見出し画像

トカゲの尻尾

先日、ぺんぎんさんの記事を読んで、
子供の時に信じていた事を思い出した。

ペンギンさんは子供の頃に車で移動中、月を見た時に建物の影に隠れた後、再び月が見える事を月がついて来ていると思った事と雲に乗れると思っていた事を書いていた。
今から考えれば可愛らしい幼少期の思い出。
この記事にコメントをしようと自身の思い出を
遠い日の記憶から探って1番初めに思いついたのが、“蜥蜴の尻尾を育成していた事”だった。

ある日、いつもの様に近所の子供数人で遊んでいた。その時に5つ上のガキ大将が『凄いものを見せてやる』と土の入った虫籠を見せてくれた。
『なんじゃこりゃ?』と思ってよくよく見て見ると土の上に何やら紐の切れ端の様なものが…。
そして、ガキ大将はこの紐切れは、蜥蜴の尻尾で育てれば蜥蜴に成長すると言う。
水を毎日、霧吹きで与えて何でもいいから餌を与えて置くと1週間程で蜥蜴になると言うのだ。
頭の良く無い私は、彼の言う事を鵜呑みにして、
早速、蜥蜴を捕獲し尻尾を採取。
とったすぐは、尻尾だけでも動いていたので、
水と餌を与え続ければ蜥蜴になると信じ込み
3日程、せっせと水を吹きかけ猫のカリカリを与えて世話をした。
3日目、幼稚園から帰宅した後、虫籠を見ると中に尻尾は入っておらずそれ所か土までもなくなっていた。
祖母が気持ち悪いと言って捨ててしまったのだ。
母は、最初に虫籠を用意して欲しいと頼んだ時に、用途を伝えたにも関わらず虫籠を出してくれた。加えて、止める事もなくそのまま、自分の好きにやらせてくれた。
興味を持った事はとりあえずやらせてくれる方針で子育てをしていたのだと思う。

子供のいない自分は普段教育方針などを考える事はほぼ皆無なのだが、ひょんな事から思い出した
幼少期の体験から、果たしてどちらが正解だったのだろうと疑問を持った。
蜥蜴の尻尾を育成すると言う行為は世間的には
かなり異常。それを踏まえれば行動に移す前に
尻尾から蜥蜴にならない事を伝えて育成の行為をさせないのも正解。
逆に子供の探究心を育てると言う意味では、
育成をさせて過ちに自ら気付かせるのも正解。
育成するものが金魚とかであれば、何ら問題は
ないので親も一緒に死なせない様に育てれば
良い教育になるだろうが、事が蜥蜴の尻尾だけに
複雑になってしまう。
どちらが教育として正しかったのか?
はたまた、どちらも正解だったのかも分からないが、成長した自分を俯瞰すると…更に正解は何だったのかが余計にわからなくなった。

ぺんぎんさんの記事は幼少期の可愛らしい思い出を綴ったホッコリとさせてくれるいい記事です。
興味を持たれた方は是非、読んでみてください。


この記事が参加している募集

スキしてみて