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静寂者ジャンヌ 12 告白 ・ フーコー ・ ネッカチーフ

このあいだの満月と惑星

* * *


どれだけジャンヌが八方塞がりだったか。

もっと、ジャンヌの身になって、リアルに実感できないだろうか?

残念ながら、私のアプローチには、限界がある。

その限界に自分で気づくことのできない限界が、どうしようもなくある。

やっぱり、同性の目線でなければ、彼女のリアルは分からないだろう。

ともかくも、材料として書いていこう・・・

ジャンヌにとって、一番つらかったことは、
家庭の悩みを打ち明ける相手がいなかったことだ。

姑と夫のことを、自分の母親に打ち明けたら、
母親が姑にそのまま言ってしまった。
それ以来、ジャンヌは家庭のことを誰にも話せなくなってしまった。

唯一、悩みを打ち明けることができたのは、教会だった。
でもその教会は、家庭の側にあった。

当時の教会権力は、たとえば
「女性は劣った性で、男性に従わなければならない」
「女性は葡萄の木と同じで、自分では立てない、男性という支えが必要だ」
そんな規範を、当然のこととして説いていた。(1)

教会は、家父長制を担保する機能を果たしていた。

ジャンヌにとって、出口なしだった。

たとえば、ジャンヌは自伝に、こんなことを書いている。

ジャンヌの夫は、ジャンヌに、胸のすごく開いた服を着させた。
当時の肖像画を見れば分かるが、そういうデコルテが一般的なファッションだったのだけれど、ジャンヌはそれが嫌でならなかった。
それで、聴罪司祭に相談した。

***
聴罪司祭というのは、告解で、信者の告白を聴く司祭のこと。この告解の制度は、カトリック国だった当時のフランスでは、人々の日常生活のルーチンとして、すっかり制度化されていた。自分の犯した「罪」を司祭にあらいざらい語る。主に性的なことがテーマだ。聴罪司祭は、信者のプライヴェートな領域での生活指導の役割を担っていた。
***

ジャンヌは、こう書いている:

私は、胸が完全に覆われていないことについての心痛を、司祭たちに言いました。もっとも、私と同年代の他の女性から見れば、かなり覆われていたのですが、それでもそれが苦痛だったのです。司祭たちは、私が十分に慎ましい格好をしているし、夫が求めているのだから、何の問題もないと言うのでした。しかし、私の〈内なる指導者〉はその逆を言っていたのです。

Je leur disais ma peine sur ce que je n'avais pas la gorge entièrement couverte, quoique je l'eusse beaucoup au regard des autres femmes de mon âge; ils m'assuraient que j'étais mise fort modestement et que, mon mari le souhaitant, il n'y avait point de mal. Mon directeur intérieur me disait bien le contraire, (...)    (La vie, 1.14)

つまり、悩むジャンヌに対して、司祭は
「それくらいだったら、十分に控えめだ」と言って、
「夫が望むのだから、問題ない」と、ジャンヌをたしなめたわけだ。

でも、〈内なる指導者〉は、逆を求めていたという。

〈内なる指導者〉は、〈外なる指導者〉である司祭との対比で、
〈内なる神〉のことだ。

その〈内なる神〉は、司祭と逆のこと、つまり「問題だ!」と言っていたのだ。

それは、たましいの〈底〉から発する「嫌だ!」という叫びだった。

ジャンヌは精神的に引き裂かれ、苦しんだ。

ジャンヌの日々は、こうした心痛の積み重ねだった。

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         モンタルジのマドレーヌ教会
     ジャンヌはここでに通っていただろう



この話、一見すると、禁欲主義者のジャンヌに対して、寛容な司祭が「そんな悩むことありませんよ」と、慰めた。そう、読めてしまうかもしれない。
でも、ニュアンスが違うだろう。

ジャンヌの感じる違和感、嫌悪感とは、
「わたしは男性の性的欲望の対象として扱われたくない。
 わたしの人格的な尊厳をリスペクトしてほしい」
ということだろう。

それに対して司祭は、
「夫の性的欲望の対象として、従順でありなさい」
と、たしなめるのだ。

意外なことに、司祭の言うことは、性的欲望を禁じる方向に向かうのではなく、逆に煽るのだ。

このあたりのことは、フランスの哲学者ミシェル・フーコー((1926 - 1984)の考察が参考になる。(2)

フーコーによれば、告解の制度は「性的欲望の装置」として機能した。性的欲望を禁じるのではない。逆に、教会権力の規定する方に煽って、欲望を方向づけるのだ。

告白する者は、司祭を前に、自分の性的欲望を細大漏らさず語る。それを反復することで、自分の欲望が、規範にのっとった「正常」な言説へと、知らずのうちに方向付けられていく。

ジャンヌのケースは、その典型だ。

聴罪司祭は、ジャンヌに対して胸の開いたデコルテを禁じるのではなく、逆に、本人が嫌がっているにもかかわらず、夫の欲望のために、それを奨励するのだ。それが妻としての義務だというわけだ。

そして重要なのは、その規範言説がジャンヌ自身に内面化されるのだ。ジャンヌの欲望が言説生産され、方向付けられていく。

***
わたしたの周りには言葉がばらばらに降っているわけでは、必ずしもない。拘束力を持った言語表現として、わたしたちに絡まり、染み込んでいく。それがフーコー的な「言説」だ。わたしたちが言語を習得するプロセスは、日常レベルでは、言説規範によって自分を主体として形成するプロセスだ。
***


ジャンヌは、こう書いている。

虚栄心のゆえに、私は聴罪司祭たちの側に立つようになり(...)、彼らが正しくて、私の悩みは妄想なのだ思うようになったのです。

(...) ma vanité se mettant du parti des confesseurs ( et des filles qui me servaient), me faisait croire qu'ils avaient raison et que mes peines étaient chimériques.  (La vie, 1.14) 

こうやって、教会の求める規範言説が、彼女の内面に染み込んで行くわけだ。

ずるずると、家父長制の網の目に絡め取られていく・・・
そんな感じが読み取れる。

こうした言説権力のメカニズムは、キリスト教文化圏の告解制度にだけ見られるものではないだろう。

わたしたちは、何らかの言説支配に、常に晒されているはずだ。

こうしてジャンヌは、〈外〉なる言説規範に服従しそうになる。
それでも、やっぱり、たましいの〈底〉では「嫌だ!」という声がしている・・・


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         モンタルジを流れるロワン川


この時のような葛藤を何度も経て、のちにジャンヌは、
〈底〉から発する〈嫌悪〉だったら、その〈嫌悪〉に従いなさい
と、仲間たちにアドバイスするようになる。

〈底〉から発する〈嫌悪〉répugnance ー
「嫌だ!」という拒否反応。

それは、自我による拒否反応ではなく、
もっと奥底の、
たましいの〈底〉からの拒否だ。

その「嫌だ!」を直感したら、それに従えという。

このケースだったら、デコルテの服を拒否しろというのだ。

なぜならその「否!」は、さっきのジャンヌの表現で言えば、
〈内なる指導者〉である神の〈意志〉だからだ。

これは、教会権力にすれば、聞き捨てならなかっただろう。

フーコーの言葉を借りるなら、これは「真理」にかかわる問題だ。

「告白」は、自分自身についての本当のこと、
つまり「真理」を語ることであり、
それが「真理」かどうかは、
教会権力が決めることだ。

「真理」の言説は、教会権力によって独占されている。
それが、大前提だ。

ところが、ジャンヌにすれば、「真理」とは、自分の内側に見出すものなのだ。

いっさいの〈外〉からの言説を媒介せずに、
たましいの〈底〉で、神からダイレクトに受け取るもの。
それが彼女にとっての「真理」だ。

もっとも、ジャンヌ自身は「真理」という言葉をそんなに使わないから、
ここは、神の〈コトバ〉と置くのもいいだろう。

〈外〉の、
司祭たちの
分節された言説規範を
聞くのではなく

瞑想体験を通して
〈内〉へと沈潜し、
言語脱落の境地のなか、
たましいの〈底〉で
無分節の〈コトバ〉
すなわち、真理に触れる。

かつて「良き修道士」アンゲランの一言で
ジャンヌが目覚めた
「〈外〉ではなく〈内〉」、
その起爆力を
読み取ることができる。

家庭でも教会でも、
家父長制言説によって、
自分の内面まで
がんじがらめになっていたジャンヌ。

言葉が落ちることで
いったんは日常レベルの言説から
すっかり解放される。
たましいのデトックス。

もちろん日常に戻れば
言説のからまりも戻る。
でも、何かが変わる。
距離感が変わるとでも言おうか。

画像4

            モンタルジあたりの月


こうやって見ると、
ジャンヌのような〈内なる道〉系の神秘家が、
教会権力と衝突したのも、当然だったろう。

17世紀フランスの神秘家と権力の衝突については、フーコーが、コレージュ・ド・フランスでの講義のなかで言及している。(3)
この講義では、ジャンヌについては触れられていないが、マリー・デ・ヴァレとアルメル・ニコラという二人の神秘家の名前が挙がっている。彼女たちはジャンヌと縁の深い神秘家だった。(この二人についても、そのうちぜひ紹介したい)

フーコーは、17世紀から18世紀にかけてのフランスー「古典期」のフランスーを主なフィールドの一つとした。まさに、ジャンヌの生きた時代だ。
ジャンヌ理解にとって、フーコーは避けて通れない。
ちゃんと勉強していないので、まちがっているかもしれないが、あと1、2回は、どうしても触れないといけないだろう

さて、デコルテの件だが、
この問題は後に、ジャンヌの師となった
ジュヌヴィエーヴ・グランジェ(Geneviève Granger)によって、
あっさり、解決された。
彼女は、こうアドバイスした。
「ネッカチーフで胸を覆いなさい」ー

そう言われれば、たしかに。
コロンブスの卵ではないけれど・・・
実際的で、したたかなアドバイスだったと言える。

モンタルジの女子ベネディクト会の修道院長だったグランジェについては、
次回、詳しく紹介しよう。


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(1)
Linda Timmermans " L'accès des femmes à la culture sous l'ancien Régime" Champion Classique

(2)
ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ  知への意志』渡辺守章 訳(新潮社)
仲正昌樹『フーコー〈性の歴史〉入門講義』(作品社)この本いい!
上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日文庫)わたしにとって文章の模範。

(3)
ミシェル・フーコー講義集成〈7〉安全・領土・人口 (コレージュ・ド・フランス講義1977-78)   高桑 和巳 (翻訳) :絶版らしい。入手できない。(アマゾンでべらぼうな値段で古本が出ているが、とても買えない)
よって、原文のみ参考:
Michel Foucault " Sécurité, territoire, population  Cours au Collège de France. 1977-1978" Hautes études,  Gallimard EHESS Seuil.




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