園芸療法士として施設ではたらく

園芸療法士として施設(や住居)ではたらく

園芸療法士として働く

園芸療法士として働くとき、どのような働き方をすればよいのだろうか。

それは、あまり語られない。

園芸療法士のみ資格を持っているとき、どのような働きをすることが周りのみんなをしあわせにできるのだろうか。
そして自分自身もしあわせにできるのだろうか。

療法士はあくまで、療法士である。
療法士は、お客様の状態をプラスのほうへ持ってゆくことができる、数少ない非常に希少な奇跡を起こせる職種である。
可能性を広げられるすばらしい職業である。

正直に言うと、「直接介護」には限界がある。

通常の介護においては、どうしても、ご本人がどんどんとレベル低下してゆくのを見守ってゆくしか方法がない。

介護を長らくやっていればやっているほどに、「介護」には限界があると感じ取っている。


そこで重要となってくるのが


 ・療法士
 ・レクリエーション
 ・回想法


の登場である。


これらの職業は、驚くほどに効果を発揮し、下がってゆくしかないご本人のレベル低下を、維持出来たりさらには向上させてゆく
ということができる。


中心にあるのが、直接介護、その周辺に、間接介護がきていて、さらにその外側に、療法が君臨することになる。


療法士が、日々、レクリエーションや療法や回想法やユマニチュードを実施することによって
夜間頻尿・夜間の確認行為・夜間の多動・夜間の意味のない頻回コール・がなくなる。
すると、夜勤者(直接介護者)が、過剰に業務が大変になることなく、安心して安全にこころに余裕をもってお客様と向き合うことができる。
さらにいうと、そのような、余裕のある環境においては、新人の研修や新人の育成や、研修、会議などをたくさん行っていくことができ
良質な職員が多くなり、さらに良質なご本人へのサービスが豊富になってゆく。

間接介護者が、掃除・除菌・布団干し・洗濯をしてゆくことによって
冬にインフルエンザ0人で過ごせ
すると、昼間の直接介護者が、過剰に業務が大変になることなく、安心して安全にこころの余裕をもってお客様と向き合うことができる。
さらにいうと、そのような、余裕のある環境においては、新人の研修や新人の育成や、研修、会議などをたくさん行っていくことができ
良質な職員が多くなり、さらに良質なご本人へのサービスが豊富になってゆく。

療法士と、間接介護者が、直接介護者を保護しているといえる。


療法士や間接介護者が、直接介護にまわるようになったり、今度は夜勤とかまでやりだすと
療法士が自分自身のポジションから離れたことになる
間接介護者が自分のポジションから離れたことになる

するとどのようなことが起きてゆくのかといえば

夜間の多動・夜間頻尿・夜間ひとりあるき・夜間頻回コール・夜間不穏・夜間の確認行為
が起きてきて
冬にはインフルエンザになる御客様がでてきて

直接介護が過剰にたいへんになってくる。

そうなってしまうと
お客様を満足させてゆくための
・レクリエーション
・音楽療法
・運動訓練

などへのエネルギーを割けなくなってきてしまって、


夜間の多動・夜間頻尿・夜間ひとりあるき・夜間頻回コール・夜間不穏・夜間の確認行為
が起きてきて
冬にはインフルエンザになる御客様がでてきて

あとは、無限ループ。

療法士と間接介護者

・安い花を買ってきて、花壇に植える 常になにかしら(なんでもいいから)きれいな花を花壇に咲かせておく
・芝生はまっすぐピチっとまっすぐ機械的なきれいさをめざして整える
・雑草はすべて除去する
・除菌
・掃除
・布団干し
・ユマニチュード
 かまい
・音楽療法
・絵描き
・ホワイトボードを使った、レクリエーション(意外と難しいことやマニアックなことをすると良い)
・編み物
・レクリエーション

・掃除
・除菌
・排便チェック
・洗濯物干し
・洗濯物取り込み
・かまい
・ユマニチュード
・レクリエーション
・回想法
・加湿
・換気


が仕事内容である。


これらだけをやっていれば、よい。


まぁ、しかたなく、直接介護にかかわることもできてくるだろうが。
メインは直接介護ではないことを、忘れてはならない。

療法士はあくまで、療法士として、その施設に居る。
間接介護者はあくまで、間接介護者として、その施設に居る。
ケアマネージャーはあくまで、ケアマネージャーとして、その施設に居る。

それを忘れてはならない。

台所要員はあくまで、台所要員。
事務職員はあくまで、事務職員。
相談員はあくまで、相談員。


それを忘れてはならない。

どうしても、しかたなく、人数不足で、直接介護へとどんどんひきずりこまれていってしまうが。
それぞれがそれぞれの持ち場を、ポジションを、はなれることはしてはならない。

それをすると、さきに示したように、いろいろとおかしなことが起き始めるし。
謎の体調不良がでてきたりする。

看護師はあくまで、看護師であり。
医者はあくまで、医者である。


園芸療法士のしごと

・寄せ植えを体験していただく
・草むしりをいっしょにやる
・散歩にいって草花をみる
・安い花(いっこ90円とかで売ってるパンジーとかなんでも)を買ってきて、花壇に植える 常になにかしら(なんでもいいから)きれいな花を花壇に咲かせておく
・芝生はまっすぐピチっとまっすぐ機械的なきれいさをめざして整える
・雑草はすべて除去する
・除菌
・掃除
・布団干し
・ユマニチュード
 かまい
・認知症のかたへのケア ユマニチュード セカイカンケア
・音楽療法
・絵描き
・ホワイトボードを使った、レクリエーション(意外と難しいことやマニアックなことをすると良い)
・編み物
・レクリエーション


を昼間にしてあげるのがよい。


園芸療法士は、「療法士」であることを忘れてはならない。

・医者
・看護師
・直接介護者
・間接介護者
・療法士

これらは、明らかに別として考えなければならない。

・直接介護者
・間接介護者
・療法士

これらはいっしょくたにされやすい。
間接介護者や療法士は、時間的に暇な時間ができたり、簡単な仕事だけを選んでやっているとみられやすい。
また「この職場で働く上では直接介護もできるようになってもらわなければ」と、直接介護をたくさんやらされるようになってゆくように引っ張られてゆく。

しかし、

・間接介護者
はあくまで
・間接介護者
であって。


療法士
はあくまでどこまで行っても
・療法士

なのである。

そこはぜったいにはずしてはならない部分である。

介護の現場では、人手不足がひどく、その施設内に居る職員は、だれであろうとなんであろうと
「直接介護」に引き込まれてゆく。


若ければ。
できるでしょ。
できるようになってもらわなければこまる。


そんなことばとともに。


・間接介護者
・療法士
・ケアマネージャー

ここあたりは、「直接介護」というものにどんどん引き込まれてゆく。

・間接介護者の仕事はあくまで、
掃除
除菌
排便チェック
洗濯物干し
洗濯物取り込み
かまい
ユマニチュード
レクリエーション
回想法
加湿
換気

などである。

・療法士

という役どころは、非常にふんわりしたものであり、なかにはその意味合い、意義、存在を理解できない職員さんも大勢いらっしゃる。


作業療法士
理学療法士

に関しては、有名であり、その実用性(図で言うところの内側のほうに位置する)が高いから、その存在を認めていて理解している看護師や職員が多い。

しかし、

音楽療法士
園芸療法士

に関しては、その存在はふんわりとしており、その意義の高さを理解できている職員はすくない。


介護として長らく働いているひとほど、その意義を理解している傾向がある。

音楽療法
園芸療法

などには、非常に可能性をひろげられるという、すばらしい効果があり、すばらしい景色がある。

維持
マイナス
向上


基本的に

「介護」

だけをやっていると、レベル低下してゆく。
うまくいって、維持である。

・直接介護
・間接介護

しかないワールドでは、これが限界である。


その限界を突破できる存在として

・療法士

が登場する。


・療法士

の施設における役割は

・園芸療法 きれいな花をつねに施設内外にセットする 芝生をきれいに機械的に整える 雑草を取る
・音楽療法 生ピアノを弾く(クラシック)
・レクリエーションを豊富に行う
・回想法を行う
・劇をする 回想法を取り入れたむかしを思い出せるもの 衣装が重要

・ホワイトボードを使ったレクリエーションを行う
・体操をいっしょに行う
・編み物をしていたかたにはいっしょに編み物をする

・認知症のかたへユマニチュードをする
・昼間にどのかたにも、かかわりをする、かまいをする、話をする


である。


これが、基本。

ぜんぶ総じて、「昼間のかまい」である。

いかに、昼間にエネルギーを消費していただくのか。
いかに、昼間にエネルギーを消費していただくのか。
いかに、昼間にあたまをつかって、たのしいレクリエーションをたのしんでいただくのか。

たのしんでいただくというところに、緊張しなくてもよい。
なんでもいいから、やってみて、そこに気を向けてもらって、参加していただくだけで、よい。
それだけで、確実に、エネルギーは消費されているから、おもしろがっていただけているから、集中を向けてもらっているから。


そのように、可能性を無限にひろげることで、エネルギーを消費していただくだけで、
認知症のかた

さびしい
をかかえるかたには
たくさん「かまう」ことで(ユマニチュードを使ったり、使わなかったりしてみながら)「あい」を与えることによって

こころはみたされて

夜間、たのしく安心してゆめのなかへはいってゆける。


それらが、療法士の重要な役割である。

それが療法行為である。


療法士には
・作業療法士

・園芸療法士
・音楽療法士


などがあるが、すべて、療法士である。

療法には
・作業療法

・園芸療法
・音楽療法

などがあるが、すべて、療法である。


それらは、
直接介護
でもなく
間接介護
でもない。


看護行為でもないし、医療行為でもない。
事務作業でもないし、相談員の相談行為でもない、ケアマネジメントでもない。

療法は療法である。

べつのものであり、別格である。


直接介護とごちゃまぜにされても困るし

可能性をひろげる職業なので、馬鹿にされても困るし、意味のない行為とされても困る。

とはいうものの、療法士として、施設内で働く場合、療法行為オンリーで動ていると時間的に暇ができるので

・間接介護

には関わって、いっしょにその仕事もやってゆくとよい。
とってもよい。

そして、働いていると、周りのひとが直接介護もできてもらわなくちゃ困るとか言い出すので、
必要なときだけは、スルっと入ってあげるとよい。

でも忘れてはならないのは、
療法士は療法士であること。


引き込まれてゆくうちに

わたしは「直接介護者なんだ」と誤解するようになってしまうが、そうなってはならない。


療法士は療法士というポジションをまもりつづけ

いかに、むずかしいレクリエーションをするのか
いかに、だれでもたのしめるかんたんなレクリエーションを開発するのか
いかに、へんてこりんなおもしろいレクリエーションを開発するのか
いかに、豊富なレクリエーションをおこなってゆくのか
いかに、おもしろい劇をするのか
いかに、おもしろい「参加型」の劇をおこなってゆくのか
いかに、回想法をおりまぜてゆくのか


そういったところを、考え続けなければならない。

そういった、おもしろおかしいこと、へんてこりんなおもしろいこと、を開発してゆかなければならない。
そこへエネルギーを注いでゆかなければならない。

それが療法士の仕事だ。

それが療法士の仕事だから。


間接介護は、オプションとしておこなっているだけだし。

直接介護なんて、おまけでやっているだけなのだから。


わたし自身の経験をかたるならば

大学で、環境社会学部という学部を選んで4年間通い、園芸療法士を取った。

その資格を活かしたくて、「サービス付き高齢者向け住宅(特定施設)」へ入職したが、園芸療法士として施設ではたらくことが具体的にどうすることなのか、どのようにふるまってゆけばいいのか
なにをすればいいのか、なにはしないほうがいいのか、わからなかった。

園芸療法士の先輩がいなかったから。
園芸療法士として施設で働いている先輩がいなかったから。

「園芸療法士として施設ではたらく」を教えてくれる人がいてくれたらよかった。

いまわたしは、

「園芸療法士として施設ではたらく」について伝えられる。

園芸療法士として、環境整備をするとき、最終的にどのような状態にすればいいのかわからずに困るケースがあるはずだ。
わたしがそうだったということなのだが…。

最終的なビジョンがわからないままに、どうすればいいのかはわからない。
結論としては
・芝生は機械的にきれいにする
・雑草はとにかく取る
・花壇は、きれいな花でいっぱいにする
 (片方の花壇は、農作物用として使ってもよい)
・テーブルの中央や施設内には、花瓶にきれいな花を飾る。

これらが、目指すべきところである。

めざすべき最終形態である。

ゴールである。


着地する、最終目的地点が明確になっていなければ、庭師・園芸療法士・環境整備員は、動きが取れない。

その最終目的地点をいま、しめした。


スピリチュアルの観点でいうと

・掃除してきれいであること
・草花が、施設内外にあること
・玄関に、植物があること
・施設の内外が、掃除されてきれいであること

これらのことは、非常に意味のあることとされている。


これらのことは

・間接介護員
・療法士

など行う仕事である。


これらは死守してゆかなければならない。


直接介護員は、つねに、直接介護で忙しく、とらわれているため、掃除や草花のところまでやらない。


だから
・間接介護員
・療法士
がおこなってゆかなければならない。


わたしの経験談としては
園芸療法士として入職したものの、そのうちに、直接介護もできなければこまる的なことを看護師に言われて、はじめのうちは園芸療法(いっしょに草むしりをする、植物の管理をする)をやっていたが
だんだんと、間接介護をやり始めて
そのうちに直接介護もできるようになっていってしまった。


なっていってもよいといえばよいのだが。


それらで忙しくなれば、ジカンは有限なので、園芸療法や草むしりや植物の管理ができなくなっていった。

だんだんと

療法士→間接介護→直接介護 というふうに、中央へとひきずりこまれてゆき、結果として、夜勤まで直接介護員としてやるようになってしまった。


線引きはそこである。
療法士が、夜勤をやるメリットはどこにあるだろうか。
皆無である。

療法士は、昼間に居る必要性のある職業である。
眠っているひとに対して、療法士が力を発揮できるであろうか。まったく不可能である。


療法士の仕事は、昼間、入居者さま入所者さまお客様のエネルギーをたくさん消費していただき、その結果として夜ぐっすり眠っていただくことである。

夜間働いていてもなんの意味もない。

わたしの場合は、ピアノを弾くという技術を持っていたため、音楽療法士として音楽療法をやることもできた。
その能力にしても、夜勤をやることで発揮できるだろうか、んなわけはない(笑)


つまり、
園芸療法士
音楽療法士

夜勤をやってはいけないのである。

やる必要がない。

夜勤をやるという行為は、つまり、自分が死守していたポジションから半歩外に出てしまっているということである。
その人が、そのポジションから半歩そとに出てしまったことによって、護っていたことが崩れ、その結果めぐりめぐって、夜間の多動や夜間の頻回コールや夜間、昼夜逆転などが起きてしまって、いろいろなことがおかしくなりはじめるのである。
自分のポジションを護り続けることがとんでもなく、もっとも、重要であるということである。

看護師は看護師のポジション
療法士は療法士のポジション
間接介護は間接介護のポジション
直接介護は直接介護のポジション

を死守しなければならない。

じぶんが、ほかのこともやりだしたということは、じぶんがいままで護ってきていたポジションから、半歩出てしまっているということである。
じぶんの護るべきポジションをおろそかにしているということである。


療法士のばあい、その、「もはやじぶんのポジションから出すぎたことによって、自分のポジションを十分に護れなくなってしまって、ぜんたいのためにならない、ぜんたいとしておかしなことにくずれていく」の線引きが

夜勤をやる

というところである。


療法士が夜勤をやることは、自分のポジションをおろそかにする行為である。
療法士はあくまでも、昼間に勤務していて、その能力を発揮しつづけることにだけ意味がある。そこにこそ意味がある。

ながらく、その職場にいると、なんでもできるようになってゆくと思う
あんなこともこんなことも
知っている
できる。

でも、療法士は療法士のポジションを出てはならない。

間接介護者は間接介護(掃除や除菌)のポジションから出てはならない。


そこは護りつづけなければならない。


わたしは、だんだんと、いろいろなんでもできるようになっていって、なんでも知っているようになっていってしまって、

・園芸療法士

としての、役割、本分から、逸脱していってしまった。


その挙句の果てが「夜勤をやる」である。


ピアノを弾ける園芸療法士というじぶんが、「夜勤をやる」ことの、あまりのもったいなさ、あまりの意味のなさ、あまりの的外れさ、あまりのお馬鹿さ、あまりの愚かさ、に当時は気付けていなかった。


今考えると、なんて見当はずれなことをしているのだろうか。


なんで、じぶんはそもそも、園芸療法士である ということを忘れていたのか。

そうおもう。

いまにしてはっとしたが、 わたしは園芸療法士 である。


介護職員ではない。


介護職員と、療法士をいっしょくたにされてはこまる。


介護は介護、療法は療法、べつの職業である。


療法だけやっているのでは、ジカンがあまるので、間接介護(掃除・除菌)、直接介護(排泄・移乗・食事・入浴)などに手を出していたにすぎない。


療法士として生きる、というのは、こんなところである。

療法士として入職したのに、最終的には、夜勤なんてやっていて、ばかなものである。

じぶんのことを、てっきり介護職員だとおもいこんでいた。


療法士
間接介護
直接介護
看護
医師
ケアマネージャー
相談員
事務員
救命救急士


これらは、それぞれ、べつべつの職業である。
べつべつの職業である。

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