力的な活動をしているとか。自分は「意識高いなあ…」とおもいながらただただその様子を眺めていた……

 あ、皆さんこんにちは。はじめましての方ははじめまして。この男、ハンドルネームはPlazaというらしい。普段はただただ大学生活を送っている。細かな自分の情報は、またnoteの中で書いていくとしよう。

 さて、話は冒頭の話に。先日、僕の同級生が、noteでブログを書き始めた。その内容はとても意識が高い、手が届かないと感じさせる内容であった。彼には感心ばかりであった。と同時に、何やら羨ましさを感じていた。彼のブログが更新されるたびに、その二つの思いは加速する。
 羨ましさというものは、劣等感から生まれる。おそらく僕はその時、
「自分にはnoteを書く度量が存在してないのだ」と思っていたのだろう。noteというものに対する敷居が高いところにあると、猛烈に感じていた。

 その時、もう一人の自分が、こうささやいた。

 ――「自分の考えを、知ってもらいたい」――

 自分が書きたいことを書くのがnoteだ。他人を気にする必要はねえ。三番煎じだろうが構わねえ。

 という思いを盾に、勇気を振り絞って今このつたない文章を書き始めた。今後は自分の人生に対する考えやただの日記、ゲームについてなど様々なジャンルの文章を書いていこうと思う。

 ここまで読んでくださった方。感謝感激雨あられ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?