ぼくは遊戯王

僕は子供の頃から漠然と、大人というのもには友達がいないという意識を持っていた。子供の自分にとっての身近な大人はもちろん親だったが、親が「ちょっと友達と遊んでくる」と言ってどこかにいったり、実際に遊んでいた記憶はただの一度もないからだ。

自分の親は二人とも実家の自営業と、個人の自由業みたいなものをやっていたのでいわゆる会社員ではなかった。そういうのが関係しているのかは分からないが、僕は大人というものが友達と遊んでいるイメージができなかった。子供の頃の僕にとっての大人というのは大抵友達の親であり、家庭を持った30~40代の人たちのことだった。そういう人たちが同年代の人たちと「遊んで」いるという姿を見たことがなかったし、想像もできなかった。

実際のところ僕の親や友達の親、学校、習い事の先生というものに友達がいなかったかどうかは分からない。子供に見せないようなところで羽目を外して遊んでいたのかもしれない。だが、いずれにしても彼らが語る同年代の知人というのはどこか距離の遠い、友達とは異質な存在に感じた。「僕の知り合いにこういう人がいて〜」とか「あそこのXXさんはこんな人で〜」とか、あくまで自分が集めた人間標本のページを僕に見せてくれるようなそんな印象だった。

それは僕の思い込みなのかもしれない。大人というものは自分の友達について熱心に語ったりしないものなのかもしれない。

今大人になった僕はどうだろう。小学生や中学生の子供相手に僕の友達を熱心に語ったりすることはあり得るのだろうか。

そもそも友達とは何なのだろうか。何をしたら友達で何をしなかったら友達ではないなのだろうか。僕は倫理レベルが中学生で止まっているので、友達は一緒に遊ぶものだと思っている。

一緒に遊ば(べ)ない人は、友達であるという感性が湧かない。話すとか、食事をするとか、そういうレベルでは結局のところ仲のいい知り合いにしかなれない。

遊ぶとは何か。僕にとっての遊びは文字通り遊びだ。ゲームだ。これはビデオゲームに限った話ではない。むしろビデオゲームはそのごく一部でしかない。カードゲームやボードゲーム、クイズ、かくれんぼ、鬼ごっこ、なんでもいい。

「一緒に遊ぼうぜ」と言われたら、「何して遊ぶ?」と答えるだろう。僕は大人なんだけど。

ゲームは素晴らしい。ゲームほど人と人を仲良くさせてくれる活動も他にない。どんなにくだらないゲームでも必ずルールがあり、その参加者は平等にゲームをプレイしなければならない。

ゲームをプレイしている間はフラットにその人のことを見ることができる。その人がどういうバックグラウンドを持っていて、普段何をしているのかなど、関係がないのだ。ゲームに参加した以上、僕たちは平等にゲームを最後までやるのだ。

ゲームをプレイしている間は、僕はゲームについて話せばいい。こうしたら勝てるんじゃないかとか、ああすればいいとか、自分の考えも、他人に対する見方も、全てはゲームについてのことだ。そこに現実世界の不完全な僕はいない。ゲームが終われば、それまで語っていたことはこの世界では意味を持たない。全て泡のように消えてしまう。だがそれがいいのだ。ゲームがなければ、最初から気の合う人などどれだけいるというのだろう。

同じゲームをプレイするということは、その人に対する信頼を無条件に得ることができる。その人がどういう人かは分からないが、とりあえずは僕と同じことをしてくれているという安心感がある。ゲームなんて、ほとんど合理性のない馬鹿馬鹿しいルールでできていて、その不自由性を楽しむものだ。だから、そういう現実世界では全く意味をなさないルールを受容して、それに意味があるんだということを共有しているから、その人を信頼することができるのだと思う。

ゲームに没頭している間は僕はゲームのことだけ考えていればいい。一緒に遊んでいる人についても、その人がどうゲームをプレイしているかを考えればいい。ゲームの中に人生なんてないから、僕は人生から離れて人を信頼したいんだろう。そう思う。だからこれから語ることは、僕がそう信じるようになった出来事だ。ちょっと長くなるから、暇な時にでも読んでほしい。

今から15年前、とある事情から高校に行かなくなった僕は栃木の実家で引きこもっていた。それなりに頭のいい高校から半年で落ちこぼれ、15歳にして自分の人生と世界を呪っていた。

自分の子供がいきなり引きこもりニートになってしまって明らかに冷静さを欠いている両親が暮らす家で、僕は日の出ている間に自分を肯定することが不可能だった。両親は飯ぐらい一緒に食べろと怒った。僕はうるせぇと思った。どこにでもいるような普通の親が引きこもりの息子を肯定できるわけがない。平静を装い、大人として振る舞いながらも、心の底では僕が高校に戻って、勉強して東大にでも入ればいいと思っているんだろ、と思っていた。

親は子供の幸せを望む? 嘘だ、と僕は思った。親は自分の望むとても狭い範囲での子供の幸せを無意識に望んでいる。自分たちが産んで自分達が育てたのだから、ある程度はこうなってほしいという差別的な意識を持っている。僕にはそれがわかったし、何よりそれは自分自身が望んでいたことでもあった。だからこそ、そうなれなかった自分を肯定することはできなかった。

日が暮れ、町から音が消え、家人が寝静まって初めて僕は息をすることができた。長い夜の間僕は永遠とパソコンでアニメを見ていた。YouTubeが登場してまもない頃だ。サイト上にはあらゆるアニメが違法投稿されていた。僕は今でもアニメが好きだが、そのことについて罪悪感は持っていない。15歳の僕の財布にはせいぜい二、三千円しか入っていなかった。DVDなんて買えるわけもなく、漫画も満足に買えず、遠くに逃げ出そうにも帰りの電車賃さえない。お金を稼ぐ術もない。ご飯だって母親の作ったものを食べるしかない。どうしようもなかった。僕は本当に、栃木の片田舎から、他のどこに行くこともできなかった。そんな人間が正気を保つには、画面の向こうの楽しそうな学校生活に恋することしかなかった。

このまま高校に行かずにニートになったら本当に人生が終わるという恐怖があった。XXさんちの息子が引きこもっているということで知り合いの大人の何人かが僕に会いにきた。僕はその誰もが糞食らえだと思った。お前らに何がわかる。お前らなんかに俺の何が分かるんだと憤った。彼らは当たり障りのないことを言って、僕が「ええ」「そうですね」「いやぁ」と気の無い返事しかせず、そのどれにも心を揺らさないということがわかると、二度と僕の前には現れなかった。僕はただのヒキニートだったが、尋常じゃない頑固さを持っていた。僕に優しくしようとする全ての大人に心を開かなかった。心を開いたら負けだと思った。僕が心を開くことを期待し、彼らがそうなったときの良い自分像をイメージしていることを嫌悪した。

そんなどうしようもない僕が現実逃避のようにのめり込んでいたのが遊戯王カードだった。小学生の頃に大流行した遊戯王カードはその時点で一定のブームは過ぎ去っていたが、高校に行かなくなる直前に友達と久しぶりに遊んで楽しかったので、暇つぶしにデッキを何度も混ぜては初手をドローして一人でデュエルするということをやっていた。相手がいないので、僕は有利な盤面を作り続け、誰にも勝つことも、負けることもできなかった。デッキを二つ組むお金はなかったので、ひとりの僕にできることはそれしかなかった。

そうしているうちにインターネットで遊戯王カードの情報を調べるようになり、「遊戯王デュエリスト認定」というサイトを見つけた。それは当時存在した、遊戯王プレイヤー同士のコミュニティサイトで、さまざまなジャンルの掲示板があった。そしてそこに都道府県ごとに別れて大会やオフ会などの情報を交換する掲示板群があった。僕はどうしても一緒に遊戯王をやる友達が欲しかったので、そこの栃木県板を覗いてみた。今はどうか知らないが、2007年当時、栃木県のような田舎で、遊戯王カードの大会が開かれている場所はごく僅かだった。市レベルで一店舗、月に一度開かれていればとても栄えているというレベルだった。

僕の住んでいた栃木県足利市には「きんこん館」という老舗の玩具屋があった(今もある)。地方都市のどこにでもあるシャッター商店街の中にあって、そこだけ潰れる気配が全くなく、大人たちから不思議がられていた店だった。

きんこん館は当時足利市で唯一遊戯王の大会が開かれている場所だった。僕は毎日、日が暮れた後自転車を漕いできんこん館に通った。目的は店内にあるショーケースだった。ショーケース内には僕の持っていないレアカードがいくつも単品で販売されていて、それを眺めに行っていたのだ。高いものでも1000円程度とはいえ、当時の僕にはそんなものを買うお金はなかった。だが、カラス越しにでも本物のカードを見ることは楽しかったし、心がウキウキしていくのを感じた。

きんこん館の中の奥には、そっけない長机と汚いパイプ椅子が並んだフリースペースがあった。平日でも夕方になると学校帰りの中学生や高校生たちが、制服のままカードゲームに興じていた。僕はそんな彼らを横目に、長い時間をかけてショーケースを舐め回すように見続けた。低い段のカードをしゃがんで見続けて足が痛くなったりした。でも僕はできるだけ長い時間そこに居ようとした。僕は遊戯王カードが存在するここでだけ息ができた。僕は本気で自分と世界を呪っていたが、この狭い玩具屋の中では不思議と世界も僕も許すことができた。

ある日「デュエリストレベル認定」の栃木掲示板を眺めていると、たった一件、きんこん館で一緒に遊戯王をやりませんかと呼びかけている人がいた。彼はテレサさんといった。テレサさんは市内の公立校に通う高校3年生だった。その高校は僕の中学校時代の友達も何人も通っている学校だった。だが、3年生ということもあり、2つ上の学年なのだから流石に知り合いではあるまいと思い、その募集に応募した。のちに分かることだが、それに応じたのは僕だけだった。

数日後、僕は夕方きんこん館に行った。いつも長居しているショーケース群を素通りし、奥のフリースペースに向かった。フリースペースの長机では、テレサさんらしき人が友達とデュエルをしていた。二人とも僕の知っている制服を着ていた。高校三年生と話す機会は滅多になかったので、少し緊張した。僕が「あの、テレサさんですか?」と聞くとテレサさんはプレイを中断して僕を見上げ、

「あ、けろっぴさんですか?」と言った。僕は「はい、けろっぴです」と言った。けろっぴは僕のハンドルネームだった。

たまたまその場に居て、後に別の友達になったKくんは、その時の僕を「なんか変な人が来た」と感じたらしい。どう変だったのかは分からないが、多分相当緊張していたのだと思う。それに加えて、初対面らしき人にハンドルネームで語りかけているのが奇異に映ったのだろう。遊戯王カードなど、同じクラスのたまたま仲のいい数人の友達とやるものなので、インターネット経由でデュエル仲間を作るというのは、小さな田舎町では普通ではないことだったのだ。

テレサさんは縁の太い少しおしゃれなメガネをかけた人だった。どういう人かを想像してはいなかったが、僕より背が高く、学ランの上の方のボタンを外して、前髪にはヘアアイロンをかけているようだった。色白で、柔和な印象の、とても人の良い人だった。僕はテレサさんがとても普通の高校生で安心した。いや、違う。テレサさんは普通の高校生ではなかったのだ。彼は、とても、とても優しい人だった。同じ学校に一緒にデュエルをする友達がいるのに、わざわざインターネットの掲示板で仲間を募集するような人なのだ。優しくない訳がないのだ。今になって僕はやっとそう思う。

テレサさんは「すみません、今やってるからちょっと待ってくれます?」と言った。僕は「全然大丈夫です」と言った。心の底から全然大丈夫だと思っていた。テレサさんは「あ、こいつはアリスです」と対面に座っていたもう同級生らしき人を紹介した。「アリスです〜。よろしくお願いします〜」アリスさんも、僕より背が高く、でもニキビ跡が残る少しあどけない人だった。

僕はテレサさんの隣に座って、アリスさんとのデュエルを眺めていた。それまでずっと夜中にずっとデッキを一人回ししていた僕にとって、人が実際にデュエルしているところを見るのだけでもすごく楽しかった。テレサさんは僕が持っていないようなレアカードを使っていた。僕はそれを見て「すげぇ!」と思った。自分より遊戯王に詳しい人が身近にいるということに興奮した。デュエルしたい、もっと色々教えてもらいたいと思った。

そのデュエルはテレサさんが勝った。アリスさんは自分のモンスターが破壊されてライフが尽きると「ふみゅ〜」と声を出した。彼はそういう少し可愛いところのある人だった。そして僕はテレサさんとデュエルをした。僕は負けると思っていたし、負けてもいいと思っていた。しかし、デッキの相性なのか引きの良さなのか、僕は初めてのデュエルでテレサさんに勝ってしまった。デュエルが終わったあと、テレサさんは「すごい、強いですね」と笑いながら僕を褒めてくれた。横で見ていたアリスさんも「強いね〜」と感心していた。僕は「まぐれです」と全力で謙遜をした。彼らの気分を害して関係性を断たれるのを恐れた。僕は年下だったし、まぐれでも先輩を嫌な気持ちにさせたらまずいと感じていた。だがそんな雰囲気にはならなかった。「俺ともやってよ〜」とアリスさんが言った。「え? あ、はい!」と僕は言った。デュエルを申し込まれたことがとても嬉しかった。その時、僕は社会からも、学校からも、大人からも、そして自分自身からも必要とされていなかった。そんな自分が、人に求められていると感じて嬉しかった。僕はアリスさんにも勝った。僕はデュエルに勝ったことなんてどうでもよかった。僕とデュエルをしてくれる友達がいるというだけで、僕はこの世界も自分の人生も許せるようになった。

テレサさんとの出会いによって、僕はきんこん館で居場所を見つけることになった。僕は相変わらず日が暮れてから自転車できんこん館に通った。たまたま僕のデュエルの腕が少しだけ良かったこともあり、知らない人にデュエルを申し込まれることが増えた。僕は誰からの申し出も快く受けた。多くの人とデュエルができるだけで幸せだった。年が近いということを除けば、お互いのことなど何も知らないような初対面の人とも、僕は仲良く遊ぶことができた。アドバイスを求められたときには優しく教えてあげたりした。

平日の夕方なのに毎日私服で現れる僕のことを、みんなは薄々高校に行っていない人だろうと思っていたらしい。だが改まってそれを聞いてくる人はいなかった。僕はそれでよかった。僕は僕の現状を変えようとしてくれる親切な大人よりも、ただ僕と遊んでくれる彼らを信頼した。そうやって僕の心は徐々に気力を取り戻していった。

それから数ヶ月後、僕は月に一度のきんこん館の大会で優勝することになった。小さいとはいえ近隣の地域から月に一度デュエリストが集まってくるので、40人くらいの参加者がいた。僕はスイスドローの予選と決勝トーナメントを無敗で勝ち上がり、優勝した。決勝の卓には、僕を応援している友達や、隣町から遠征に来た猛者っぽい人たちが腕を組みながら無言で僕たちのデュエルを見ていた。僕にとって人生で初めての決勝というものだったが、不思議と緊張はしていなかった。勝てるという自信があった。きんこん館での友達とのデュエルで、僕の遊戯王の腕前は子供の頃とは比べ物にならないくらい強くなっていた。

二本先取の一戦目を先行で危なげなく勝利した僕は、二戦目を後攻で戦っていた。遊戯王は先行が有利なゲームである。だから僕は二戦目は不利な戦いになることを予想していた。予想通り、一戦目よりも相手の立ち上がりがよく、僕は後手に回った。しかし、中盤に入り盤面が均衡すると、徐々に僕のボードアドバンテージが良くなっていった。僕の場には赤、黄色、緑の歯車の形をした弱いモンスターが並んでいた。それは個々のステータスは低いが、場に出すたびに仲間を手札に呼び寄せる「ガジェット」というモンスターだった。漫画・遊戯王のラストバトル「戦いの儀」で武藤遊戯が使い、もう一人の遊戯(アテム)に勝利を収めたカードだ。僕はそのモンスターが好きだった。高い攻撃力のモンスターを出して相手を圧倒する海馬瀬戸のような戦い方しか知らなかった僕が、モンスターが破壊されても後続が尽きないということの強さ、そして遊戯王というゲームにおけるハンドアドバンテージの重要性を学んだカードだった。

相手の場にカードがないことを確認すると、僕は全てのガジェットで攻撃宣言をした。相手は顔をかしげて手札を眺めた後、「ありがとうございました」と負けを認めた。僕も「ありがとうございました」と頭を下げた。心が宙に浮かぶのがわかった。2連勝で決勝のデュエルが終わると、見ていたギャラリーが「おお〜」と声を出してパラパラと拍手が上がった。自分で言うのも恥ずかしいが、それはとても美しいデュエルだった。「やったな!」「優勝じゃん!」と僕の友達が肩を叩いた。僕は喜びをうまく表現できず、ドギマギしていた。相手の人は「いや〜きつかったですね」と悔しそうに、でも敗北を認めたいい顔をしていた。僕は世界から隔絶されたこの小さな箱庭の中で、その日、その瞬間だけ、みんなに祝福されたのだ。高校に行っていないのに。人生に落伍しているというのに。僕は祝福されていた。僕は生きることを許されたのだ。間違いなく、人生で一番嬉しい瞬間だった。

そして僕は北関東の、小さな小さなコミュニティの中で、少しだけ名の知れたデュエリストになった。遠征で来た他県のデュエリストからも、「けろっぴさんですよね?」と聞かれるようになった。そのことが僕は誇らしかった。

テレサさんとアリスさんは、その後すぐに受験を終え街を出ていってしまったのだけど、一年後、家を出て東京で暮らしていた僕は一度だけ埼玉に下宿したアリスさんの家に遊びに行ったことがあった。そこに群馬に住んでいたテレサさんも遊びに来て、3人で夜通しデュエルをして一緒に大会に出た。僕はその時のことを昨日のように思い出せる。新宿から京浜東北線に揺られて北浦和につき、そこからさらにバスに揺られて埼玉大学の近くのアパートを訪ねた。住所は聞いていたが部屋番号を聞いておらず、彼の本名も知らないので手当たり次第に扉をノックしてする羽目になった。三番目の部屋でアリスさんが出てきた時、僕は泣きそうになった。

数日後、群馬に帰るテレサさんの車に相乗りさせてもらって実家に帰った。たった2つしか違わないのに車を持っているということに僕は「すごい、大人だ」と思った。僕たちはテレサさんの車の助手席に乗って夜の北関東をゆっくりと北上した。街灯もまばらで、暗い車内の中で僕とテレサさんは珍しく遊戯王とは関係のないことを話した。大学のこと、車を買ってもらったこと、大学で情報工学を勉強していること。まだ高卒認定試験も受けていなかった僕は、大学にいくことなど全く考えられていなかったので、彼の話はよくわからず、なんとなく「プログラミング的な感じですか?」と訪ねた。「そうだね。めっちゃ難しくて大変だよ」とテレサさんはハンドルを切りながら答えた。やがて話題もつき、静かな車内に響くエンジン音と、通り過ぎていく信号の残り灯を眺めながら、僕たちは足利に着いた。「送ってくれてありがとうございました」と僕はテレサさんにお礼を言った。テレサさんは全然気にしてないというふうに笑いながら、「じゃあまたね」と言って扉を閉め、走り去っていった。そして、テレサさんとも、アリスさんとも、それ以来会うことはなかった。

でも僕は覚えている。30歳になった今でもとても強い記憶を持っていて、彼らを決して忘れることはない。

僕は「遊戯王デュエリストレベル認定」の掲示板でテレサさんの募集に応じたただ一人の人間だった。そして、あの時テレサさんは受験を間近に控えていて、遊んでいるような暇はなかったはずなのだ。後で聞いたら、「ただの受験の息抜きだよ」と笑っていた。その募集に応じなかったら、きっともう出会えなかっただろう。だから、僕たちが出会ったのは本当に針の穴を通すような偶然であり、素晴らしい人生の悪戯だったのだ。

遊戯王というゲームをやっていなければ、僕とテレサさんは出会うことはなかった。彼と仲良くなる機会もきっとなかった。もしたまたま知り合ったとしても、高校も行かず、日が暮れてから起き、たった一個のデッキで毎日一人回しで遊んで戦略を練っているような人間が、同年代の高校生と何を語れただろう。自分のどうしようもない現状を語ることも出来ず、行きたい大学も好きな女の子の話も出来ず、やりきれない気持ちになっていたに違いない。

でも僕たちは仲良くなれた。デュエルをすることで、お互いのことは何もわからずとも、いくらでも話をすることができた。真冬なのに暖房もなく、隙間風がひどいあのきんこん館の奥で、僕たちはゲームをして、友達になったのだ。

それからしばらくして僕は東京で一人暮らしをして高卒認定試験をとり、大学に入った。今に至るまで、僕は色々なアナログゲームで友達を作った。どんな場であっても、ゲームをすると不思議とすぐ打ち解けることができた。僕は生来のゲーム好きだったのだろう。

大人になるとどうして友達ができないんだろう、と思う。

僕は、ゲームという遊びに興じる人が減ってしまったからだと思う。子供の頃はみな何かしらのゲームで友達と遊んでいたはずだ。お金もなく、一人で満足に遊べる選択肢が少ないから、有り余った時間を過ごすために自然と友達と集まる。そして長い時間ダラダラと遊んでいられる遊びをみんな求めていたのだろう。

仕事に追われ、家庭を作り、お金も一人遊びの手段も充実した大人には、誰かと遊ぶということは重いことなのかもしれない。ゲームの面白さをもう感じられなくなってしまったのかもしれない。

でも僕はいまだにそのゲットーに生きている。誰かと遊びたいと常に渇望している。僕が創作を続けるのも、そうやって他の人の気を引ければ一緒に遊んでくれる友達がまた現れると期待しているからなのかもしれない。

子供の頃の僕にとって、友達というのは一緒に遊ぶ人のことだった。それ以外の定義は存在しなかった。だから、未だにそんなことを強く信じているし、逆に家族とか恋人というものの定義はよく分からずにいる。一緒に遊ばないのに楽しく一緒にいるというのが僕にはよくわからない。ゲームもせず一体何をするのだろう?と疑問に思う。

僕はおかしいのだろうか。人と遊ばなければ打ち解けられないなんて本当なのだろうか。でも実際に、そのゲームをやめてから急に疎遠になってしまった友達もたくさんいる。それは悲しいけど、僕にとっては自然なことだった。

金の切れ目が縁の切れ目という言葉がある。嫌な言葉だ。人の関係性はお金なんかじゃ買えやしないんだ。でも、ゲームをしないなら友達で居られないなら、僕もひどい人間なのだろうか。ゲームという特別なルールの中でしか、人を信頼できない狂った人間なのだろうか。

人と人が分り合うってなんだ? 友達ってなんだ? 一生付き合える友達なんているのか?

ずっと隣で同じ人生を歩んでも居ない限り、全ての話があう人なんて居ない。仕事も、住む場所も、見ていることも、聞いていることも、考えることも少しずつズレていく。ふとした瞬間に、何気ない言葉の端から、決定的な自分とのズレを感じてしまい、急速に心が離れてしまうことが、今まで何度もあった。

一度離れ出した心はもう近づくことはない。大人になって歳を重ねれば重ねるほど、そういうズレは決定的になっていった。

僕はひどい人間だろうか? 僕と同じ価値観を持っている人なんてこの世にいないから、せめて同じスピードで、同じルールで生きることができる友達をゲームの中にしか求めることができないのだろうか?

趣味や嗜好ではダメなのだ。話すだけでは足りないのだ。僕はゲームの中でしか、人と同じスピードで生きることができないのだ。逆に言えば、ゲームをやってさえいれば、僕はどんな人とも仲良くなれるのだと思う。僕のことを特に好きじゃなくても、そのゲームが好きなのなら、僕たちは楽しく遊んでいられる。

だからゲームというのは本当に素晴らしいなと思う。人間の活動なんてほとんどゲーム的だと思うけど、ルールや勝ち負けが不変であるというのはとても安心する。ゲームのルールを疑うことは必要がない。無条件に、意味のないルールを課されるからこそ面白いのだ。だから、ルールを無視したり、誰かだけが得をするようなルールを作ったり、ルールを守ることに躍起になっているこの社会が僕は嫌いだ。

そういえば、「遊戯王」の主人公の武藤遊戯もゲームを通してしか人と仲良くなれない内気な少年だった。彼の「見えるけど見えない」友達は、全てゲームを通して得たものだった。

僕は、遊戯だったのだ。

今になるまで、そんなことに気がつきもしなかった。

遊戯はどういう大人になったんだろう。城之内くんとの友情はまだ続いているんだろうか。彼はまだゲームが好きだろうか。

僕はどういう大人になったんだろう。これからも一緒に遊ぶ友達を見つけられるのだろうか。もし誰とも遊ぶ相手がいなくなってしまったら、僕はどうなるのだろう。

こんなことを語ってどうなるというのだろう。僕はもういい大人なのに。
いや、僕以外の皆が大人になってしまったのだろうか?

みんなゲームをせずに人と友達でいられるんですか?
ゲームをやらずに人を信頼できるんですか?

「はい、そうですよ」という誰かの声が聞こえる。
「でしょうね」という僕の声が聞こえる。

僕は今でも時々きんこん館の奥の、薄暗いデュエルスペースのことを思い出す。あの場所には、世界が認めた価値のあるものなんて何一つなかった。いい年こいて子供向けカードゲームなんかに興じている「痛い」奴等の溜まり場だった。みんなそれぞれ葛藤を抱えていた。人生が充実しているやつなんて一人もいなかった。でも僕たちは楽しかった。僕たちはデュエルを通じて心を通わせていたのだ。

あの場所には全てがあった。少なくとも、僕の人生を満たす全ての物事が存在していた。あの時期、あの場所に居なかった人間には、分かるはずがない。僕たちはあの場所に集うべくして集っていたのだ。他のどこでも、他の誰でもだめだったのだ。僕たちはデュエルをするしかなかったのだ。ただデュエルするしかなかったのだ。

あれから15年経った。僕は二倍の歳を取った。一流と呼ばれる大学を卒業して、プログラマーという時代の潮流にたまたま乗って、20代で1000万円を超えるお金を得た。でもこれは僕の望んだ幸せじゃないみたいだ。

空が落ちてきそうなほど重いあの曇天の土曜日の午後、決勝戦に勝って皆に祝福されたときのような、泣き出したくなるような嬉しさはもうどこにもない。

人生って難しいよな? 人間って単純じゃないよな?
なぁ、僕はあれからずっとこんな人間なんだぜ。

みんな、僕とデュエルをしてくれてありがとう。
僕を祝福してくれてありがとう。僕はまだなんとか生きているよ。

きみたちは気にも止めていなかっただろうけど、僕はきみたちに救われたんだ。本当だぜ。

きんこん館はまだあの場所で営業している。遊戯王カードもまだ売っている。こんな季節だから、きっと寒いままだろう。

今もまだ、あの場所にはもう一人の僕がいるのかもしれない。15歳の僕が、どこにも行き場のない奴等が、隙間風に震えながらデュエルしているのかもしれない。

それでいいんだ、きみたちはそれでいいんだ。
他のどの大人が認めなくても、僕はきみたちを祝福する。
きみたちは、世界で一番幸せなんだ。
友達と一緒にゲームができるのは、人生で最も素晴らしいことなんだ。

だから、それでいいんだ。

こんな長い話を聞いてくれてありがとう。こんなこと誰かに語るつもりはなかったんだけど、どうしてか、今語らないわけにはいかなかった。あの時、あの場所の思い出を、僕の中にだけ留めておくことはできなかった。

これは普通の幸せの話ではない。理解できる人はごく僅かだろう。でも全て本当の話で、僕が知っている一番幸せな話をしたつもりだ。人の幸せなんて千差万別だよな?だから分かってほしいなんて思ってない。でもたかがゲームに人生を救われた奴だっているんだってことを知って欲しかった。彼らの優しさを知って欲しかった。人の集まる場所には必ずこういうドラマがあるんだ、意味のないことなんてないんだってことを。

30にもなって自分語りなんてつまらないよな。でも俺は満足したよ。
だってこれは私信みたいなものだから。15年経って彼らに本当に感謝しているということを伝えたかっただけ。

みんなどこで何をしているのか知る由もないけど、彼らの人生が幸せだといいなと思う。遊戯王に紡がれた僕たちの絆が、この世界を少し良くしたということを、ここに記しておく。今の僕にできるのは、それだけだ。