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本多静六博士のエピソード(少年時代)

6回シリーズで、渋谷川の源流の1つである明治神宮の杜を設計した本多静六博士の自伝からの物語をお送りします。
今日は1回目<少年時代>です。

<本多静六博士のエピソード(少年時代)>

 兄は「学問をしない人間は、眼の見える盲人なんだ」と言いますが、わんぱくな清六少年はどこ吹く風。
特に2つの遊びに打ち込みますが…。

 1つ目は、ねつ木遊び。木の先を尖らせて、右手で力いっぱい地面に打ち付け、相手のねつ木を倒す遊びですが、ある時、間違って自分の足に打ち込んで大怪我します。
 2つ目は、相撲。裏の家の茂吉に負けた特、左腕が外れます。接骨医に連れて行かれても、治療時に声1つあげないほど強情で我慢強いガキ大将だったそうです。

 そんな少年でしたが、ある日、近所の幸福寺でサイカチの木に巣を作ったカケスを退治しようとトゲだらけの木に登り、みごと巣を捨てたまでは良かったのですが、親鳥の逆襲にあい、血だらけになって転落。
 洞学和尚に「親の子に対する愛情は、ひとかどのものではないのだ」の言葉に反省し、勉学するようになります。

 しかし、小学校では2つ年上の傘屋の関根文吉がいつも1番の成績で、清六は2番でした。その後、文吉は、非常勤で学校の講師になりますが、結局、正規の教員ではないとのことで、校長先生にはなれず仕舞い。
 かたや清六は、東大の教授となるのですが、東大在学中に1番になった時も、「いま1番になっっても、天才にはかなわないのだという信念から、とにかく努力を続けることが出来たのは、この文吉の存在があったからだ」と述べています。

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