見出し画像

2020年に読んでよかったテキストたち

2020年も終わりということで、今年読んでよかったテキストまとめを。

春〜夏にかけて月ごとにまとめていたけれど、途中で力尽きてしまった。その時期の分も含めて、1年分をまとめて。

今回は、本や雑誌などの【書籍編】と、個人ブログやnoteなどの【Web記事編】で、それぞれ5つずつ紹介していきたいと思う。

わたしが2020年に読んだものなので、出版/公開が2019年以前のものもありますのであしからず。

1.『わたしを空腹にしないほうがいい』

2020年のわたしに最もインパクトを与えた本、と言っても過言ではない。

ご飯好き、文章好きの友人たちがこぞっておすすめしてくれたこの1冊で、くどうれいんさんにどハマりした。『うたうおばけ』、文芸誌「群像」で連載中の『日日是目分量』をはじめ、どこかで書いたという情報を聞きつければ、本屋に走るほど。

最初はエッセイを書くくどうれいんさんを知り、後に歌人としての工藤玲音さんを知ることになるのだけれど、短歌への興味を確実に引き出してくれた。

くどうさんの文章は、自分を救っていくエピソードの描き方が本当に丁寧で。自分の中にあるどんよりとした感情への誠実な向き合い方と、それをカカっと笑い飛ばすような豪快さの両面がある。

2.『ブルーピリオド』

2020年は自分にしては珍しく漫画やアニメをよく見た年だったのですが、中でもこの1冊が本当によかった。

主人公・矢口八虎は、なんでも要領よくこなせる、少し不良の高校生。自分の意思でやりたいことも明確でない中、一枚の絵と出会った衝撃から美術の道を志す。

好きなことに正直に、自分のやりたいことに一歩を踏み出す。踏み出したからこその葛藤や恥ずかしさに全力で向き合っていく八虎に、自分自身の感情を何度も重ねながら読んだ。

物語冒頭は作者様のこちらのツイートから。

3.『美しい距離』

本屋を回りながら、帯やポップ、本そのものの装丁に惹かれて手に取る。そういう時間を大切にしているし、そのようにして手に取った本は、自分のお守りのようになってくれる。

『美しい距離』もそのようにして出会った本だ。恥ずかしながら、作者の山崎ナオコーラさんのことも、手に取るまで知らなかった。

若くして癌を患った妻に寄り添う夫の話。ちょうど読んでいたのが、緊急事態が宣言され、世の中に閉塞感と虚無感が漂う時だったことも相まって、一人の人を愛することの尊さだとか、自分はこう生きていくだとかを、読んだ後もよく考えた。

4.『ひからないデッドエンドの世界でも』

友人のネネネ(@neee__pp)とアベハルカ(@harukasabe)の短歌ユニット、meri-kuu(@merikuu_)のZINE。

短歌とイラスト、短歌と写真のふたりの相乗効果で、1ページ、また1ページと繰りたくなる。ふたりの短歌は、少し元気がなかったり、なんとなく眠れなかったり、そんなホットミルクが飲みたくなる夜に味わいたい。

短歌と写真とイラスト、そして2編のエッセイ。個人的には特に、ネネネのエッセイが本当によかった。誰かの過去の話を「よかった」の一言で済ませるのはどうなんだと思うのだけれど、本当によかったのだ。

5.『天才による凡人のための短歌教室』

そんなこんなで短歌にはまった2020年、タイトルのインパクトに惹かれ、歌人の木下龍也さんの本を買った。

短歌に徹底的に向き合う木下さんの眼差しは、厳しくも温かい。だって第1章で、「歌人と名乗れ」ですよ。

「私みたいな初心者が短歌をつくってもよいのでしょうか?」「僕みたいな一般人が短歌をつくってもいいのですか?」という質問をいただくことがある。答えはひとつ。いいに決まっている。
一首つくればだれでも歌人だ。

木下さんに「参りました」と言ってもらえるような歌を作りてえ……と、メラメラと炎を燃やすきっかけをくれた1冊。

6.誰々みたいに書きたい

文章を書くようになって、ああなりたい、こうなりたいと、色々な感情が出てきた頃に読んで、頭を殴られた。

伊藤さんの文章へのスタンスは、遠慮なくはっきりものを言うように見えて、愛に溢れていると思う。

自分が書きたいことを書くしかない。

7.「自分らしく」生きられる時代に芽ばえる、新しい地獄

そもそも「不幸な経験がある人こそ創作者に向いている」ということも信じていないし、その創作者の不幸合戦って不毛だと思っています。不幸ゆえの反逆心は、創作の上で一瞬は光ると思うんですけど、不幸合戦の先って究極「死」なんですよね。「いい作品を書くためには死んだ方がいい」って、おかしいじゃないですか。

バズりやすいユニークな体験をしさえすれば、たちまち拡散され、多くの人の目に留まるんじゃないか。そんなことを自分でも考えていたし、そういうものが評価されているように感じてしまう出来事がいくつかあった時に読んだ。

自分はスペシャルな経験を持っていないのだから、なんてことない「物」を「語り」で成立させていこう、そういう気持ちになりました。
総理大臣になったから、死の淵を見たから、いい物語が書けるわけではない。どんなモノも語りによって物語になる。

「語り」で成立させていくことには、見ている世界をどう表すかという短歌的な視点も含まれているように感じた。

8.晴れた日に、傘を買った話

塩谷さんはいつも新しい視点をくれる。

示唆に富んだ、ニューヨークで暮らしているからこそのエッセイも好きなのだけれど、この傘を買うエピソードのような、普段の生活でとりこぼしてしまいそうな感覚にしっとりとスポットを当てた文章が特に好きで。

milieuで綴られている文章は、簡単に消費されずに、10年後に読み直しても懐かしく大切な気付きを与えてくれるのだろうと思っている。

9.限界の足音

たまに、スイッチが切れたように、人と連絡を取るのが億劫になる。元気ではきはきと出来ている時期が多いからこそ、スイッチが切れていることをあまり認めてあげられなくて、暗がりの部屋で一人、スマートフォンの眩しすぎる画面だけを眺める。

生湯葉さんの文章を読みながら、まるで自分のことを言われているんじゃないかと思った。

「限界」はひたひたと忍び寄ってきて、ある地点で人を後ろからウワッと捕まえる。その瞬間は確かにとつぜんだけれど、気配だけは常に影となってその人を纏っている。
そういう人は大抵、八方美人で、必要以上に人当たりがよくて、傷ついたときほど笑ってごまかす。その笑みが明るければ明るいほど、彼らの後ろにはしんしんと影が落ちてゆく。

傷ついている時、笑っているな、わたし。

10.ノープランで鎌倉に行った話

11月に新しいフィルムカメラ、PENTAX 6×7を購入した。

欲しい気持ちを高めようと作例をたくさん探している中、いつも素敵な写真を撮られているニシムラタクヤさん(@takchaso)さんのブログで、この記事が更新されていた。

この記事は別のデジタルカメラで撮影されたものですが、とにかく写真が本当によかったのと、最後の一言に胸を打たれた。

最後の方にとても良い晴れ方をしました。「帰り際に晴れるか〜」と悔しさを交えて言うと、「旅行の最後に晴れるとなんか嬉しいね」と言うので、結婚して良かったなと思いました。

ニシムラさんは普段から奥様の写真を撮られているのだが、お二人の関係性や距離感が漂ってくるような、素敵なやりとりだ。

***

他にも素敵な文章に出会ったり、読みたいと思いつつ積読になっている本があったりするけれど、特に印象に残っている10つを紹介した。

特別たくさん文章を読んでるとか、審美眼が優れているとかそういうことは全くないけれど、好きだな、素敵だなと思ったものを、わたしの大切な友人や通りすがりの誰かがよいと思ってくれたら、それはとっても嬉しいことじゃないですか。

サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。