仕事したくない(終)
ついに最終回を迎える「仕事したくない」シリーズ。本来は人一倍気丈で空気も読めず根性だけはあるはずのけれどもさんが会社から理不尽な仕打ちを受け続けて次第に憔悴していく姿が本当にかわいそうでしたね。オーナー会社の古い中小企業はだいたいこんな感じなので、できれば就労は避けたほうが吉です。気をつけてね。
前回の「せずにすむとありがたいのですが」ではもう抵抗する力すら残っていなかったけれども。最終回、はたして救済はあるのか?
前回までのあらすじ
・外面のいい老舗ブラック企業に勤めている
・外面だけしかいいところがない
・社長の脳のサイズが昆虫
・大きな案件を二つ任されているが、取り掛かっていると舌打ちされる
・なぜ
・在宅勤務を選択すると給与2割カット
・なぜ
・命がけの出勤
・コロナ対応の業務制限という名目での残業代不払い
・業務規制がかかっているのに業務量は増えている
・なぜ
・生活費補填のために副業を開始
・働きすぎて心身ともにダウン(昨秋)
・親しい人の援助を受け徐々に回復(春)
・会社の窮状?に伴い苦手な先輩のパワハラが激化
・つらい
・従業員が辞めすぎて(総社員数の40%にのぼった)仕事が回らない
・それでも回すしかないので回す
・残業代は相変わらず出ない
・売上が伸びているのに削られる人件費
・なぜ
・窮状ハイで苦手な先輩のモラハラが激化
・そこに加え社長直々のパワハラ
・くたばれクソ虫
・大きな案件をやり遂げたいが、物理的にどうしても回せない
・奴隷労働もう限界
・同業他社に勤める大学の先輩からお声がかかる
・神か
・同業他社といっても規模は人数ベースで60倍
・でかい
・法に守られて安心して働けそう
・転職大作戦決行
・なりふり構わず友人達の力を借りていくニュースタイル
・先輩の力強い援護射撃を受けて猛烈に前進
・面接3回もある(会社でかい)
・持ち前の可愛さで突破
・無事合格(5月末)
・最終面接の無茶振りなんだったの……?
・無茶振り耐性を試されたことへの一抹の不安
・ともあれ転職大成功
・辞めます!!!←いまここ
前回までのあらすじというか、最終回に至るまでの怒涛の4・5・6月をダイジェストでお届けしました。
けれどもは地獄から逃げおおせた模様。よかったねえ本当に……。これからは上場企業で法と人事部に守られながら安心して働けそうですね。
当然別種の苦しみは生じるのでしょうが、これまでのように権力だけを持つ愚かな者に無意味に虐げられることは多少減りそうです。私はバカに指図されるのがこの世で一番嫌いなんだよ。くたばれクソ虫。
以下、5月末から6月の退職日記です。読んで楽しいものにはできなかったけれど、書いておかないと忘れるので残しておきます。
*
転職が決まってから退職の意志を伝えるまでの10日間が本当にしんどかった。
27日の最終面接の2時間後に合格通知が届き、脱出の道が開けた。合格通知のメールを読んで往来でへたりこんだ。応援各所に報告のメッセージを打っていたら友達からお祝いの電話がかかってきて、これは現実なのだと確信できた。おめでとうありがとうを体に叩き込んでようやく立ち上がれた。これはおめでとうなのだ。ありがとうなのだ。おめでたい現実、ありがたい現実なのだ。
すぐにも未来に向けて動きたかったが、そこから8日までは諸事情で黙している必要があった。諸事情というか、ボーナス死守が目的なのだが。雀の涙みたいな額のボーナスだが、我慢の甲斐あり無事死守できてよかった。
*
私の所属部署では、月末から月初にかけては企画書を仕上げて提出するのが一番の任務となっている。企画書を出すことは会社の未来を支える意志を示す行為であり、退職を心に決めながらそういうものを作るのは非常に後ろめたい。
企画を練る際、形式上は役職についていないものの実質的に私の上長の役割を担っている苦手な先輩と会議室にこもってブレストするのが常になっている。「どうしてこういう書き方をしたの?」に答えて、「それじゃあだめだよ」と指導を受けて書き直す作業。
この先輩はなんというか、今時めずらしい滅私奉公型で、私のような「規則なんぞ破ってナンボ」みたいなグレた価値観の人間とはとにかく相入れないのだが、相性が悪いだけで、本人はけっして悪い人ではない。彼女の滅私奉公スタイルを同僚たちに強要して、従わなければモラルを死ぬほど詰ってくるので、実質的に悪性ではあるのだが。それでも彼女は彼女なりの正義を貫いているだけで、悪を働こうとしているわけではないので、私も嫌いになりきれない。滅私奉公という言葉が示す通り、ひたすら健気なだけなのだ。土日もオフィスに立てこもり、私費で出張に出かける姿は涙ぐましい。後輩としては迷惑すぎるのでやめていただきたいが、もう他人なので関係ない。
夢に先輩が出てくれば深夜に荒い呼吸とともに飛び起き、「〜〜してください。」とのメールが来るたびに軽く吐き、外部との会議中に名前を口にしただけで涙がぼろっと出てきてしまうのだが、それでも、ずるをはたらく悪人ではないというのがわかっているから、嫌いではないんだよ本当に。ただ相性が悪いだけ。昼休みに会議室で寝てたら「トドが寝てるのかと思った」とか言われるけど。いきなり会議室に呼び出されて「あなたのことをこの会社の誰も評価してないからね、言っとくけど」とか言われるけど。それでも彼女の健気さに同情を感じてしまうので、憎みこそすれ嫌いにはなれない。
話を戻すと、そのブレストのミーティングで、先輩は確かに、私の技能を育て、企画をよりよいものにするために力を尽くしてくれるわけです。大変ありがたいこと。「本当に能力がないよね」とか「何年やってんの?」とか言われるけど、指導自体はありがたいことです。善意で教育係を引き受けてくれているわけで。私に辛く当たるのは会社のためなのだとわかる。辞める決心を腹にかかえたまま、嫌いではない先輩の熱心な指導を受ける。こんなに居心地の悪いことはない。胃が痛む。
先輩の熱心な指導のおかげでブラッシュアップされた企画書を眺めながら、辞意を伝えて「裏切られた」と先輩が癇癪を起こすところばかり想像してしまう。癇癪を回した先輩が、二人きりの会議室で、大声で私をなじるところばかり想像してしまう。昼も夜も。夢にも見る。
手塩にかけて育てた私が去っていく先輩の気持ちを想像するととても苦しい。残りわずかな勤務日数で少しでも担当案件を進めておこうと資料をつくる両手が手汗でぐっしょりと濡れて気持ち悪い。
6月8日、毎週の進捗報告ミーティングの際、思い切って辞意を告げたところ、「おまえもか」と力の抜けた苦笑いで言われた。先輩が私と同じく手塩にかけて育ててきた同僚男性も一緒に辞めるらしい。その同僚男性と比べてお前はなんて出来が悪いんだ、と何度も言われてきた。企画した商品の売れ行きの差を見るに、劣っているとは思えないのだが。まあいい。彼も辞めるとなれば、先輩の喪失感は何倍にもふくれあがっていることだろう。かわいそうに。
俯いた先輩が固まっているので気まずくしていると、ようやく顔を上げた先輩は「じゃあ、あの企画は潰すしかないね!」と朗らかに言う。
あの企画というのは、私が何年もかけて取り組んできた二つの大プロジェクトである。これらのせいでぐずぐず辞める決心ができず、なんとか添い遂げようと躍起になっていたプロジェクトたち。——実現した暁には死のうとすら思っていた。自分の世界における社会的な存在意義はそこでもう十分果たされ、それ以降は生きていなくてもいいだろうと。
それをあっけらかんと「潰す」と言うので目の前が真っ暗になった。
それからの日々は、先輩の「潰す」を差し止めるべく奔走した。社内ではプロジェクトの継続を現実的なものにするべく、粘り強く増員のための交渉を重ね、社外、プロジェクトの外部協力者たちには、一人一人に懇切丁寧なお詫びと現状報告を立て、万が一潰れた場合の企画譲渡先まで提案してまわった。へとへとになったが、引き継ぎ先も増員も決まり、外部の不安も解消し、なんとか潰れずに済んだのでよかった。疲れた。へとへとだ。
何のためにここまでやっているのか自分でもよくわからない。私の過去のがんばりを救うためなのかな。この3年間、うち1年は停滞していたけれど、それでも私の全てを捧げて頑張ってきた企画だったんだよ。
関わるすべての人にとって有意義な成果になるはずのプロジェクトで、何百人もの人間が力を貸してくれていて、それを簡単に「潰す」なんて言われて心がずたずたになって、しかしどんなに傷ついたかをあまりうまく伝えられなくて、そのせいでいまいち助からなかったのでまた凹んだ。言葉は難しい。
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退職の意志を伝えて、希望通りの退職日程で受理された(らしい。正式な通達は回らず、社長の反応から憶測で判断するしかないのだが、先輩が「受理されたらしい」と言うので、それを信じて受理されたとして動くしかない。なんてあやふやなんだ)。最終出社日まで2週間しかない。とにかく時間が足りなくてばたばたしている。
ほうぼうに退職の旨を連絡すると、3割くらいの仕事相手が返信をくれて、返信をくれる人たちはみんな祝福してくれるので安心する。企画を中座することになってごめんなさいと謝ると、「ご努力は皆が見ておりますので、ご心配されることは何もないですよ」と励ましてもらえて目が潤んだ。それでも、3割くらいのものなんだなと少し凹む。
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辞意を伝えてからというものの、社長の情緒不安定は目をみはる酷さだ。
「急に辞めるなんて言い出して、人間性を疑う」などと激昂してみせたかと思えば、その10分後に「さっきは悪かった、今まで厳しくしてきたのはあんたのためを思ってのことだったんだ」としおらしく謝ってくる。というのがほぼ毎日繰り返される。霊媒師か精神科医をつけたほうがいいんじゃないだろうか。
なぜか「親の介護で故郷に帰る」というシナリオを先輩にでっち上げさせられたので、そういう設定で受け答えしている。先輩の所属党派は「社長のお気持ちが第一」なので、社長の心の安寧のためならば後輩に嘘を吐かせることになんのためらいもない。まあ先輩のそういう慮りもわからなくはないので、私は最後の先輩孝行だと従ったが、一緒に辞める同僚は鬱病をでっちあげられたのが心底不服らしい。
給湯室に現れた同僚は「こないだ社長から電話掛かってきた時さ、オレ、ちょっと言っちゃおうかと思ったもん。オレも彼女(=私)も次が決まってますよ、ここにいたくないから辞めるんですよって」とイライラした声で話す。
「言うのは勝手だけど、私を巻き込むのはやめてくれる?」と返したら、どうも連帯の崩れに傷ついたらしい。不服そうな顔をされたので「とにかく、今後もう社長から何も言ってこないといいよね」と援護したら、「そうだね」と言って給湯室を去った。それ以来、彼と一言も話していない。
「お父さんの介護、がんばらんとあかんよ」と社長が電話口で言うので、「そうですね、初めてのことですが、頑張ります」と弱々しい声で返してみせる。「終わったら戻ってきい」と言われて、「ありがとうございます」と返す。なぜこんな茶番を。
残していく企画たちにとってはこうするのが最善だとわかっているので付き合うしかない。社長が私を憎めば、置いていく企画は潰されるだろう。そういうことがまかり通る会社だ。
あと5日。あと5日行けば、全部終わる。
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ようやく全ての案件の引き継ぎ先が決まって、7月はまるまる休みをとれることになった。いくつかの案件は休みの間も引き続き面倒を見なければならないが、社外とのやりとりなので平気だろう。
この会社で働いて、奪われたもののことを考えると視界が歪む。
気力を奪われた。生きる気力を。人間の善性を踏みにじる卑小な悪に自分が属していることは自尊心を深く傷つけた。ずるを強いられた。手抜きを強いられた。誠実な仕事にはついぞ価値を見出してもらえなかった。
権力に支配された。支配構造に虐げられて、人生が疲弊した。何度、私が生を賭けて培ってきたものを踏みにじられたことか。
そんなことよりも、人生のくだらない疲弊に愛する人々を巻き込んだ自分の弱さが情けなかった。自分の生活苦を自分で引き受けきれず、愛する人々への愛を尊いものに保てなかったことが悔しかった。一番大事なものを守れなかった。
7月は休養をとって、私は自分の人生を取り戻す。みるみる元気になって、愛する人々を安心させるだろう。そうだあなたは本来こんなにも朗らかな人だったねと安堵してもらえるだろう。
そうなれるよう、純粋に努力できるだろう、何の足枷もない時間を得て、私は自分を取り戻せるだろう。そう努められるだろう、きっと。
失ったものを取り戻せるのだろうか。それが実現できなければ、私はそれまでだろう。休養というよりは、必死な立て直し期間になるだろう。私は失ったものを取り戻せるのだろうか。
人生に休んでいる暇などはもとより与えられていない。とにかく前へ前へと進めば、傷は勝手に癒えるものだ。
私の傷はきっと癒えるだろう。私は新しくなることで痛みを忘れてしまうだろう。けれど、私と他者との愛に深々とつけられてしまった傷は、私がつけてしまったあれらの深い傷は、本当に修復できるのだろうか。
そんな傷が存在することすら私の妄想なのかもしれない。何もわからない。