プレキシ、謎めいたまま[13]

 僕は中学から、隣町の高校に進学することになっていた、……単に〈隣町〉と書くだけで一体何が伝わるというのか? 何も伝わらない。僕の家から高校に通うのに、まず自転車で最寄りの駅まで行って、それから電車に乗り、途中一回降りて乗り換えて、やっと〈隣町〉の駅まで着くことができた。でもそれは駅であって僕の通う高校ではない。僕はそこからまた自転車(つまり、別の自転車)に乗って高校まで行かなくてはならなかった。

 いまこうして回想的に書いてみて思ったのだけれど、本当に頭がくるっていると思う。どうしてこんな面倒なことを三年間も続けられたんだろう。たぶん、洗脳されていた。いまの自分には絶対にできないことだ、……。

 いずれにせよ、僕は三月のうちに定期券を買った。通うことだけ考えれば四月分からだけ買えばいいわけだが、向こうの駅で駐輪場を契約したり、自転車を買っておいたりすること、……いや、それは決定的な理由ではなくて、思い出したけれど、僕は中学を卒業してから高校に入るまでの空白期間、その隣町の駅前にある塾の高校準備講座かなにかそれらしい名前がついた短期コースに通っていた。それで僕は三月分から定期を買って、たぶんほぼ毎日そこに通っていた、……。母は僕の成績にひどく期待していて、末は僕に医者になってほしいみたいだった。が、僕のほうでは、そんなつもりはさらさらなかった。どうして? どうして僕は医者になんてなりたくないと思ったんだろう、……どうして母は僕に医者になってほしいと思ったんだろう? わからない。医者がどうこうということではなく、僕はとくになににもなりたくなかったのかもしれない。生きるのが不愉快だったから。ただ、それなら死ぬなりなんなりしたらよかったのに、どうして生きていたんだろう。

 ヒルがいたから? ……その可能性はある。

 その可能性はある。もちろん、僕が死なないでいたのは、死ぬのは死ぬので嫌だったからだろうが、それは生き続けることについての消極的な理由に過ぎない。生きることについての積極的な理由が、……ヒルであって欲しいと僕は思っていたかもしれない。中学校の卒業式の日、みんなは友達連中と〈打ち上げ〉に出かけて行ったのだけれど、……僕は、中学を卒業することがどうして祝われるべきなのか、……例えば、高校に合格したことは祝われるべきで、それはそのためにそのひとが積み上げた努力が労われるべきだからだ。また、誕生日は祝われるべきで、それは誕生日を祝うことがそのひとの存在を祝福することだからだ。でも、中学を卒業するなんてことは、……(同じような理由で、僕は新年を祝うひとの気持ちがよくわからない)、……もちろん、いろいろ辛いことがあって、どうかこうか中学を卒業できたという場合、その卒業は絶対に祝われるべきだし、そんなのは僕だってミスドによってから駆けつけるに決まっている。でもみんなそんなふうにつらかったのか? 僕は、別にそうでもないのに、こういうときに〈打ち上げ〉なんて言葉を特に選んでパーティをするのは、……別にするべきでないという意味でなく、しなくてもかまわないと思っていた

 ともかく、僕はどのグループの〈打ち上げ〉にも参加しないつもりだった。もっと正確にいうと、それに優先することで頭がいっぱいで、この第一優先目的を達しないうちに自分が〈打ち上げ〉に攫われていくことを恐れていた。僕はそのときもうヒルがもう一度隣町に引っ越して、……単に〈隣町〉と書くだけではなにも伝わらないから、書き足さなくてはいけないが、ヒルの引っ越していった(あるいは戻って行った)隣町は僕の高校のある隣町とは別の隣町で、僕がこれまで書いた土地はすべて互いに隣町の関係にある。覚えてもらいやすいように親切心からさらに書き足すと、僕の行く隣町は県庁のある隣町で、ヒルの行く隣町は新幹線の駅のある隣町だった。そう、とにかくそうで、……ヒルが僕から離れたところに行ってしまうことを知っていたから(隣町は、互いに隣町同士である隣接した三つの土地の間であろうがなんだろうが〈離れている〉。それは、カフカも書いたように、明白な真理のひとつで、反論はない)、その前に、彼女の連絡先を聞いておきたかったが、ヒルにそういうことを言ってどんな顔をされるだろうと思うとずっと聞けなかった。それで、よりによって卒業式の日にそんなことを聞くなんて、……ただ僕は、そのとき何か連絡先を聞かなくては、永遠に彼女との関わりが絶たれてしまうと思ったので、いわゆる〈最後のホームルーム〉が終わった後彼女の姿を探してまだ校舎に残っていた。生徒たちは半分まだ校舎に残って半分は外で、話をしたり、親と写真を撮ったりしていた。
「ツカサくん!」という声が駆け寄ってくる高い足音と一緒に背後から聞こえた。「ツカサくん、……なにしてるの?」
「ヒルを探してる。知ってる?」
「え、知らないけど、……なんで探してんの?」
「知らない」
「え?」
「いや、よくわかんない、……」
「は? どういうこと?」
 僕はゆっくり首をかしげてその場を乗り切った。

[続く]

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