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夏休みの日記 1週目

7月1日(木)夏休み1日目 雨のち曇りのち雨

11:35起床。
昨日はパンドラの箱を開いて体力を消耗したから目覚めの悪さは仕方ない。
朝の国語の時間は夜の自由時間に移動することにして、だらだら身支度。

・英語 14:00~16:00
クローゼットをひっくりかえして大昔に買ったTOEFLの教材一式を確保。
今回の英語学習の目的は使える英語を準備しておくことなので、模試でだいたい80くらいスコアできるようになればよしとする。
今日は教材を満遍なくさらって今後の勉強方針を決める日にした。
付録のCD音源を聴くために外付けドライブを購入。
CDというところに教材の古さを感じる。英語も古びてしまっただろうか。

・フランス語 16:30~19:00
2時間半中1時間しか集中しなかったので発音の単元すら終わってない。
発音練習に出てきた知らない単語を全て調べる。辞書を読み込むのが楽しい。
辞書アプリでプチ・ロワイヤルを購入したので紙辞書は処分しようかと思ったが、閉ざされた部屋で紙辞書を捲りながらフランス語を囁き合うどエロいデートをしたことがあるため、思い出深くて捨てられない。
あれまたやりたい。abandonnerを覚えた日。

・国語 21:00~24:00
まずは一つ、楽しみにしていた連載を読んで感想を返信。
国語の時間という意識があるので思わず感想が長文にのぼる。22:50。
シャンパンは1本空いたが、まだ正気なのでニュースをまとめて読む。
『新潮』編集長の矢野さんがいいことを言っている。「言葉も想像力も文学の独占物ではない」。
元気がでて、もう一つの楽しみにしていた終章を途中まで読んで返信。0:39。酔っているので大胆なコメントばかり繰り出してしまう。
多分0:50くらいに完全に酔いが回って力尽きて寝た。

7月2日(金)夏休み2日目 大雨

9:40起床。
8時に国語を開始するという計画は無謀すぎた。三十路すぎてなお己を知らない。
早起きの人から届いていたメールを読むことでゆっくり覚醒。
肌寒い外気に反してパジャマがほとんど脱げている。

・国語 10:30~12:00
「2日目の教材、こちらはいかがですか」との提案を受け、記事を読む。
パトリック・ドゥヴォス先生による渡邊守章先生の追悼文。ベルギー人なのに日本語がうますぎる。
渡邊先生のフランス語がナチュラルで素晴らしいという話を流麗な日本語でする、なんともまあハイレベルなことをなさっているのだが、嫌味ったらしさが全然ない。
演劇の人間は文体に呼吸を持っていて(文筆の人間は無呼吸で書く)、読んで気持ちがいい。

・フランス語 14:30〜17:15
“On en mangerait!” という表現を学ぶ。直訳すると「とても食欲をそそられる」だが、転じて「とっても魅力的だ、美しい、可愛い」という意味にも使われるらしい。捕食を実践している身としてはやや白けるところがある。
「ご親切にありがとうございました」という表現にaimableを使うと皮肉に聞こえることもあるらしく、Vous êtes trop aimable. に「本当にご親切さま」という和訳を充てて注意しているのだが、訳の日本語がうますぎて笑ってしまった。巧みな皮肉表現だ。
今日は集中したのでLeçon1まで終えられた。「君が好き」「バリねむ」くらいは言えるように。

・英語 17:30〜17:50
フランス語で本気を出しすぎて疲れたのでベッドに寝転んで20分だけ『東大英単』を眺める。
いい教科書だ。accumulateのアクセントが1つめのuにあるのを初めて知った。

・渋沢・クローデル賞受賞記念講演 18:00〜19:30
受賞者のお二方がどちらも存じあげている方だったので聴講。
門外漢にも筋と意義がわかりやすい二作だった。ご受賞おめでとうございます。

・自由時間 20:00〜23:00
アマチュアの形式をとってはいるがどう見てもプロが趣味で描いている漫画を読んでいたら、「今まで触れられたことのない場所を触られたような…」というモノローグに、
骨になった自分に複数の手が伸び、肋骨の奥にある背骨や顎の骨の奥、肋骨のふちや右の二の腕の脇に近いあたりの骨を撫でられている挿絵が添えられていて、
その表現のあまりの巧さに息を飲んだ。触れられたことのない場所を触れられたことがある人の表現だ。
私もそういう経験があって、特に背骨を外でなく内から撫でられる感覚には強く共感する。
電話をもらって1時間ほど素面っぽいことを話して、23時くらいに酔って眠りに落ちた。
電話の相手は5時に起きて読んでいる本の続きを読むのだと言う。大人っぽいな。

7月3日(土)夏休み3日目 曇り

6:00に一旦起床するも寝汚さから二度寝、9:40起床。
服を脱ぐと少し痩せたことがわかる。毎日しらすと豆腐しか食べていない。

・国語 10:40〜14:00
毎日4時間設定してあったはずの国語の時間がなぜかほぼない。なぜなんだ。
日記の公開用の記事をさっと作って、あとは終章のフィードバックに充てた。
これで当座のやるべきことは済んだので、月曜からは真剣に読書に取り組みたい。

・啓蒙思想と「フランス人の美食術」 14:00〜16:00
橋本周子『美食家の誕生』(2014, 名古屋大学出版会)というすごくいい本の著者の方がご登壇のオンライン対談を聴講。
18世紀まではgourmandは「大食、食道楽」、gourmandiseには「貪食」という明らかに悪徳を想起させる語だったが、
18世紀の『百科全書』では、gourmandは「過度に貪るように食べる動物について用いる」、gourmandiseは「ごちそうに対する洗練された、常軌を逸した愛」といったことが書かれており、明らかに食についての人々の考え方が変わったらしい。
何があったんだろう。読むべく早速取り寄せる。

聴講中、友達から「clairvoyantっていう英単語みつけた」と連絡があった。
「極めて優れた洞察力を持つ」という意味だそうだ。
成り立ちは clair(仏・明白な)+voyant(仏・見えている)だそうで、英単語っていうかフランス語やん。と相手も私もやや憤った。
「de factoとかもさ」「ラテン語やな」「pros and consとかもさ」「それは何」「賛否両論」「よく知ってるな〜」さすが二浪、無駄に単語力が高い。
入試現代文の読解で出題が好きな著者にもかかわらず満点がとれず悲しかった話をしたら、
「作者の気持ちがわからなかったんだね」
「獲物のおののきを知悉した狩人になれなかったんだね」
「美を少しも信用しない美の最高の目利きにもなれなかったんだね」
と三段活用で返してきて、出典を尋ねたところ「昭和42「小林秀雄氏頌」/ 三島由紀夫」とのこと。変なやつ。

買い物に出たら自転車の後輪の空気が抜けきっており、すべてのやる気を失う。
なんかちょいちょい人から連絡が入ると思ったら土曜日か。今日はもういいや。

・自由時間 18:00〜24:00
『この音とまれ!』が17巻無料という大判振る舞いなので、ベッドでごろごろしながら読み始める。
いつか1巻を試し読みして凄まじかった記憶があり、読める機会があるといいなと思っていた。
案の定めちゃめちゃ泣いた。登場人物全員の勇気量(勇気量?)が常軌を逸しており、狡い人間が一人もいないのでこちらも心が助かりやすい。狡い人間を見ると傷つく。
音の表現を人物の描き方で伝えてくるのがすごい。登場人物の奏でる音の深みを表すためにその人物の過去の物語を挿入するのが上手い。何を描いてもいちいち絵が上手くてハッとする。
数学への憧れが異様に強いため数学の先生が凄まじい箏曲を作曲したエピソードに感動しすぎてiPhoneを顔面に落とす。音楽と数学の強い結びつきについていつか理解してみたい。
17冊読み切ったので満足して寝た。

7月4日(日)夏休み4日目 肌寒い雨天

8:30起床。
本当は5:00には目覚めていたのだが、心が何もしたくないと叫んで煩いので寝なおした。
まだ元勤務先に与えられた「営みを拒むことが社会への最大の復讐」という意識が洗われきれず、眠くもないのに誂えられた無気力でベッドから出られない。早く元の自分に戻りたい。
出かける用事があるので、久しぶりにめかしこむ。白いドレスを着た。

・6月のお誕生会
お互いに6月生まれの幼馴染と六本木のle sputnikでお誕生会。フルコース、いつぶりだろう。
le sputnikは味・盛り付けの美しさ・奇抜さ・サービス(ワイン含む)・空間設計の評価ポイントすべてがバランスよく秀でていて、東京の好きなレストランの一つ。
前菜、カツオと色とりどりのトマトにトマトエキスの透明シートを被せてあるお品、味付けのためのジュレにクミン・コリアンダー・フェンネルが使われていて、夏らしさをエスニックからの借用で表現しているのが上手い。
2皿目はまさかのパウンドケーキ、パウンドケーキというよりスフレに近いふわふわもにもに。コーンとベーコンが入っていて、付け合せは薫香を焚き染めたクリーム。焼き物の香ばしさと重なって異様に美味い。
3皿目は帆立と帆立のムースとキャベツのミルフィーユで、層ごとにキャベツの葉の色が違うのが憎い。添えられたソースも下に緑、上に白の二層をなしていて、食べ進めるごとにあらゆる濃度の緑が目に飛び込む。
4皿目がちょっと、構想が常軌を逸していて戦慄したのだが、えーとうまく書けるかな、まず茄子を枕に大柄の万願寺とうがらしが寝ている状態、二つの野菜はグリルドで、そこに薄く小さな短冊状にした透明なイカを格子状に乗せて、その上にこれでもかとハーブの森をあしらい、ソースは透明のグリーンカレー。なるほど。万願寺とうがらしもグリーンチリペッパーだものね。
ハーブと唐辛子を口いっぱいに頬張って押し寄せる爽快な青苦さとにじり寄る辛さをココナッツの風味がぱっと中和して、そこにイカの香ばしさ、なめらかでつややかな舌触り、海の波の白いところの香りがする。森をかき分けて海に出た時の匂いがする。ちょっともう本当にびっくりしちゃった。これだからやめられない。

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5・6皿目はビーツの薔薇とパテアンクルート。冷静と情熱のあいだみたいな皿と幼稚園みたいな皿が一緒に来てウケた。
7皿目はお魚で、衣ごとばりばりに揚げた金目鯛に茗荷やマスタードでさっぱり作った甘酸っぱい粒系のソースと九条ネギのソテーを乗せておめかし、魚醤とバルサミコ酢をベースに少しだけ甘く仕上げたソースのプール添え。見た目は控えめなのに味がガツンと強い。
8皿目にメインの鴨。肉と野菜が黒いお皿に乗っているとコタンなどの描く静物画のようで綺麗。低温で7時間火を入れた巨峰がジューシーで鴨の脂とよく調和した。
デセールはハーフカットされたシューの中にライムで風味づけしたカスタード、ココナッツアイス、ココナッツとレモンのメレンゲスティックをあしらった夏らしい一品。最近ココナッツアイスにどハマりしているので嬉しい。
コーヒーでしっかり閉じてごちそうさま。パンも残さず食べてお腹いっぱい。まだ雨の止まない六本木の午後を寒がりながら歩いた。

・伊勢丹
用があって新宿に赴いたついでに伊勢丹を冷やかす。
HUGO&VICTORが常設で買えるようになっていた。あの本型のお箱が手土産に喜ばれるのだろうか。ビミョーである。
BENOIT NIHANTが催事で来ているのを発見。すかさずタブレットを買う。
Henri Le RouxとFabrice Gillotteが撤退している。あの落ち着いた2ブースには代わりになんだか煩げな菓子屋が入った。
ちょっと来ないうちにいろいろ入れ替わっていて、もう新宿が自分の街ではなくなったことが少し寂しい。
ターゲット年齢層が下がったように感じられ、他の階を見る気にもなれずトボトボ帰路につく。

・自由時間 18:00〜22:30
昨晩読んだ漫画のクライマックスの5冊を再読し、昨日より泣く。目が腫れて痛い。
保冷剤を目に当てながら、取り寄せた橋本周子『美食家の誕生——グリモと〈食〉のフランス革命』を読み始める。
有識者と話していたら「たぶんグリモの研究者って世界でも三人くらいしかいないのでは、と思う」と言っていて、「誰かを」でなく「何かを」研究しようとして未踏の地に一人でぐんぐん入っていけるその勇気に畏敬の念を覚える。よい意味で傲慢だ。
昼から飲んでいたこともあり、ふっと意識が飛んでいた。時間が豊かにあるので焦りを覚える必要がなく、労働していた頃には絶対にとれなかった22時代に入眠という選択を悠々ととる。なんて贅沢。
美味しいものを食べて良い本を読んで、リッチな1日でした。
おやすみなさい。

7月5日(月)夏休み5日目 曇天

9:00起床。
6:00に一旦頭が目覚めるものの、どうしても起きようと思えない。起きるための強制力が働かない。
読みたい本はあるはずなのに、意地汚く、眠っていてもいいなら眠っていたいと思ってしまう。
結局3時間も半覚醒状態でいろいろと嫌なことを考えつつ、ただ眠りを延長してしまった。情けない。

・国語 9:30〜13:00
昨日書かなかった日記を書き始めたら、思いのほか時間を食われた。11:45。
書くのをやめて『美食家の誕生』の続きを読む。食事を挟んで序章すら読み終わらない。

・お昼寝 13:30〜15:00
本を読んでいたらいつのまにか眠ってしまっていた。
14:00まで15分だけ仮眠を取ろうとベッドにどさっと落ちて、次に気がついた時には15:00を回っていた。
誰の夢を見たのだったか。夏休みに入ってから、昔の人々の夢を見る。
昨夜あれほど長く寝たのにどうしてこうも眠ってしまうのだろうかとだらしなさに落ち込むが、
全身鏡に映る自分の裸の身体の変形をみとめ、ああと思った。社会生活を休んでいても女性は来るのだ。
今日がもう使い物にならないことを察知し、そのままだらだらと過ごした。痛むかわりに眠っているらしい。
あーあ。

・料理 18:30〜19:00
若い頃に美食を嗜んだだけあって、味付けだけは妙に上手い。
鶏胸のひき肉にレモン果汁を大胆に浴びせて炒め、火が通りつつあるのを眺めながらブラウンマッシュルームを小さく切って投入する。肉の半量ほど入ったら塩と胡椒を挽いて全体に振る。やや控えめ。塊になってしまっている肉をヘラで潰し割りつつ、全体にレモンの風味が行き渡るように大きく混ぜる。今度は隣で胡瓜を叩く。バキバキにした胡瓜を指で小さく割りながら1本フライパンに投入。その上にライムを絞り、干し海老の粉末と塩を混ぜたものを胡瓜の上にだけ乗るように振る。全体を混ぜて、胡瓜の表面に火が通ったら止める。そのまま放置して粗熱を取り、刻んだパクチーとあわせてロメインレタスに包んで食べる。美味しい。シャキッとレタスを通り抜けたかと思えば、ボリ、と胡瓜の歯ごたえ。シャキッとボリッを細かく咀嚼していると、鶏肉からぎゅうぎゅうと旨味が溢れ出す。そこにパクチーの香味が絡まる。土の味だけでなく海の味も混ざっているから、噛んでいるうちに複雑な味の層ができて飽きさせない。レモンとライムが後から鼻を抜けて爽やかだ。
私の料理は味が良く見た目が悪い。家畜の餌だなと思う。今後の人生で人に振る舞う気は一切ない。

・読書 20:00〜21:00
序章くらいまでは読み終えたくて、再び机に向かう。夜なのでカヴァ付き。
七つの大罪における「貪食」のように、長い間キリスト教文化圏で悪徳として取り扱われてきた「食の快楽」がどのような理屈で許容されるに至ったか、序章を読んでいると明らかな答えがあった。
1715年に出版されたジャン・ポンタの『信条事例事典』の1724年版で、「グルマンディーズ」(現在は「美食」と訳されようが、もとは「グルマン(大食漢、暴食)の行為を働くこと」という語だった)について「適切な時間よりも前に。あまりにも豪華に、あまりにも洗練され、そして過度に、急いで、あまりに快楽を感じて飲み食いすること」という記述がある。「グルマン」の語に動物的な野蛮さ、忌避すべき卑賤さを付している一方で、「グルマンディーズ」の語義はあまりに文明的だ。
「当時、身分に相応しい贅沢は、階層を重んじるカトリック教会の組織体において社会的差異を示すためにむしろ義務とさえ考えられたのであり、結局のところ明らかに非難されるべきは「グルマンディーズ」のうちに含まれる〈大食〉の要素ばかりであった」(橋本、2014:16)。
ことカトリック教会において、あまりに大きな社会を形成したそれは、教義上の厳密さよりもむしろ共同体の維持に注力せざるを得なかった。社会階層を厳格に区分し、与える者と与えられる者、恵まれる者と恵まれない者、救われる者と救われない者との格差をはっきりと示すことで統治するシステムこそが信仰よりも優先された。「与える者、神に恵まれた者、救われし者」であることをそうでない者たちにまざまざと見せつけるのに豊かな食事は効果覿面だったことだろう。「貪食の大罪」を語釈によって捻じ曲げて、純粋な信仰に背いてでも、社会はシステムの維持を望んだ。食欲の満悦を〈大食〉から〈美食〉に切り替えることで、教義から逃れながら階層システムを延命することにしたのだ(以上は私の個人的な解釈)。
私はブリア=サヴァラン及びそこに依拠する社交としての美食の正統性をあまり好ましく思っていないので、グリモについて精緻な研究を施してくれた著者を大歓迎している。自分の人生経験をこの世の全てとして軽薄に断言し、自身の外側の世界を無視黙殺する、他者について想像力を働かせることもない愚鈍な豚を愛せない(個人の感想)。序章できちんと「なぜグリモか」についてまで言及してくれてよかった。「自分を追い求めた先に〈誰か〉がいた」という話には救われる。

・映画 21:30〜23:00
「真剣に愛してる」「愛だと?」「そうだ」「違うな」「どうして?」
「家族や夫婦を結びつけているのは愛じゃない。愚かさや利己主義や恐怖だ。愛は存在しない」「違う」
「私欲は存在する。利益への執着は存在する。自己満足は存在する。でも愛は存在しない。再創造が必要だ」

・映画の感想 23:30〜25:30
若きディカプリオの美しさをこの上なくよく切り取った名作とされながら、何らかの事情でソフトが出回っておらず高騰している幻の作品『太陽と月に背いて』(1995)を『タイタニック』フリークの千裕さんから貸していただいて、初めて観るに至る。まさか拝める日がくるとは思わなかった。この映画を観たことがある人は誰もが口を揃えて「若きディカプリオの傑作はこれだ」と言う。
ソファの上に正座して、めずらしくアルコールに口もつけずに観たが、一巡目はまだヴェルレーヌの額の広さが気になって気になって仕方なく、それに加えて我がランボオがかのディカプリオであることを受け入れられず、何かと目を逸らしてしまう。野蛮な我がランボオ。旧態然とした詩人の詩を蹴散らしながら、テーブルの上を土足で歩く我がランボオ。未熟な感情を世界にぶつける我がランボオ。ディカプリオの奔放さに我がランボオのぼやけた像が追いつかない。
我がランボオは、純真な恋情をヴェルレーヌに込めて「ねえ、見つけた!」なんて叫ぶ若者ではなかった。
「……何を?」「永遠をだよ!」「……どんな?」「それはね、太陽の溶けた海さ!」
そんなふうにとろけるような笑顔で甘くはにかむような、無垢な存在などではないはずだったのだが。

  Elle est retrouvée,
  Quoi? ― L'Éternité.
  C'est la mer allée
  Avec le soleil.

しかしこうして原文を引いてみると、「太陽と一緒に行ってしまった海」なのだなと思う。「太陽と番った海」という邦訳を読んだのはどこでだっただろうか。手元の粟津訳は違っていた。
こうして少しだけフランス語がわかるようになると、ランボーの詩はたしかに、もっと無邪気なものなのかもしれないと思える。それこそ、ディカプリオが天真爛漫に笑って叫んで見せるような永遠を見つける人の詩。
かつて、この映画の存在を最初に教えてくれたのは十年嵩の美しい女で、もう10年前のことになる。「破天荒な態度で中年男ヴェルレーヌを魅了し振り回し破滅させるランボーことディカプリオの美しさたるや」という紹介をしてくれたことをよく憶えている。映画を観たらまったくそんなお話ではなかった。美しきランボーは小悪魔でもなんでもない。ただひたすらに、ランボーの若い純真がヴェルレーヌの姑息な社会性に振り回されて深く深く深く傷ついていく話だった。
いつだって、どんな関係においてだって、社会性が愛を傷つける。純真ゆえに愛しか持っていない者は、相手の社会性に傷をなすことでしか、自分の受けた愛の傷と対等に痛み悶えるところにまで引き摺り下ろせない。私の大事にしている愛を傷つけたのだから、お前の大事にしている社会性を傷つけることでしか、われわれの情愛は完成しない。そういう、傷つけ合うことでしか愛を証明しあえず、そうして傷が深まりすぎたが故に関係が破綻する、そういう話だった。
ランボー研究者もヴェルレーヌ研究者も、ランボー愛好家もヴェルレーヌ愛好家も、この映画にはひどく憤ったことだろう。われわれの高尚な詩をこんな大衆的なメロドラマに回収して、卑しめるのも大概にしろ、と。われわれの神を地に引き摺り下ろすなと。彼らは知らない。物語をメロドラマという枠に回収するのは自身の無知がゆえなのだと。概要だけ、筋だけ取り出せば、すべての美しい物語は所詮ただのメロドラマに過ぎない。プルーストもドストエフスキーもメロドラマである。
眉根の綻びを見たか。唇の落胆を見たか。声の上ずりを見たか。相手を傷つけるための言葉をまさに口にする、その時の耳の震えを見たか?
私にはこの監督がいい加減なランボー理解でこの映画を撮ったとは思えない。映画が完成していることがそれを証明している。

・BTS 25:30〜26:00
タリョラ(BTSのバラエティ番組)をもう長いこと見ていないので、何本か前のものを一つだけ見る。チームに分かれて絵本を作る回。
テテが作った絵本のストーリーが美しすぎて(ある星で一人ぼっちの子がいて、友達を創造しようとするんだけどいつもうまくいかなくて孤独だったところに、あるとき創造したものにスプーン一杯の心を分け与えることを思いつき、自らの心を与えてみると、創造物はついに命をもち、一人ぼっちのその子はようやく友達を得ました、というお話)動揺する。何ですかその創造性ときれいな世界観は……。
ナムトシがジミンちゃんに「あんまり壮大なことを考えないで!!童心に返ってください!!」と長考に入るのを牽制されているのもよかった。ナムトシの放っとくとすぐ世界平和について考え始めてしまうところが好きだ……(ナムトシそうなの?)
はーおもしろかった。癒されるだけ癒されて寝る。アイドルはすごいな。

7月6日(火)夏休み6日目 曇天

9:30起床。現在の私において強制力なき早起きはどだい無理である。
継続・持続には「無理しない」ことが一番重要だ。計画を見直すことにする。
24時間は誰にとっても短い。8時間以上の睡眠が必要な私の体にとっては尚のこと。

・美容 10:00〜11:00
ベビーオイル洗顔で角栓が取れるわ取れるわ。とても楽しい。
美容に時間や手間、お金を費やすことを身に余る贅沢(ほぼ悪徳)だと思っていて、これまでひたすら優先順位を下げてきたが、この夏休みに人生で初めて美容に向き合う余裕を持てた。
さらなる肌質改善を求めてリサーチを行い、いくつかアイテムを買い足す。

・国語 11:00〜12:00
国語というか、日記を書いたり読んだりしているだけなのだが。
書くのが億劫でなく、どんどん書きたくなってしまう。長いことこういう状態にはなれなかった。
休んで元気が回復しているのを実感できて嬉しい。日記のほかにも何か書きたい。

・残務処理ほか 13:00〜19:00
前職のものでいくつか残してあった案件があって、ちょこちょこ残務処理。
業務にかかわっているとどうも気が散って無為な時間を過ごしてしまう。食べたくもないピザのメニューを眺めたり。
ビデオ会議出席。この大企画は本当に入り組んでいて全貌を把握しているのが私しかいない。
あと最低5回は会議に出席することになった。転職先への入社までに企画が手を離れる気がしない。
会議を終え、休憩、家事など。ワクチンの接種券が届いていた。今月下旬には接種できそう。
適当なワインを11本買う。「趣味はお酒」ではなく「趣味は飲酒」であることがよくわかる。
今時のソバー・キュリアスな若者に耄碌を笑われそうで恥ずかしい。

・Kと電話、明日の準備 20:00〜23:30
明日はお呼ばれしている仕事があって、その資料を準備しつつ何を話すか考える。
人前で話すのが誇張でなく10年ぶりなので緊張するが、まあ、なるようにしかなるまい。ホストのサポートを積極的に受けよう。
親友Kのメンタルが不調らしいので電話をかける。自分に余力があるとちゃんと人を労れてよい。
明日の仕事について先方に資料を送って安心したのか、気がつくと動画を流したまま机に突っ伏して眠っていた。
飲みすぎだ。相手の返事も待たずに就寝。


7月7日(水)夏休み7日目 七夕、曇りのち晴れ、少し暑い

6:30起床。
緊張しているとちゃんと目が覚める。
緊張して不安で目が覚めるのと弛緩しきって惰眠を貪るの、どちらも単純に不幸だ。
生の歓びで潑剌と覚醒するようなことがこの先あるだろうか。

・BTS 6:30〜7:30
せっかく早起きしたのに何をしているんだ私は……。
Can’t wait Permission to Dance.

・フランス語 9:00〜12:40(おひるね30分)
4日もあいちゃったので復習からスタート。
会話のテキストのLeçon1をやってみたがまったく気が乗らない。隣の人と体調についてやりとりしたくない。
作文はパズルみたいでちょっと苦手。Je mange du légume tous les jours.(私は野菜を毎日食べます)くらいは言えるように。
進捗は会話のLeçon1, 文法のLeçon2-2まで。
今日はせっかくフランス語の先生に会えるので、あとで見てもらおうと思って、まだ履修していない範囲の仏作文も無理やり書いてみた。
午前中をしっかり使えるとやっぱり気分が全然違う。明日も早起きできるといいな。

・おめかし 12:40〜13:40
新しいスカートを下ろした。異素材が組み合わされたカッコいいスカート。
似合うと褒められたボートネックのトップスを合わせて、よく似合ってる。

・フランス語 15:00〜15:40
フランス語の先生に作文を見てもらったところ、初っ端からavoirとaimerを混同していて呆れられた。
フランス語の先生は私のことを尊敬して尊重してくれているので普段滅多なことは言わないのだが、その人をして「うん、びっくりした」と言わしめる私の語学力。
私は語学ができない。語学ができないと言うと100人中100人が「またまたご謙遜を〜」みたいな反応をするが、本当にできないのである。単語を混同する。活用を間違える。10秒くらい沈思黙考して台本を用意しないと発語できない。
仏作文にみるみる赤が入るのを緊張して見つめる。
自分の苦手なこと、できの悪いところを人に見せることにすごく抵抗が強くて、加えて人に採点されることが(相手の望む100点を取れないことが)怖くて怖くて仕方ない。それでも勇気を出して見てもらうことにした。
私は今、自分の一番弱いところをこの人に預けているのだなと思うと変な汗がでる。怖いが、預ける相手がこの人であることに心からの安堵を覚える。
無知の乱暴がenを当てているところが悉くdansに置き換えられていく。
「私たちはスーパーマーケットで肉と野菜を買う」という作文で、肉は部分冠詞だけど野菜は不定冠詞になるよ、と教わる。
教わったので、「私は毎日野菜を食べます」は Je mange des légumes tous les jours. と書くのが正しいことがわかった。

・お仕事 16:00〜18:00
反応しない複数名に向かって喋るのは初めてで、準備不足を痛感。反応がなくて寂しい。
大人になってからというものの、一対一で膝をつきあわせて関係を結んでいくようなやり方でしか、私生活でも仕事でも人間関係をやってこなかったから、ぎくしゃくしてつい強張った声が出てしまう。
ぜんぜんうまくできなかったな。申し訳なさでいっぱい。
打ち上げは一緒にバス停でオールフリーを飲んだ。

・親密さ 18:00〜19:00
明るくもなく、暗くもない夕方。コーヒーの淹れ方を一度誰かに教わったら、知識を追加することはできても、無知の状態に戻ることはできない。
あなたに何かしてあげられることがあって嬉しい、と言う。もっと何かしてあげたい、まだまだあなたにあげたりないんだ、と。
胡乱さについて恥じていたら、あなたの本気をちゃんと知っているから、いい加減にこなしているときはわかるよ、そしてその緩みがうれしい、と言ってくれて、私はこれまでどんな本気をあなたに見せてきたのだろう、とぼんやり思った。
緩んでいるとも言えるが、親密さのほうに数えたい。
冷房をつけると涼しい。「……こわ、」と呟いたのが印象的だった。

・ビストロ 19:30
近所のビストロにテイクアウトのデリを買いに行ったら、常連のお礼にデセールのおまけをつけてくれた。うれしい。
鯖の瞬間燻製と、オマール海老とベーコンのキッシュでソロ打ち上げ。
「なにか美味しいものを食べたい」という数日来の欲望が満たされた。

・映画の感想 21:30〜23:30
『太陽と月に背いて』を貸してくれた千裕さんと待ち合わせて、映画の感想をスペースで語り合う。
ディカプリオ演じるランボーが、ヴェルレーヌに対しては”Do you love me?”と問いかけるのに対して、彼は”I’m fond of you.”以上の好意を示さないというのを千裕さんから教わって、中年のヴェルレーヌが若きランボーの純真を傷つけ続けている苦しい関係性のなかで、ギリギリのところで矜持を保って対等であることを崩すまいとしているランボーの痛ましさがそんなかたちでも演出されているのかと胸が苦しくなる。
ヴェルレーヌではなく誰と出会ったのであったらランボーはこんなに傷つかなかったのだろう、ということを一瞬考えたが、ランボーが出会ったのがヴェルレーヌじゃなかったら「地獄の一季節」はこの世に生まれなかった。
幸福になることだけが人生の目的ではない。私はランボーを可哀想だとは思わない。自分が自分の範囲内で幸せになること以上に見つめるべきことがある。
数時間にわたって喋りながら大いに飲んで、酔いが回ったので眠る。千裕さんありがと。松沢も。