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前方後円墳だけじゃない!?古墳のいろいろ

 みなさん、古墳は好きですか?近年、何かと注目を集めている古墳。マニアもかなりいらっしゃるとか!そんな古墳の数は全国になんと、約16万基全国のコンビニの数より2倍以上も多いんです!
 古墳というと前方後円墳を思い浮かべる人は多いと思います。しかし、その形には色々あり、さらに内部の構造も様々で、もっというと副葬品も多様で面白いんですよね。今日はそんな古墳時代の話をイラストをベースに話していきたいと思います。

古墳時代の時期区分

古墳時代と言っても定義にはいろいろあり、今回は上記の時代に分けてお話します。

古墳形態の変遷

 出現期・前期では西日本を中心に前方後円墳、東日本中心を中心に前方後方墳が分布していました。前方後円墳は一番有名な古墳ですね。鍵穴のような形をしています。文字の通り後ろが円墳です。この時期の有名な前方後円墳といえば卑弥呼の古墳ではないかといわれている奈良県の箸墓古墳です。一方、よく文字が似ている前方後方墳はろが形(四角形)の古です。
 しかし中期になると、前方後円墳が巨大化します。これは前方後円墳の被葬者の権力が拡大したということが考えられます。また同じ前方後円墳という形のものが全国的に拡大したことから、何らかの勢力範囲も全国に拡大したということがわかります。この何らかの勢力はヤマト政権だと言われています。
 後期になると、群集墳と呼ばれる小型の円墳などの集まった古墳群が見られるようになります。有力農民層でも古墳の造営を始めたのではないかと言われています。
 終末期になると八角墳と呼ばれる八角形の古墳が登場します。この古墳についても謎が多いのですが、なぜ八角形かというと、八角形が天下八方の支配者にふさわしいという中国の思想の影響だと考えられています。この古墳の被葬者はヤマト政権の大王と言われていますが、一方で東日本からも発見されていることから、単に大王即位の記念として造営されたのではないかという説もあります。また装飾古墳という古墳の壁画に装飾を施したものも見られます。

竪穴式石室
粘土槨

 次に古墳の内部構造についてです。古墳の内部構造は出現期~中期にかけては竪穴式石室が多く見られます。竪穴式石室はその名前の通り、たての穴に石室が設置してあります。石室は造営の過程で埋められるため、個人葬しかできません。また竪穴式石室と同じ時期に粘土槨というものも見られます。粘土槨は木棺の周りを粘土で覆ったもので、石室がないのが特徴的です。

横穴式石室

後期になると横穴式石室が多く見られます。横穴式石室はその名前の通り、よこの穴に石室が設置してあります。棺が設置されている空間を玄室といい、入口から玄室までの道を羨道といいます。入口は閉塞石でふさがれています。横穴式石室では追葬が可能です。家族墓的性格を持つ古墳だということがわかります。

副葬品の変遷

 次に副葬品です。今でもお葬式の時に、棺を焼く前に故人の好きなものを一緒に棺の中に入れる習慣がありますよね。古墳の中の被葬者とともに眠る副葬品はその被葬者の人物像などを考える際にはとても重要な要素となってきます。たとえば、出現期・前期の古墳からは三角縁神獣鏡や勾玉、腕輪型石製品などが副葬品として多く見られますが、これらは儀式や祭祀の際に用いられたと考えられます。一方で中期には馬具や甲冑、鉄製武器などが見られます。これらのことから出現期・前期は被葬者が司祭者的性格であったのに対し、中期になると武術的性格であったということが考えられるわけです。

埴輪の変遷

 次に埴輪についてです。埴輪は先ほど登場した石室のイラストの上の方にのっているものです。埴輪は大王の眠る神聖な空間を、邪悪なものからまもるために設置したのではないかと考えられています。埴輪の中で一番大量に出土されるのは、前期の円筒埴輪というものです。これは葬送儀礼の時に用いられたと考えられています。また前期には形象埴輪という身の回りのものを象った埴輪が見られます。特に家の形をしたものなどが見られます。中期になると形象埴輪の中でも人や馬を象ったものが見られます。(馬かわいいですよね笑)
 後期になると、埴輪とは少し異なった種類のものとはなってきますが、石でできた人や馬を象った石人や石馬という石造彫刻も見られます。これは岩戸山古墳などで出土されています。

 いかがだったでしょうか。今回は古墳の様々なことをみてきましたが、以外と面白い!と思ったり、難しい!深い!と思ったりする方もいらっしゃると思います。古墳は実際に行ってみてからが面白いと思うので興味のある方はぜひ、行ってみてください!

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