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エッセイ)〇〇らしい、〇〇ぽい

久しぶりに朝からニュース番組をみた
SNSで母親が胸元の開いた服を着た写真を
投稿すると母親らしい格好をしろって
メッセージがくるらしく、それに対して
母親らしいってなんですか?
お洒落をしたらダメですか?
的な反論をあげた事が取り上げられていた。

“らしい”や“ぽい”なんて誰かの主観に過ぎず
どんな格好でも見た人の勝手な理論で
“らしい”や“らしくない”は決まるものだ。
結局、誰がなんと言おうとそんな物に
不変のルールは存在しない。

ただ、全てに置いて多数派、少数派の意見が
存在し大抵の場合、前者が正義となりうる。
この件に関して言えば、母親から性的な
香りがする物はタブーだと言うのが、
あくまで一般論であり、
それを犯せば批判の対称となる。

しかしながら、時代と共に一般論は変化し
その割合で強さが決まるものなので
現段階に置いて果たして何割が
母=性的非対称を
推奨しているのかはわからない。

もし、これが100対0の割合、
又はそれに近しいものであれば
そもそもこんな事は
取り上げられる事ではないのであろう。

自分としては、
今回の様に母親が胸元の大きく開いた服を
着る事に関して男としては賛成。
綺麗な人がそんな格好してくれるなら
確実に見るだろうし感謝しかない。
ただ、もし自分に子供がいて
嫁がそんな格好をしていたら確実に止める
世間体がどうたらで、もっと大人しい格好を
と言うだろう。

結局、女性のセクシーな服をどう捉えるかは
世の男の性的基準がその理論を大きく左右するのだと思う。
勿論、ミニスカートや胸元の開いた服を
着る人はそれがオシャレだと言う美的感覚で
着用しており、それがそのまま性に直結する
とは思っていない人が大多数であろう。
中には敢えて男のエロに寄り添っている
いる人もいるのだろが…。
前者の人達にとってオシャレ=性だと
思う男は気持ちの悪い存在になる。
そして、それを理解している男性が多いので
わざわざ嫌われる覚悟でその事を口に出す男は
少ない。

そういった男女の関係性等の結果
性=悪の図式が成り立ちそれが多数派の意見
であると大腕を振って闊歩している現在
今回、取り上げられた件について言えば
セクシーな服=オシャレよりも
セクシーな服=性
と思う私の様な人間が一定数いる限り
批判の対象となる事は諦めて欲しい。

もし、今回の件が完全に認知されるような
世の中になり“性=悪”の図式が
変わるようであれば、
それはそれで自分の様な昭和生まれの世代にとっては、寂しい気がする。

性的な事はその罪悪感こそ
最高のエッセンスであり存在理由であるからだ。

へんぴな場所に設置されたエロ本の自販機に
周りの目を気にしながらコソコソとエロ本を
買いに行った世代にとって、
携帯電話で簡単にAVを見られる世の中は
とても便利ではあるがどこか、
もの足らない様に思えてならない。










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