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LOVERS VOICE 漁師カレンダーを通して向き合えたこと


気仙沼漁師カレンダーを愛する人たちの声をお届けするLOVERS VOICE。
第5回は、毎年、気仙沼漁師カレンダーを楽しみにしてくださっている関西在住の「あすかさん」です。

あすかさんが初めて漁師カレンダーを購入されたのは、2015年。翌2016年版の浅田政志さんのカレンダーでした。東日本大震災の4年後です。
ご自身も阪神大震災の経験を経て、どこかでずっと、東北のことが気になっていたそうです。


漁師カレンダーには愛がある。

漁師カレンダーLOVERS VOICE vol.5  関西在住 あすかさん


関西在住 あすかさん

漁師カレンダーとの出会い

漁師カレンダーを買ったきっかけが何だったのか、とあらためて考えると、ぶっちゃけ「浅田政志さんの写真だったから」です。ホントにホント。イッチバンはじめに、ビビビッと来た正直なきっかけです。
(浅田政志=「家族」と「記念写真」をテーマに活動する写真家。自身の家族を被写体に、消防団など架空の家族写真を撮影した写真集『浅田家』は映画化された)

東日本大震災の後でしたから、もちろん東北のこと、海のこと、そこで働く人のこと、生活している人のことが、どこか頭の中にありましたし、それなりに気にもなっていました。 ワタシなりに何か出来ることがあるなら、したいな〜と、ぼんやり考えていたつもりです。

だから、超微力ながら、ちょっとした「支援」のつもりで漁師カレンダーを購入しました。でも、やっぱり、ビビビッと来たのは写真に、です。
きっと、この写真でなければ、あの時、手にとらなかったと思います。


あすかさんが初めて購入したのは
2016年版 浅田政志さん撮影


「気仙沼漁師カレンダー」というからには、ド演歌が大音量で流れる一杯飲み屋の壁に掛かっていてもおかしくないような、渋〜い角刈りのおっちゃんが睨みきかせているようなカレンダーを想像していたのですが、むちゃくちゃオモロい!
浅田さんの写真は、撮る人と撮られる人が話し合って、一緒に写真をつくっていく撮り方で、真剣なのにどこかユーモラスなところが特徴なのですが、そのせいか、ホントの漁師さんのくせに「漁師さんになりきっている」っていうか、いたって真剣に「漁師」さんを演じてるっていうか。そこがサイコーにおかしくって。
ガキ大将みたいな、いちびった写真とスカッと青い空と海、「ふざけ」た「爽快感」が「楽しそう」で、毎日眺めるカレンダーにピッタリだなぁと思いました。
「こういうの、好きーっ」って。


2016年版 浅田政志さん撮影
2016年版 浅田政志さん撮影


それから毎年、買っていますが、カレンダーもだんだんと大人っぽくなってきたように(変な表現ですけど、ワタシにはそう感じるんです)、世間の関心もあの震災や被害からちょっとずつ反応が鈍くなってきている気がします。

そういう意味で、このカレンダーの存在はまさに重要アイテムになるな〜と思っていますし、ずっと購入し続けているのも、「忘れちゃいけないと思うから」だと思います。
こんなに熱く語っているくせに、実はまだ気仙沼に行ったことないんです。

おかえりモネのような震災経験

ワタシも高校生のとき、阪神大震災を経験してて……。
少しややこしい話になるのですが、ワタシはモネちゃん的な震災経験者なんです。
気仙沼を舞台にしたNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の主人公で、震災当日、仙台にいて、故郷の大津波を経験しなかったことから「当事者でありながら、当事者じゃない」罪悪感を抱く主人公のモネと自分が重なる点が多かったんです。

阪神大震災当時、ワタシは高校生で、ちょっと家族とも折り合いが良くなくて、実家のある神戸を離れて、一人で隣の県に住んでいました。
だから、現場に居合わせなかったことに対して、当時は凄く引け目を感じたんです。引け目と同時に疎外感も。

震災の後、神戸には帰りませんでした。神戸の実家も被災して、交通も、電気、ガス、水道も止まっていて。
で、普通に過ごせる他県にいるなら、そっちに居ろ、って話になって。

当時は今みたいに携帯も普及してなかったのか、こちらから家に電話も出来なくて、ただただ向こうからの連絡待ちだったように記憶しています、確か。

でも、地元に戻ったとき、変わり果てた町の姿や、行く人来る人、みんな震災の話しかしないこと、そして震災の話を振られた時に自分は何も語れないこと、家に居たくなくて出て行ったはずだったのに、今度は逆に地元からよそ者扱いされた気がして、ホント辛かったです。

極めつけは「あの日、神戸におらんで良かったで」って言われてしまったことでしょうか。きっとそう言った人は本気で良かったね、と思って言ってくれたんだと思いますけど。あの一言は、しんどかったです。

なので、震災の記憶も震災の話も、もうしないで欲しかったです。でも「神戸の出身なんです」って言うと、どこに行ってもかならず震災の話を出されて、そのたびにしんどい思いをしました。
多分、被災者の大半は「忘れないで」って気持ちだったはずなんで、「忘れて欲しい」って心の中で願ってしまう自分にも、多少なりとものショックもあり…。

そんなワタシが気仙沼漁師カレンダーを通じて、やっとというか、「震災」と触れ合う機会が巡ってきたように思えました。

「あ、震災の後にこんなドヤ顔できてたんや」、良い顔出来てたんやって、浅田さんの漁師カレンダーを見て思いました。
それは写真家としての腕前だってこと、分かってたんですけど、震災後の気仙沼で、そんな良い顔出来る瞬間もあったんやな〜って。感動というか、ワタシ自身の懺悔の気持ちを薄めてくれた、というか。救われた気がして、そこから東北も阪神も、震災と向き合おうって気持ちが生まれて来たんです。
でも、やっぱり浅田さんの撮らはった写真に惹かれたから、ですね。

漁師カレンダーには愛がある!

漁師カレンダーの大好きなところは、どの写真にも愛があるところです!

面白さも、強さも、静けさも、色んな感情を持たせてくれるんですけど、根っこの部分にどれも優しさがあるところですよね。
だからカレンダーを見ていると、こちらまで優しくなれる気がします。

朝、壁に飾っているカレンダーの隣で出勤準備をしていて、時間がなくてむっちゃ焦っていても、漁師カレンダーを見るとホッとできます。
(って、実は近頃、寝坊気味でホントに時間がなくて、ホッコリ見ている場合じゃないんですけどね〜)

そして何より漁師カレンダーは作品として、素晴らしいと思うんです。


2022年版の10月のカレンダーに「恩送り」という言葉があって、ずっしーん、ときました。その言葉、素敵だな〜と。

ワタシも当事者だったとき、何も出来なくって、申し訳ないな〜って気持ちに押し潰されて、ある意味、逃げちゃって。向き合えないまま過ごしてしまって、結局、その思いを消化出来ないまま、ずーっとモヤモヤして生きてきたのが、漁師カレンダーとの出会いで、ようやく向き合おうと思えるようになって……。

いや、もちろん、まだモヤモヤしていますけど、でも、もうあの瞬間には帰れないわけで、やっぱり出来る事って「送る」ことしかないな、っていうか。

もし、気仙沼で、まだモヤモヤしてる、とか、向き合えないとか震災の話しないで、って思ってカレンダーなんて見れない、とか言う人が居ても、それはそれで有りだし、もしかしたら、この数年後にふと出会って、次の何かに送るきっかけになるかもしれないな〜って。それは震災に限った話でなく、何かを「送る」って意味で。 

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