日本の労使関係論と制度派についての暫定的見解(日本資本主義論争とはなんだったか)

稲葉振一郎氏がブログで、「労使関係論とは何だったのか」を書いたのが2009年のことだった。

この議論は、福祉国家やその後釜としての共有資産であるコモンズへとうつろう今だからこそ振り返らないといけない。

なぜ日本の人事管理、人的資源管理、日本的経営の話は、大企業の工場の話ばっかりなのか、ホワイトカラーの話はやたらと通り一遍なのか。

思えば、企業経営の構造的なことを取り上げると個々の労働者への調査が足りない、みたいな指摘を受けたなんてことがあった。

これは稲葉氏の指摘によれば、労使関係といっても、アメリカ型の制度派を一度も取り入れたことがないとの指摘にたどり着く。

日本にあったのは講座派と労農派だった。ジョンRコモンズは何度も何度も、現実社会と宗教的世界観が一致するわけではないことを説く。ケネーは神が与えた恵みである農作物にこだわり、だからこそ希少性を一手に握る特権階級を許せなかった。マルクスは労働者が実権を握る世界を夢見た。でもコモンズはそれらと現実世界を切り分けた。

ユートピアは存在せず、人が織りなす集団がつくる慣習と別の集団のつくる慣習との利害関係の接点とその構造を制度と呼んだ。

でも、日本の労使関係の制度とはそれではなかった。

一人がどれだけ労働力を注ぎそれがどれだけの対価と引き換えられ、その接点として団体交渉と労働組合を置いた。

関心はもっぱらどれだけ注いだ労働力がどのように対価に置き換えられるのか、に集約した。これを制度、もしくは労使関係と読んだ。

これはジョンRコモンズ、そして後を引き継ぐダンロップの考えた、個人と個人が所属する組織が、慣習によって織りなす利害関係の調整枠組みとしての制度、もしくは労使関係とは、名前だけ制度とか労使関係といっても、全く違うものとなった。

それは稲葉氏の指摘の通りではあるけれど、日本にジョンRコモンズ型の制度や労使関係がなかったというわけでもない。

ダンロップのインダストリアリズムは翻訳され、大河内が日本のコモンズと称されたりしたこともその一端だ。

ただし、ほとんどの場合、日本の労使関係はジョンRコモンズを無視してきたし、ダンロップは個々の労働者の対価という意味で我田引水的に使用されてきた。

いまコモンズやダンロップを用いて労使関係が復権するのかというとそれはわからない。

ただし、労働の対価という視点ではプラットフォームビジネスのことを追うことはできないということだけは確かなことだと思っている。

たとえばこの議論が何のことかわからない、ということでもいいじゃないか、という意見もあるだろう。

けれど日本の特殊性を考えたときに、日本資本主義論争とほんとうの制度派との隙間が持ってきた意味は、今においても、共有資産のコモンズを語るときに組織間の利害調整という議論が抜かれて、政策や法律に解決を求めることにつながっているのだろうと思う。

(日本資本主義論争について知りたい人、とかいうんじゃなくて日本のアカデミズムにいるならマストなんで、たぶんこれを読んでおくといいんじゃないかな。https://book.asahi.com/jinbun/article/14124573)

これが日本ではなくて、アメリカやヨーロッパだと全く違う地平があるのだろうと思いつつ、現在の僕の考えていることを記しておく。

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