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音楽を作るのに理由がいるかい?

スランプを感じてDTMを休止していた間、「何のために音楽を作るのか?」をずっと考えてモヤモヤしていました。

「誰かの心を動かしたい」とか「聴いた人に感動や元気を与えたい」とか立派な考えを持って活動されている方もいますが、自分はそういうのは全く無くて、以前から書いているとおり「作りたいから作る」という抽象的というか根源的というかふわっとした理由で作っていました。

タイトルとは反しますが今回は自分の活動理由や作りたいものについて深堀りして考えてみました。


何のために音楽活動を行っているのか?

前述のとおり「他人のために音楽を作る」という考えが無いということは、もっと自己中心的な理由、自己表現とか承認欲求とか、自分の内側から来る動機ということになります。

誰かに聴いてもらうとか心を動かすとか、自分の外側にあるものへの動機は自分にとって目的ではなく結果でしかなくて、それを目指して作るというのはモチベにならないということでしょうか。

そもそも自分は他人には期待しないタイプで、他人へ期待するという行為は期待をした時点で期待が裏切られる可能性・余地を発生させることになり、他人に自分勝手な欲求を一方的に突きつける行為なので、他人というコントロール出来ない要素に振り回されたくないと考えています。

だからこそ聴き手の反応として一番嬉しいのはコメント(特に好意的な)を貰えた時で、自分の「好き」を追求した作品が他人も刺さった・理解を得られたことへの喜びを感じるのだと思います。

つまり自分にとっての成功とは「作ったものに対して他者の反応が得られること」で、他者の反応が得られるとは作品を認識してもらうことで存在がこの世に確立されることということなのかなと思います。

他人のために作っているわけではないと言いつつ他人の反応が欲しい・嬉しいとは何とも自分勝手で承認欲求剥き出しな話ですね。

ただそれは結果として嬉しいものであって、目指しているものや原動力とはまた別な気がします。
(他人の評価のために作るというのはそれこそ他人に振り回される行為なので)

ここでチェス盤をひっくり返して考えて、自分が聴き手として音楽を聴くことに何を求めているかというと、「ときめき」を覚えた時が一番満足度が高いと感じます。

今まで曲を作るきっかけとしても「こういう曲を作りたい!」というものが多かったので、聴きたいものと作りたいものの一致という要素が重要な気がします。

自分の曲の一番の聴き手は自分で、自分こそがこの曲を一番好きだと思えるように作れることが理想的だと思います。

そう考えると昨年作った曲は作っていて結構そう思えたのですが、直近の数曲はあまり自信を持ってそう思えなかったので、その辺りもスランプに陥った原因な気がします。

音楽活動をする目的が「聴きたいものを作りたいから作る」なら、対策としてはそうなるような状況に積極的に自分を持って行く必要があるので、インプットを人一倍行う必要があると考えられます。
特に耳コピは継続して行うのが重要だと改めて思います。


どんなものを作りたいのか?

昨年作った曲を振り返ってみると、トランスやらデジタルJ-POPやらロックやらアートコアやらKawaii Future Bassやら、ジャンルがとっ散らかっててお前結局何やりたいんじゃい!という感じですね。

ただ下手にジャンルを絞るよりは、むしろその時々のやりたいこと・聴きたいものを尊重する方が上手くいくような気もします。

逆に「何をやりたくないのか」を考えてみると、一番はいかにも今時っぽいボカロ曲かなと思います。

具体的にどういう要素かと考えてみると、

・やたら高いBPM
・抽象的・意味不明・自虐的・病んだ歌詞
・リズムと語感重視な曲調
・リリースカットピアノや丸サ進行の多用
・人間が歌えない要素が強過ぎ(音域高過ぎ、息継ぎ無い等)
・これらが合わさって聴き疲れる

辺りですが、何よりも「とにかくみんな同じような曲」なことが気に入らないような気がします。

違いの分からない老害過ぎて「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよ―――っ」「これだからしろうとはダメだ!もっとよく聴け!」になってるだけだったり、単に逆張りオタクなだけでは?という感じもしますが。

思えば昔音ゲーから一旦離れた理由も、どの機種も同じようなボカロックや東方アレンジばっかり収録している状況にうんざりしたことだったので、「自分が好きでもない要素が世間では流行っている」ということが気に入らない性質なのでしょう。

じゃあ唯一無二のものを作りたいのかというとそれもまた違う気がして、あくまで自分の好きな要素が入っているかどうかが重要な気がします。

今まで自分が作ってきて何にこだわっているのか?を考えてみると、
①曲の長さがだいたい2分台
②エモいコード進行
③孤独と希望を感じる歌詞
辺りかなと思います。

①については、音ゲーマーだからそのくらいの長さの曲に親しみがあるというのもありますが、このくらいまでが集中して聴ける・または気軽に聴ける長さかなと考えています。

②についてはパッシングディミニッシュや王道進行・小室進行・63451進行等の多用という形で現れていて、自分で聴いててここ好き!となる部分を耳コピするとこんな感じになっていたからという感じです。

③は昨年初期に作った「Light in the Darkness」に一番強く表れていますが、「誰かに出会えて変われた・出会えて良かった」とか「何も良くならないまま終わる」とかいう要素の歌詞は基本的に書きたくないと考えています。
(前者はそういう歌詞で作った曲もいくつかありますが)

以前から書いているとおり自分は精神疾患持ちでかつ生粋のぼっちなのですが、精神疾患から立ち直ったという話を見るとだいたいがパートナーに助けてもらっただの良い出会いがあっただのばっかりでうぜーーーーーーー!!馬鹿野郎お前俺は自分自身で勝つぞお前!!!となりました。

また、近年は孤独が社会問題となっているせいか、孤独と絶望を結びつけた歌詞の曲が少なくないように思います。

別に孤独でぼっちで生きてても良いんだぜ!希望は自分自身で見出だせるものなんだぜ!という気概を持っていたいので、今後はもっとそれに強く寄り添った歌詞を書きたいと考えていますが、作詞はどうにも予想外の方向に向かっていくことが割とあるので難しいですね…

これら①~③の要素を全て併せ持つ曲というのはまあそうあるものではないので、自分で作るしかねぇ!というのはモチベとして大きいと思います。

元々DTMを始めたきっかけも「自分が聴きたいような曲が無いなら自分で作るか!」なので、無いなら自分で作るの精神状態の時が一番強いのかもしれません。


最後に

タイトルへの答えとしては、「無くても良いけどハッキリさせた方がスッキリするよね」という感じですかね。

バートルテストというRPGのプレイスタイルを分類するテストがあるのですが、自分はアチーバーだったので、道筋や課題がはっきりしている方が強いタイプのようです。

とりあえず今後曲作りに迷走したら「聴きたいものを作れ!」というのを思い出すようにしたいと思います。

また、今回のことを考えるきっかけとして、下記の本を読んで全部自分に刺さったのがとても良い刺激になりました。
内容も短いので読みやすかったです。