プレキシ、謎めいたまま[15]

 この後、僕はサクラとのことについて書くつもりだったのだけれど、ヒルについて書くことに比べて、サクラとのことはあまりにも、……そう、どういう言葉が、……適当なのか? 

 重要度が低い?

 サクラが今どこで何をしているか、僕は知らない。でもサクラはすごく俗っぽくて、本と、本を読むことの両者をエンターテイメントとして楽しんでそれに何の反省もない女の子だったから、そういう性行が今も変わらないなら、……そしてサクラは、いつまでたっても何も〈変わらない〉女の子だった。顔つきも、語彙も、身振りの特徴的な音律も、僕に対する好意のあり方も、……だから、僕が例の文学賞をとったときの記者会見の映像か何かをきっとスマートフォンの四角い画面のなかに見て、何かを思い出した……のだろうか?

 例えば、僕たちは高校に入る前の春休み、2回目のデートで、カラオケボックスのなかに見出せる限り精一杯の監視カメラの死界で、口付けをした。サクラはものすごく歌の上手い女の子であり、僕は音痴だったので、僕たちはフリードリンク2時間一人1300円の密室の経験において役割を分担することになった。僕がココアを5杯かそれ以上飲み継いでいく間、彼女はずっと歌い続けてくれた。彼女の歌声は、普段の彼女の少し急いたような、焦ったような、前のめりの印象が抜けない話し方と比べてずっと可愛らしくて、まるで別の女の子の声のように聞こえた。サクラがもし歌うときのように僕に話しかけ、話すときのように歌うのであったら、僕はこの密室ではなくて、何かもっと別の密室の方が二人でいるのに好ましいと思ったかもしれなかった。

 曲が終わると、最近新曲を出したらしいロックバンドがお行儀よくひな壇式に並んで座り、コマーシャルを始めた。「『Raintroops』は、大切な人との絆と、別れについて歌った曲です。誰しも別れっていうのはあって、それは僕にもあったし、皆さんにあったと思います。だから、みなさんにもすごく共感してもらえると思います。すごくいい曲で、本当にすごく思い入れのある曲です。ぜひよろしくお願いします。」サクラは立ち上がって、きょろきょろし始めた。どうしたんだろうと思って僕は彼女を見つめていた。サクラは、ドーム型の濁ったプラスチックに覆われて天井に張り付いている監視カメラを見つけると、狭い部屋の中をうろうろしてから壁際にぴったりたって、僕を見つめた。「ツカサくん」とサクラはささやいた。カラオケルームの暗がりの中で、サクラの瞳が、テレビモニタの明滅に合わせて輝き、車の行き来にヘッドライトが次々と表面を焼いて、休む間もなく発火し続ける雨で濡れたアスファルトのようだった。「ツカサくん」2回目の彼女のささやきはあまりに声が小さくて、僕には聞き取ることができなかった。

 僕は立ち上がって、彼女のそばに立った。サクラは目を逸らさなかった。隣から大声で歌う男の声が聞こえた。下手だった。テレビモニタには『Raintroops』のコマーシャルが流れていた。つまり、繰り返すらしい。僕はヒルのことを考えた。ヒルのあの冷たい眼差しと、人を傷つける笑い方と、僕を哀れんで、侮蔑するためだけに言った最後の言葉を思い出した。そして、僕はヒルのことを考えたまま、サクラの肩を押さえた。サクラは目を閉じた。

 3回目のデートで、待ち合わせた駅前のロータリーに、彼女は車で来て、僕を拾って街から少し離れたところにある大きなネットカフェに連れて行った。〈彼女は車で来て〉と僕が書いたのはもちろん彼女が運転してきたわけではなかった。多分運転していたのは彼女の姉だったんだろう。長い茶髪で、猫背で、無愛想だった。後部座席の奥側に座っていたサクラは体と手を一杯に伸ばして僕のためにこちら側のドアを開けてくれた。不恰好だった。

 ネットカフェに着くと彼女の姉は大きな個室を取って、僕たちを案内すると、いなくなった。サクラは僕と連れ立って飲み物を二つ自分の両手に、それから二人で読むぶんに僕の両腕に抱えられる限り多くの漫画を僕に持たせて個室に戻ると、せっかく本を運んで来たのに、この部屋には大きなモニターがついているから、やっぱり映画を見ないかと言った。僕は頷いた。

 それで、僕たちは映画を見始めたが、結局ほとんど見ないまま映画は終わってしまった。僕は映画の名誉のためにそのタイトルをここに書かないが、人気作で、次々に続編がでて〈6〉までとスピンオフが2本出た。僕たちは新しい作品のDVDのレンタルが始まると決まってそれを借りてきて、行儀良く並んで二人してソファに座り、時と場所を選んでそれを見始めると、必ず、その時々、子供のする仕方で、全てのクリエイションを侮辱し続けた。

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