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日々

毎日、サービス利用者さんの自宅を訪問する。訪問マッサージのサービスは長期的な付き合いになることも珍しくない。5年、10年と一緒に年を重ねている方もいる。家族構成や関係性、毎日の暮らしというものが何気ない会話から察することができる。

この間は、「ゴーヤを持って帰って」と庭先に誘導され、縁側から二階まで伸びているゴーヤのカーテンを見上げる。目の前にはゴーヤはぶら下がってはいない。見上げる。絶対に届かない。沈黙。一瞬の沈黙が永遠だなと感じたことはなかったけれど、一瞬の沈黙が永遠だと初めて感じた出来事であった。かなり大袈裟である。

「また、今度取れるときでいいですよ」とお断りをいれる。「いや、持って帰ってもらいたい!」と強く言われる。

縁側下に横たわっている大き目の脚立をズズズっと引っ張り出し始める。心の中で「マジで!?」と呟く。脚立のストッパーは壊れている。しかし、紐でグルグル巻きにして補修はしてある。蚊に刺される。帰りたいと思ったのは申し訳ない。

恐る恐る脚立に足をかける。大丈夫だ。
多分。。。慎重に上る。目的のゴーヤは間近で見るとかなり小さい。「小さいけどちぎっていいですか?」と確認する。思い出すと何気におもしろい。ありがとう。              後に大量のゴーヤを頂く。もちろん美味しく頂く。

そんなことをぼんやりと思い出しながら休日のPCに向かっている。子供は任天堂SWITCHをやっていたと思ったら数分で飽きたのかYouTubeを見ている。そして、煎餅をボリボリと食べている。

そう、書くことが思い浮かばないのだ。書くことがないと思いながらも書き進めると数行は書くことができるものだ。やりながら事をすすめるというのはこういうことなのだろう。

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