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映画『ドライブ・マイ・カー』を観た

同じ喪失を体験した二人は同じように悲しむことが出来なかったのだろうか?

幼い娘を病気で亡くした家福夫妻。妻は女優を辞め悲しみに暮れる日々を送っていたが、ある時、夫とのSEX中に物語を語り始めた。ことが終わると彼女は全てを忘れてしまっていたが、夫がそれを話して聞かせ文章にまとめた。家福 音が脚本家になった経緯である。夫婦のそれは夫・悠介にとって妻へのホスピタリティだったのか。「創作活動」が音の悲しみを癒してくれるのならば、他の男と寝ることにも目を瞑った。

何も言わずに妻の全てを受け入れる夫、夫の愛を受け入れ愛情を注ぐ妻。思いやりの顔をした夫婦生活は美しい虚構だったのかもしれない。お互い本当に言いたいこと聞いてほしいことを隠し続けたままで永遠の別れが訪れた。

みさきもまた消化しきれていない思いを抱えたまま生きてきた。その生い立ちは壮絶といっても差し支えないがないように思えるが、当の本人は淡々と、亡き母への恨みなど微塵もないように語る。誰にも干渉せず誰の干渉も受けず、笑うこと自体を己に禁じているかのように日々を生きている姿は、幸せになることを諦めているようにも見える。

家福は愛車の古いサーブを砦のように扱い、みさきは「大切にされている車は居心地が悪い」と言う。運転手とオーナーとして決して隣に座ることがなかったが、高槻の言葉で一変する。人の心に土足で踏み入るような彼は音との間にあったことの洗いざらいを話す。それは夫である悠介が知りえなかった物語の続きであった。家福の中で何かが崩れた。同乗していた高槻を降ろした後、助手席に乗り込み煙草を吸う。守ってきたものが空虚に見えた。

高槻が起こした事件のために準備してきた演劇祭に危機が訪れ、家福は決断を迫られる。答えを見つけるためにみさきの故郷に連れていくことを指示する。広島から北海道までの長いドライブ、亡くした娘と同じ年齢のみさきと共有するのは家族を失った時から抱える後悔だった。倒壊したみさきの実家を目の前にしながら凍らせていた気持ちが溶けていく家福。

時として人は、黙して耐えることが尊いと思う。まして「男なら」「夫なら」。しかしそんなものは虚像であって、悲しみは等しく降るかかる。娘の喪失は二人で抱えるべきだったし、お互いに慰めあうべきだった。亡き妻への思いを吐露し涙を流す家福を抱きしめるみさき。苦しみを言葉にすることの重要性を改めて感じた。

ここまではコロナ禍以前の物語。ラストシーンは韓国のスーパーマーケットで買い物をするみさきの姿、店内では皆マスク姿なのでコロナのある世界だと分かる。駐車場には赤いサーブと犬(映画祭主催者の飼い犬?)。どういう経緯で彼女が譲り受けたのか、どうして韓国に居るのか、何も語られていない。

作中で全てを明かす必要はない。みさきの笑顔が印象的で、清々しい気持ちで映画館を後にすることが出来た。いい映画を観た。

余談だが、原作が村上春樹だと知らずに行った(おいおいwww)。ノルウェーの森しか読んだことがないのでよく分からないのだが、こんな感じ?SEXしながら物語が降りてくるなんて突拍子もない設定だなぁ(笑)と思ったよ、正直。

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