美容院

だいたい毎回こんな感じ。成長しない。

「今日はどうしますか?」
どう?どうって何だ。誰々みたいに?似せたい方向で憧れている芸能人なんていないし、よしんばいたとしても誰々みたいにしてくれなどと厚かましいことが言えるはずがない。
髪型の名前を言えばいいのか?どんな髪型があったか、思いつく限り頭に浮かべる……。スキンヘッド・アフロ・ドレッド・リーゼント・ツーブロック・モヒカン・逆モヒカン・ウルフカット・マッシュルームカット・ショートボブ。モンハンのキャラクリエイトか何かか。
「か、カタチハソノママゼンタイヲカルクスルカンジデ……」
結局少なくとも失敗しないと知っている呪文を馬鹿の一つ覚えのように呟く。
「はあい。じゃあまずシャンプーからしていきますね」
椅子を回され、洗髪台の方へ誘導される。先導されるままうつむきがちにおずおずと美容師さんの後ろをついていっていると、自分が3歳児にでもなった気がしてくる。促されるままに椅子に腰掛け、椅子が倒される。
「もう少し上の方に来てもらっていいですかあ?」
頭に当たる洗髪台の感触でベストポジションを察することもできなくてごめんなさい。
「お顔失礼しまあす」
そう聞こえるや顔の上に軽い布が覆いかぶさってくる。そして頭上で水音が響き始め、間も無く暖かい水が髪を濡らし始める。普段の自宅のシャワーではあり得ない丁重さで髪と頭皮が清められていく。
そんな心地よさに溺れることなく、私ときたら必死で瞳を右上に引き上げている。布を外されたときに目がくらむ感覚が嫌いで、視界の中で最も明るい場所を凝視しているのである。
「痒いところありませんか?」
あったとて。掻いてくれろなど言えるものか。
「大丈夫です……」
「はあい」
無言の中、シャワーの音が響く。私は相変わらず瞳を右上に引き上げている。
「はい、お疲れ様でした。布お取りしますね」
そう聞こえると同時に布がつまみ上げられる気配がする。慌てて視線を正面に向ける。
白目を向かんばかりに目をひん剥いた姿をお披露目することはかろうじて避けられた。いや、でも普通の人は布を外した時、目を閉じているものなのではないか?布を外した瞬間まっすぐ前を見据えた男が現れるのはそれはそれでキモいのではないか?一体どうするのが正解なんだ。
「よろしければこちらお使いください」
美容師さんの方を見ると、暖かいおしぼりを広げてこちらに手渡そうとしている。
なんだそれは。なぜこのタイミングでそれがいるんだ。何をすれば満足なんだ。
曖昧な笑顔で受け取り、軽く手を拭く。美容師さんの笑顔に不審なところはない。
そのまま美容師さんの表情の変化に最大限の注意を払いながらゆっくりと顔におしぼりを持っていく。顔に暖かいものが触れる。
そのまま少し手に力を入れ、少し目をほぐしつつ、額に流れ落ちようとしていた雫を拭い取る。
おしぼりをゆっくりと顔から離し、美容師さんの方を今一度見やる。美容師さんは変わらない笑顔でこちらを見ている。
「ありがとうございます」
そう言っておしぼりを軽くたたみ美容師さんに返す。多分、間違ってない、と思う。誰も本当のところは教えてくれない。
「はい、じゃあカットしますのでお席移動しますね」
なぜ美容室ではこう無力になるのだろう。元の席に戻るだけのことなのに、知らず知らずに何か滑稽なことをしているのではないかと気になってたまらない。
ふわりとケープを被せられ、首に巻かれる。
「苦しくないですか?」
首に何かが触れること自体があまり好きではないのだが、そうも言っていられない。
「大丈夫です」
「じゃあカットしていきますね」
サクサクと髪に鋏が入っていく。手馴れたもので、みるみるうちにケープや床に切られた毛が降り積もっていく。
2、3プライベートな質問が美容師さんから飛んでくる。
「そうなんですねえ」
出来るだけにこやかに答えたつもりなのだが、それ以上話が続かない。
これではいかんとこちらから話しかけてみるが、声が届かなかったものかトンチンカンな返答が返ってくる。
諦めて互いに無言になる。
隣の席では別の美容師さんが「映画見ないんで大丈夫ですよ」と客が見てきた映画の展開を話すことを促している。私は大丈夫じゃない。
「ちょっと頭右に傾けてもらっていいですか」
言われるがまま頭を傾ける。頭を掴まれ、微調整される。美容師さんが望む角度に頭を傾けることも満足にできない。
もはや私にできるのは、頭をフラフラさせて美容師さんの手を余計に煩わせないことだけだ。
卑屈な頭でそう定めて二度と動くまいと首の筋肉に意識を集中していると、いつまでそんなことをやっているんだ、と言いたげな「もう大丈夫ですよ」の声とともに頭の向きが直される。一層自分が情けなくなる。
いつの間にやらほとんど切り終わり、再度の洗髪台への移動を促される。
椅子から降りたとき、床に落ちた自分の髪で足を軽く滑らせ、美容師さんに心配される。
相変わらず、洗髪台への移動も洗髪中の態度も渡されるおしぼりの使い方も何もかもが自信なさげで、なんでこんな目に遭っているのだろうかと泣きそうになる。
最後、ドライヤーで髪を乾かし、少しの仕上げが入る。
「いかがでしょう?」
鏡を見せられる。整ったな、とは思うが、良し悪しはわからない。
例えばここで文句を言ったら直してくれるものなのか?本当にここで思ってたのと違うと口に出せる人がいるのか?
「大丈夫だと思います」
「はい、お疲れ様でした」
レジまで誘導され、上着とカバンが返される。
上着を着てカバンを身につけている間も美容師さんは料金の計算を進めている。
料金が出るまでに全ての身支度を整えないと美容師さんを待たせてしまう。焦って上着の袖がうまく通らない。
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
見かねた美容師さんに声をかけられる。吹き出た汗で早くもセットが崩れ始めるのを感じる。
バタバタと会計を済ませ、美容師さんの視線を背中に感じながら店を後にする。
もしかしたら私が帰った後で私が顔の布を取り除けたときに目を見開いていたことやおしぼりを思わぬ使い方をしたこと、足を滑らせたことについて同僚と笑い合い、私の陰気さを嘲っているのかもしれないが、それはもう勝手にしてくれたらいい。そう思いながら、私は駅までトボトボと歩いた。

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