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タイマー

息子がゲーマーになってしまった。お小遣いやお年玉を溜め込み念願のNintendo Switchを今年1月に購入したのです。毎日、毎日ほぼ毎日ゲームをやって一喜一憂し、時にうまくいかずイライラしながら楽しんでいる。そのイライラを見てこっちもイライラしてしまい、そのイライラをグッと堪えて、イライラは伝染するという事を再確認し、親として果たさなければならない事はアプリで時間制限を設けてアラーム設定し、ゲームへの執着や依存度が異常なものにならない様に気をつけながら見守る事でしょうか。

購入当初は特に時間制限をしておらず自由にやらせていました。好きな時にやればいいと。しかし、自由にやらせてしまうと止め時を促しても止めるという行為に徐々に支障をきたす様になってきました。「これが終わったら止めるー。」そうは言うもののそこからが長い。止めるという行為は難しいことなんだと改めて実感させられます。こんなやり取りをする事が常となりました。

そこでストレスを軽減するためにみまもりSwitchとなるものを導入。1日に遊ぶ時間の設定や一定のゲームソフトのプレイを制限できたり、投稿機能の制限など安全に遊べるように設計されたアプリです。基本的に時間になったらアラームが鳴って知らせてくれるだけなので直ぐには止めることはないだろうと思っていました。まあ、素直に止めても最初だけであろうと。。。しかし、使い始めてみると意外にアラームが鳴ったとたん慌てて電源を落とし終了する事がずっと継続しています。試しにアプリの設定をせずに親の促しによりやめさせようとすると、お決まりの「これが終わったらやめるー」です。とにかくな・が・い。。。

テクノロジーの指示には素直に従い、親の促しには反応が鈍る。こういう意味がわからない事が起こるとなぜなぜな〜になぜなんだ?と考え込んでしまうのが世の常でしょう。

Switchのアラームが鳴ると途中であろうとも慌てて電源OFF、親の促しにはイマイチ素直に応じないという事はなぜなのか?仮説を立ててみよう!と思うけれど「なぜだろう?」としか思い浮かばない。

電子機器から発せられるアラーム音、人間の声(親の声)。アラーム音は確実に時間がくれば鳴る設定。親の促しは「そろそろ約束の時間だから止めようか」とやんわりとした催促。違いは何だ?アラームの方が切迫感があるのか?指令感があるからなのか?

鳴り止まないアラームは切迫感を誘発し心理的に「止めないと」と思わせてしまうのか。いや、ただ、私の子供がおとなしく、まだ、従順な一面があるからただそれだけの事ではないのか?
息子と同じ年の子で何とか親の目を盗んでアプリの設定解除に成功し、それすらもゲーム感覚で遊んでいる子もいると聞いた事があります。何か子どもらしいなぁと微笑ましく思ってしまいます。

何だか落とし所がわからないどうでもよい思考、取り止めのない文章となっていますが、自分でも着地点がイマイチ分からず書いています。息子のなぜなんだ?ゲームタイマー問題、私のこの着地点がわからない文章を書いている問題。問題にするから問題になるんだと思います。果てしないどうでも良い思考とも言えない思考は続く。。。

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