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接するということ

毎日が大切なんだと思った。

病や介護が必要になると家族など身近な人たちとの関係性が否応なく炙り出される。
関係ないけど私は炙ったイカは好きだ。舟唄が沁みる年齢になった。

お母さんをご自宅で介護している息子さんがいる。おそらく10年以上だ。介護サービスをフルに使い上手に活用している。
毎日のお風呂は息子さんご本人が入浴を介助している。仕事の都合をつけて毎日の入浴だ。

これは大変なことで容易いことではない。介護の現場というのは思った以上に壮絶で尊敬以外の言葉が思い浮かばない。こういう言葉を書き連ねるほどに陳腐になってしまう。

息子さんはお風呂は重要だといつも言っている。私もそう思う。介護が必要になった場合、清潔さを維持することは体調に直結する。

訪問時のわずかな時間だが、日常的な2人のやり取りを見ていると、親子関係が逆転しているように見える。いや、逆転している。介護するというのはそういうものなのかもしれない。生まれた頃から愛情豊かにお互いに接してきたのだろう。私が言葉にすると陳腐になってしまう。
老いた母親を息子さんは可愛いという。

親子ともいえど人間関係だ。関係性を上手に保たなければならない。それにはそれ相応の、意識はしていないだろうが、意識には上らない努力が必要であったということは間違いない。その関係性が今でも続いているということだ。

地続きなんだと思う。過去からの行いが今に繋がっている。こういうことは、日常において忘れがちというか、わかってはいるけれど頭の隅に完全に追いやられている。毎日の人との付き合いはその時その時、お互いがどういう反応をするのかということなんだろう。お互い様の世界。丁寧に接していきたい。



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