江戸時代の京都/今の京都 第1回 節分
こんにちは。
2024年2月3日。本日は節分です。
節分というと、豆まきは必須ですね。今は恵方巻きを丸かじりするのが習わしで、今年は東北東を向いて食べるそうです。
恵方巻きについては、私の幼少期の記憶にはないのですが、まあ、「イワシの頭も信心から」です。楽しい節分になればということで、今年も購入です。
さて宣長の時代はどうだったでしょうか。『在京日記』をみてみましょう。
260年ほど前、江戸時代の中期にも節分には豆まきをしていたようです。
「鬼はそとへ、福はうちへ」というかけ声も今と同じです。豆を食べる数ですが、私も子どものころから、数え年に一つ多く食べるように言われていました。変わらない節分の習慣が確認できます。
ただ、「内裏へ皆がお参りする」とありますが、今、節分に御所へお参りする習慣は一般的ではないと思います。続きます。
節分に家々の前で厄払いなどしていたようです。広く、門付というのでしょうか。今はない習慣です。
かけごえの楽しいモグラ追いも今は行われていません。
「お荷はうち」と問屋が験を担ぐのも面白いですね。さらに続きます。
当時は節分の日に五条天神にお参りする習慣があったようです。宣長も参っていて、夥しい人が参詣しているとあります。商人がところせましと並んで、賑やかということですが、今はそうした賑わいは見られません。
内裏と同じように、今と江戸時代で様変わりした習慣です。
五条天神社は今も西洞院通高辻下がるにいらっしゃいます。写真を撮ったのですがデータがみあたりません。代わりに宣長がふれている宝船の絵を載せておきます。この絵は、今も五条天神社で授かることができます。
江戸時代の節分と今の節分。同じところや違うところがありました。
節分に関して興味深い暦の話があるのですが、それは、稿をあらためたいとおもいます。
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