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文章のこと

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わたしが書いた文章をまとめています。主にエッセイ。
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記事一覧

空腹より、「美味しい」の一言が最高のスパイスだと思う話

「けんずくんって、ご飯美味しくなさそうに食べるよね。栄養補給って感じ」 よくこんなセリフを面と向かって言ってきたなと思うけれど、5年以上経った今でも、一言一句鮮明に覚えている。言い放った彼女の少し残念なものを見るような目も、言われて上手く笑えなかった、わたしの顔が引きつる感覚も。 「年の瀬にうまいもん #食べたっ隊 Advent Calendar 2020」なんていう、ご飯を作ることや食べることが大好きな人たちが文章を書き連ねるイベントに参加しておきながら本当に申し訳な

カメラロールに無い写真

幼い頃の写真は、よく両親が撮ってくれていたらしい。 実家のリビングと玄関の目立つ位置には、幼いわたしたち三兄弟の写真が飾られている。ぎこちないピースをするわたしと対照的にはにかんだ笑顔の姉、そして毎回カメラ目線を盛大に外す弟。それよりもう少し古い隣の写真立てに目をやれば、姉に負けじと無邪気に笑うわたしもいる。 写真立てに収められている以外にも、両親はわたしたち三兄弟の成長の記録をたくさん撮ってくれていた。10歳のときに「二分の一成人式」という学校の課題で、子どもの頃の写真を

まだ会ったことがないのに、また会いたい友人の話

今朝、とんでもない記事を読んだ。いてもたってもいられなくなり、仕事を終わらせてすぐこのnoteを書いている。 友人の三浦希さん(@miuranozomu)が、自分自身のことと自身にまつわる洋服のことについて語ったインタビュー記事。 はじめは、感想を付けてツイートしようと思ったのだが、とてもじゃないが140字なんかに収まりそうもなかった。 正直、この記事が素晴らしすぎるので、わたしが書くべきことなんてひとつもないと思うのだけれど。どうしようもなく書きたくなってしまったから

夏が来ていた。

気がついたら8月になった。 日常が止まって、もうずっと閉じ込められたような世界にいる。 ちょっと前まで桜は咲き誇っていて、新緑の季節はつい昨日のようなのに、梅雨は長引きすぎてよく分からない。一応開けたらしい。そんなこんなで数ヶ月が経った。 ここ2ヶ月ほど本業がなかなかに忙しくて、考えたことを残しておきたいなと思いながらも、その元気があんまり出なかった。積読も溜まるばかりで、読みたい気持ちはあるのに数ページぱらぱらとめくるだけで閉じてしまう。YouTubeとかTwitte

先送られた開会式

きょうは開会式だった、らしい。 わたしは観戦チケットを申し込んでいたわけではないけれど、楽しみにしていた競技はひとつふたつあった。23時頃と7時前のニュースで注目選手を知って、準決勝くらいからテレビを食い付くように見て、メダルの瞬間のリプレイ映像とか完全燃焼した選手のインタビューとかで興奮し、涙したんだろう。きっと。きっとそうだ。 今年の夏の東京は混むだろうから、お盆の帰省はやめとくね、と故郷の母に連絡を入れた年明けが、嘘のようだ。あの時とは違う理由で、しばらく帰省はでき

20190430

気づけば、令和が始まってちょうど1年。 そんな感情にしみじみと浸ってもいられないほど、大変な時代になってしまったのだけれど、どうしてもこの日に書き残しておきたかったので。 *** 2019年4月30日、平成最後のこの日に、「平成最後のフォトウォーク」というイベントに参加した。 今でも覚えている。集合時間15分前に祇園四条駅で電車を降りて、橋の上から鴨川河川敷に集まる参加者を見た時のことを。緊張して、一度駅まで戻ってから文字通り息を整えて、努めて明るく輪に入ったことを。

口に出した方がいいことば

美味しいは、ちゃんと口に出した方がいい。せっかくの美味しいものだって、だまって食べていたら、だんだん美味しくなくなってしまう。 疲れたは、言いすぎない方がいいけれど、言わなすぎるのもよくない。疲れている自分を、ちゃんと認めてあげるんだ。そうしないと、うまく休めないから。 ありがとうは、目を見て言った方がいい。名前を知らぬ相手にも、小さい感謝を伝えられる人は素敵だ。面と向かって恥ずかしいときは、手紙にしたためて贈ったって、きっといい。 しんどいと口に出しても、包んでくれる

『絶対評価のストレス』をちゃんと認めてあげること

今日も書く。気分が乗っているうちに。 在宅勤務だけれど、昨日よりは集中できた気がする。ずっと椅子に座ってパソコンに向かって、足やら腕やら背中やらが凝り固まってきているから、もう少し適度にストレッチしたり、体を労ってあげたい。 買ってもまだ着ていけるところがないのに、洋服が欲しくなってきている。自分の体の近くには、好きで心地のよいものを置いておきたいのかもしれない。だから洋服が好きなのかもしれない。 *** 今日は、この記事に出会えてとっても救われた。SNSでもシェアし

「想像力を働かせて」って言うけどさ

在宅勤務が始まって2週間目。 家を出る機会、人と会う機会が減り、何がという訳ではないけれど何となく気が滅入っている感覚がつきまとう。 無意味にスマホを握って、パソコンの前に座っている時間が増えた。よくない。 太陽の日を浴びて、風を感じて、気ままにぱしゃぱしゃと写真を撮って。気の合う友人に会いに行って、気持ちの良い乾杯をして。が、恋しい。 意識的に外の空気を自室に入れたり、たまの買い物はちょっと遠回りをしてみたり、そういったことでなんとか生を感じている気がする。「生

甘いチューハイを流し込んだら、上手く酔えるのだろうか。

同じサークルに後から入ってきた彼女は、目が大きくて、背の低い、可愛らしい子だった。 よく笑って、慌てるとあたふたして困り顔を隠せないくせに、それでもいろんなことに真剣に取り組もうとする健気な姿勢が印象的だった。お節介でお人好しの俺は彼女を手助けすることが多くなり、日を追うごとに一緒にいる時間が長くなった。同い年だけれど、妹ができたような、そんな気持ちだった。 妹のような存在から、異性としての好意に変わるのに、そう時間はかからなかった。妹みたいだなんて、イヤな男の常套句だと

プレイリストを編める人、辞書を編める人

日常的に音楽を聴く習慣や、特段熱を入れていたアーティストがあまりなかったもので、新しい音楽との出会いは、メディアが伝える流行りのものか、友人のおすすめを頼りにすることが多かった。 新しい音楽を自分で探して掘って、ということが中々ない。中高生の時にハマった音楽は今も殿堂入り、同じ曲をリピート再生している。 近頃は、Spotifyで自作のプレイリストを共有してくれる友人がいて、選りすぐりのおすすめをありがたく聞いている。 プレイリストを自分で編める人って、すごい。 無数に

すくうように。 #わたしの執筆スタンス

noteで楽しそうな企画を見つけた。 だいすーけさんがお声がけされていた、「#わたしの執筆スタンス」。 スタンス、とはいっても、いわゆるハウツー的なことではなく、何を強調するかといった色の付け方だとか、ことば選びのこだわり、最終的な結論の落ち着かせ方など、文章表現に寄ったもの。 楽しい機会をいただいたので、ちょっとまとめてみようと思います。 *** 最近、noteのプロフィールに一文書き加えた。 あの時ことばにできなかったことをすくいながら、後味の良いエッセイを書

書くことで“なにか”になりたいって、ほんとう?

「けんずって、書くことが大好きで大好きでたまらないってわけじゃないよね。寝る間も惜しいほど書くことが好きなら、もっと書いてると思うのよ」 先週末に居酒屋で言われたことが、まだ引っかかっている。ビールを流し込んで話題を逸らそうとしたけれど、それはいつもより苦かった。 「書くことの対価としてお金をもらう、という意味での出口を見つけないと、ボランティアか趣味でしかないよ。書きたくてたまらないわけじゃないのなら尚更」 続くことばで追い打ちをかけられた。その通り、まったくその通り

逆三角形の頂点は、居心地が悪くてお似合いだ

部活終わりの帰り道、いつも一緒に帰る友人がいた。部活が一緒で、クラスも一緒。共通点が他の人より少しだけ多いわたしたちは、自然とそうなった。 毎日顔を合わせているから、とりわけ大笑いするような話題もなくなっていた。けれど、会話がなくても気まずさはない距離間。どちらかといえば口下手なわたしにとっては、それも心地がよかった。大切な友人だ。 校門を出てしばらくした頃、後ろから追いかけてきた別の友人が背中をパシっと叩いた。 彼らは正反対に見えた。寡黙で落ち着いている一人と、よく笑