見出し画像

逆三角形の頂点は、居心地が悪くてお似合いだ

部活終わりの帰り道、いつも一緒に帰る友人がいた。部活が一緒で、クラスも一緒。共通点が他の人より少しだけ多いわたしたちは、自然とそうなった。

毎日顔を合わせているから、とりわけ大笑いするような話題もなくなっていた。けれど、会話がなくても気まずさはない距離間。どちらかといえば口下手なわたしにとっては、それも心地がよかった。大切な友人だ。

校門を出てしばらくした頃、後ろから追いかけてきた別の友人が背中をパシっと叩いた。

彼らは正反対に見えた。寡黙で落ち着いている一人と、よく笑い、気付けば輪の中心にいるもう一人。どこで馬が合ったのかいまいちわからない。けれど二人は仲が良かった。ずっと昔から一緒にいたような雰囲気がある。腐れ縁とか親友って言葉がぴったりだ。

遅れてきた友人に、会話の中心は完全に持っていかれた。

わたしは少し歩を緩めるかたちで隣を彼に譲り、後ろへまわった。誰かがお願いしたわけでもされたわけでもないけれど、それは自然なことだった。一瞬、なんとも言えぬ間を感じたが、十数センチ先で話す二人は楽しそうだった。わたしが一歩後ろを歩くことに、誰も何も言わない。

ああ、まただ。

こころの揺らぎを押し殺して、楽しそうに話す二人の肩越しに顔をのぞかせ、話に加わろうとする。

二人の顔がよく見えないのを、沈む夕日が眩しいせいにした。

*****

自分がどういう立ち位置なのか、気になる年頃だ。

勉強もそれなりにできる。スポーツだって、苦手ではない。友人は多い方だ。よく言われる。どちらかと言えば優等生タイプ、自分のことをそう評価している。

なんでもできてすごいねと、褒められたり、羨ましがられることがある。

違うんだ、なんでもできてもだめなんだ。

誰でもいいじゃだめなんだ。

わたしじゃなくてもいいんだって、そんなのばかりだ。

わたしじゃなきゃだめだって、そう思いたい。思われたい。

誰かの二人目、三人目にはなれても、一人目にはなれない。決して。

一番目になれない自分が、嫌いだ。

一番目になれないことをひどく気にする自分が、とても嫌いだ。

あの二人だけじゃない。誰と一緒の時でも、わたしといる時よりも、あの人と一緒にいる時の方が、楽しそうで、よく笑って、素が見えて、それから、それから。

——お前もそう思うよな。

そう投げかけられて、はっとした。話題はもう、すっかり変わっていたようだ。わたしが力の無い返事をした時には、すでに前を歩く二人は何事もなかったかのように会話に戻っていた。

時々、友達だよね、親友だよねって、確認してしまいたくなる。

聞いたところで、そうだよと、女子が言うかわいいと同じくらいの重さで返ってくるか、急にどうしたと、困惑させるだけとわかっているのに、耐えられない。男のくせして、女々しいやつだって自分でも思う。それでも。

言葉にして確かめて、崩れざる決定的な証にして、それを証拠に高らかに宣言して、どうだこれがわたしの親友だって、すごいだろって——

けれどそれは、きっと自分を安心させるために言いたいんだろう。

親友がいる自分、に憧れている。


逆三角形の頂点の方へ、誰に頼まれたわけでないのに自然と歩を遅らせて、当然のように収まる自分がたまらなく憎くて、けれど少し安心して、そしてさみしくなる。

自ら居心地の悪さを選んでいるわたしには、その憎さもさみしさもお似合いだった。

夕日に照らされて三人分の影が伸びる。

わたしの影だけが、二人から離れていくみたいに、やけに長く後ろに伸びているような気がした。

サポートをいただいたら、本屋さんへ行こうと思います。