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江戸時代の京都/今の京都 第8回 江戸時代の春夏秋冬

 2024年4月1日。本日二つ目の投稿です。
 まず在京日記をご覧下さい。

宝暦六年四月一日(1756年4月29日)
 四月になった。今年はどうしたことか、春が過ぎて夏になったけれども、なお朝夕はとても寒い。

 宝暦六年四月一日。宣長は「夏になった」と記しています。
 第2回で江戸時代の太陰太陽暦とグレゴリオ歴とのズレ、違いをお話しました。今回は、さらに宣長の時代と今の時代の春夏秋冬の違いをお話しします。
 日記を見てみましょう。

宝暦七年正月元日(1757年2月18日)
 朝早くに起きてみると、思いもよらないことに、一面が真っ白に雪が積もっていました。冬にもなかなか降らない雪が、こうして新春が明けても降り積もっているのは随分と珍しいことのように思う。

宝暦六年七月十六日(1756年8月11日)
 堀景山先生は、常々、月は七月に優るものはない、とおっしゃっているが、確かに柔らかで、しかも秋の景色に澄み渡るような影。とても趣があり素晴らしい。

宝暦六年十月一日(1756年10月24日)
 冬になった。

宝暦六年十月五日(1756年10月28日)
 この頃、雨が降り続いて、かろうじて今日は天気も回復しそうな気色だが、風がさわがしく、にわかに冬めいてきた。 

 一月は春、七月が秋で、十月が冬の始まりと書かれています。
 このように、宣長の時代、春は一月から三月、夏が四月から六月、秋が七月から九月、冬が十月から十二月と認識されていました。
 今はどうでしょう。明確な決まりがあるわけではありませんが、3月から5月が春、6月から8月が夏、9月から11月が秋、12月から翌2月が冬、というのがだいたいの四季のとらえ方でしょうか。
 このように、江戸時代と今では、季節、春夏秋冬のとらえ方が異なります。このため『本居宣長が見た江戸時代の京都』では、宣長が認識している季節を、私達が今認識している季節と区別するために、<春><夏><秋><冬>とカッコ付きで記述しました。本noteでも今後この区別を踏襲したいと思います。

 私達が考える春と宣長が考えている<春>は似ていますが異なっています。
 宣長が正月に<春>と書きますと、年賀状の「迎春」や「新春」の文言に慣れた私達は、なんとなく読み過ごしてしまいます。でも、宣長は一月から三月を<春>と認識しているので、一月になると本当に(というのも変ですが)<春>が来た、と思っていたのです。
 そして、さらに感じる微妙な差違として、宣長は春夏秋冬と「月」とを、今よりも強く関連付けて捉えていたらしい、ということがあります。
 本note冒頭の四月一日の「春が過ぎて夏になった」という記述、十月一日の「冬になった」という記述からは、今私達が、主に気温から捉えている「四季・季節(season)」との微妙かつ不思議な差違を感じないでしょうか。

 第2回での太陰太陽暦とグレゴリオ歴とのズレのお話といい、今回の春と<春>の違いのお話といい、本当に頭が混乱する、理解しにくい内容で申し訳なく思います。ただ、こうした暦の違いや季節のとらえ方の違いを曖昧にしたまま過去の書物を読むことは、何かもったいないことのように思います。
 前にも申しましたように、『在京日記』は、こうしたわかりにくいことを具体的に知ることのできる格好の教材です。今後とも我慢しておつき合いをいただけますと幸せです。

 さて、わかりにくい宣長の季節感ですが、悪いことばかりではありません。それを見つめることで得るものがきっとあります。
 私の例をお話します。
 私は『在京日記』を読みながら、この月日のズレや、春夏秋冬の違いに面白さを感じつつも、簡単には頭に入りにくいため、常々、他の方に説明することの難しさを強く感じていました。そうした問題意識から、ある講演会のために、宝暦六年の月日とグレゴリオ歴の1756年の月日の対応表を作ったことがありました。宝暦の一月から三月の月日を<春>でひとまとめにし、それをグレゴリオ歴の月日と対応させる。<夏><秋><冬>も同様に対応させました。目で見ることで少しでも分かり易くならないか、という狙いでした。
 そして、作成した表を見て、あることに気づきました。
 <秋>は七月、八月、九月で、作成した表の<秋>の真ん中に八月十五日が来ました。
 「そうか!八月十五日を中秋の名月といったのは、秋の真ん中だからなのだ!」
 ご存知の方にはなんでもないことかもしれませんが、私は少なからず驚き、大きな発見をしたような心持ちになりました。

 さてさて、またわかりにくいお話が長くなりましたのでこのくらいにいたします。
 4月1日の今日、宣長が四月一日に「夏が来た」と感じていたことの不思議さをお伝えしたくて、このnoteを書きました。
 春と<春>、夏と<夏>は違うと言うことを頭に置いていただいて、今後の『在京日記』の読みにおつき合いいただけますと幸いです。

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