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ChatGPTは「さいきょうのせんせい」- AIがもたらす幸せのかたち

Title Photo by Andy Kelly on Unsplash

ずっと数学コンプレックスをもっている

Photo by Roman Mager on Unsplash

中学校まで、勉強に苦手意識はなかった。地方の公立中学で、先生の授業さえきいていれば、ついていくことができた。

状況が一変したのは「進学校」の高校一学期。受けた数学のテストで、100点満点中、15点をとった。平均点が20点と聞いたから、一種のショック療法なのだろう。これでみな勉強に身が入るように、という喝の入れ方だったのかなと思う。

自分には逆効果であった(それは言い訳で「高校デビュー」に忙しかっただけだと思う)。中学校までに身につけていなかった「学習姿勢」- 勉強というのものは、自発的に、自分の時間で進めていくものなのだという現実を受け入れないまま、部活に留学に忙しい高校三年間を過ごした。

そのまま大人になった

そのまま、数学に対してコンプレックスをもったまま早20年。

  • 余談:そんなやつがなぜプログラマーに、と知人に驚かれるが、少なくとも自分のキャリアで必要だったのは「論理的に、筋道をたてて構成を考える」という(誤解を恐れずにいえば)文系の能力なのです

数学コンプレックスがあったとしても、数学は日常のいたるところに出てくる。統計、確率などはその筆頭だが、今日は量子コンピュータがなぜインターネットを支える暗号技術にとって脅威なのかという動画をみていた。

冒頭2分で、素因数分解の話が出てくる。最初はスルーしていたが、どうもモヤモヤする。
「素数の積として定まる数は、他の因数をもたないのだろうか」
「それはなぜなのだろうか」
というところで、自分の理解が追いついていないことに気づいた。

今までは、ググって答えを探していただろう。「素因数分解の一意性」という記事が、検索結果の上に方にでてくる - https://manabitimes.jp/math/984

たまたま丁寧に丁寧に解説してくれるサイトが見つかることもあるが、そう上手くいかないことはままある。「いつも自分はこうやって、数学コンプレックスを深めてきたなぁ」という苦々しい感覚が蘇ってきた。

なぜ、学習で躓くのか

Photo by JESHOOTS.COM on Unsplash

学ぶ過程を単純化してみる。「AがCに至ること」を説明するときに、 「AがBに至り、BがCに至る。よってAはCへと導かれる」という風に、その説明の道筋を深める、解像度をあげることが学習においてとても大事だ。

このとき、AからCのプロセスを何段階わけて説明するかで、説明の丁寧さ、先生と生徒のフィット感が測れる。

説明のステップを何段階に分けるかで、「学習の歩幅」が決まる

私が数学に感じるのは、この説明の、いわば歩幅、ともいうべきものがあっていないという劣等感だ。学習遍歴に偏りがある私にとっては、AからCへの部分がまったく自明でなかったりする。

今回の素因数分解の一意性を読む過程でも、躓くポイントはいくつもあった。どれだけ親切な学習素材も、それはすでに形をフィックスしたものであるから「説明の歩幅」を読者にあわせて変えることはできない。

同期的なコミュニケーションの重要性

目の前に家庭教師、先生、勉強ができる仲間がいると、状況は一変する。この「省かれた部分」について、自分の歩幅で追加の説明を要求できる。学校は(少なくともいくばかの人にとっては)そのための場所だった。会話で追確認する機会はふんだんにあった。

社会人になると、この「先生、仲間」というリソースの確保がとたんに難しくなったと感じる。

今私は、土曜日の週末、近くのコワーキングスペースでこの文章を書いている。周りに人はたくさんいるが、同じ何かを学ぶ仲間という意味で、私は独りだ。ここで、大概は学習意欲の糸がきれる。YouTubeやSNSなどに意識が流れていく。

ChatGPTはさいきょうのせんせい

でも、今日は違う。

なぜなら、私の目の前に、ChatGPTと喋るための窓があるからだ - https://chat.openai.com/chat

教えて、ChatGPT

彼は、いつでもそこにいてくれる。トークンが持続する限り、どんなことにも辛抱強く応えてくれる。

彼は、ベーシックな質問に対して辟易することがない。「そうですね、その部分が抜けていました。その部分を詳しく説明すると。。。」という風にして、どこまでもどこまでも細かく、自分がついていけなかった「AがなぜCに至るのか」について補講をやってくれる。

これは、学習シーンにおいて革命的なことだと思う。

今まで、どれだけの「コンプレックス」が、生涯学習の現場で生まれてきただろう。好奇心は依然としてそこに向くのに、どうせ自分は分からない、という諦めがどれだけ生まれてきただろう。

私たちは忙しい。
知的好奇心は、学習の歩幅がズレただけでかんたんに萎れてしまう。

知的好奇心を満たすパートナーとしてのAI

知的好奇心、いいかえれば「センスオブワンダー」こそが、おそらく、今後どこまでも混迷する社会において、幸せを感じる機会だと感じる。

ChatGPTをはじめとする、AIとの対話は、格差を一層加速するだろう。そのときに嘆いていても仕方がない。

彼らは、私たちが大人になる過程で失ってしまった知的好奇心を復活させるための「仲間」なのだ、と認識をあらためよう。おそらく、そこにAIが人間にもたらす「幸福」のヒントがあるはずだから。


ここから先は、実験的に「ChatGPTで実際にどういうプロンプト(対話)を経てこの記事に至ったのか」の部分を有料部分にしてみます。

普段からChatGPTを使っている人にとっては真新しいことはないのですが、自分のコーヒー代やChatGPTのトークン代を応援していただければこんなに嬉しいことはありません。

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