見出し画像

ご挨拶(岐阜で、土に触れる #1)


(1)東京でずっとモヤモヤしていたこと


①「土から離れては生きられない」

大学入学を機に、岐阜から上京しました。それから、2022年末に岐阜へUターンするまで、ずっと東京での生活でした。

東京で生活した16年間、ずっとモヤモヤしていたことがあります。それは「土」に触れる機会がないことでした。

とはいえ、岐阜の実家は農家でもなく、日常的に土に触れる環境で育ったわけではありません。それでも、家の周囲に田畑が広がる環境ですので、「土」は身近なものでした。それに比べて、東京での生活は、あまりにも「土」から離れたものでした。

『天空の城ラピュタ』(©スタジオジブリ)の中に、私の大好きなセリフがあります。

(前略)今はラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。どんなにおそろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ

引用:『天空の城ラピュタ』

シータがムスカに向かって言い放つこのセリフ、特に「土から離れては生きられないのよ」の部分には、いつも心を串刺しにされます。「ラピュタ」は「天空に浮かぶ都市」ですが、東京(特に都心部)は、「自然から切り離された都市」という点では、まさにラピュタのような存在だと思います。

画像引用:スタジオジブリ(作品静止画・一般利用可・以下同)https://www.ghibli.jp/works/laputa/

② 東京でも土に触れられる?

大学時代の4年間は、東京西部の国立市で過ごしました。国立市はJR中央線を中心として住宅街が広がっています。

ですが、市の中央を通るJR南武線より南側には、田畑が広がっています。また、私が通った大学は国立市の住宅街にありますが、敷地内には雑木林があり、たぬきを見かけるような環境でした(ホントです)。

「東京」といっても、西部にはいまも多くの自然や田畑が残っています。そのため、大学時代は故郷(岐阜)から地続きのような感覚で生活していたように思います。

③「都心部」≒「浮かばないラピュタ」?

社会人になり、東京都心部での生活を始めました。都心部は人工物で構成されています。それでも、巨大な敷地面積を誇る公園や神社(例:明治神宮・新宿御苑・代々木公園など)には多くの自然がありますし、住宅のお庭や街路樹からも、季節や自然を感じることはできます。

都心部に住む人の多くは、休日には都心の公園や郊外に出かけたり、自宅の小さな庭やベランダで植物を育てたりすることで、なんとか「自然」に触れようと悪戦苦闘しているように思います。

『天空の城ラピュタ』でも、空に浮かぶ「ラピュタ」に息づく、いきいきとした「自然」の姿が描かれます。その姿はまるで、東京都心に断片的に残る「自然」を描いたかのように感じられます。

都心部で生活していても、「移動と工夫」によって、自然に触れることはできます。しかし、その生活はどうしても「土から離れたもの」にならざるを得ません。

人口都市「ラピュタ」に残る「自然」
(画像引用:スタジオジブリ)

(2)モヤモヤの正体


① 食べものを「買うしかない」

「土から離れた生活」も、慣れれば快適です。身近に「土」はなくとも、日本全国・世界各地のおいしい食べものが店頭に並び、お取り寄せをすれば自宅の玄関まで届きます。

ですが、それらは全て「金銭」との交換によって「食べもの」を入手する行為であることに相違ありません。

この「食べものを買うしかない」という状態こそが、「土から離れた」生活なのだと、私には思えました。

「食」は「命」です。
東京ではその「命」を(ほぼ)全て、「金銭」で贖わねばならない。この状態こそが、私にとっての「モヤモヤ」の正体だったようです。

②「買うしかできない」ことへの危機感

東京では、「食」は原則として「買う」という選択肢しかありません(もちろん、東京にも農地はたくさんあります)。そして、その状況は私にとって、(根源的な)生命への危機感となり、心に引っかかっていました。

「東京にいると、いつか「食」を手に入れることが難しくなるのではないか?(たとえ、お金があったとしても)」

そう思い始めたのは、私が東京都心部での生活を始めた2011年3月でした。きっかけは2011年3月11日の震災です。震災直後、新宿に引っ越したばかりの私は、食料品が消えたコンビニやスーパーの棚の前で呆然としていました(引っ越し直後で冷蔵庫は空っぽでした)。

③「土に触れる」≒「食べものを作る(採る)」

「合気道の道場を立ち上げる」ことを最大の目的として、2022年11月に岐阜へUターンしました。

これを好機として、岐阜では「土に触れる」生活を心掛けています。私にとって、「土に触れる」というのは、「金銭」以外の手段によって「食」を手に入れることを意味しています。

自分で作る。自分で採る。

④ 岐阜で土に触れる

現代において、「自給自足」など至難の業です。しかし、土(土地)のある田舎では、多かれ少なかれ、自分や家族、または近しい人が育てた穀物や果菜が巡ってきます。

私の家族は、自分たちが食べる(おそらく)3%は、自分たちの手、または身近な人の手によって作っています(2023年現在)。わずか3%ですが、「買う」以外の選択肢を手にしているだけで大きな安心感を得られるような気がします。

せっかく「土」のある岐阜に戻ったので、「土に触れる」生活を心掛けていきます。noteでは、そうした「土に触れる」あれこれについても発信していきます。

(3)おまけ(食糧危機について)


① 食べものを「買う」行為は持続可能か?

ロシアのプーチン政権によるウクライナ侵攻により、世界の食糧事情は悪化しました。また、急激な人口増加や自然環境の激変により、今後もさらなる食糧事情の悪化が予測されています。

食料品の価格が上昇していくのを見ていると、近い将来、「金銭」があっても「食」が手に入らない状況が来るかも、と思うことがあります。

そう考えると、「食」を「金銭」でしか入手できない東京のような都市圏の持続可能性には疑問符が付きます。考えすぎでしょうか?

② 食糧危機の例

われわれ日本人にとって馴染み深く、大切な食糧資源である「魚」について、次のような予測があります。

この年、魚が絶滅する(汚染と乱獲が原因)

『未来年表』, 博報堂生活総合研究所, 最終閲覧日:2023/3/30

わずか四半世紀後、2048年に起こるとされる未来予測です(元ネタは科学専門誌「サイエンス」(米国, 2006))。

さらっと書いてありますが、恐ろしい予測ですよね。近年はサンマの不漁が取り沙汰されていますが、「サンマの不漁」どころか、「魚が絶滅」なのですから。

ですが、環境NPOスタッフとして「海のプラスチック問題」に関わった身としては、「ごみ問題」という視点からも、海がどれだけ危機的状況にあるのかはよくわかります(その他、海洋酸性化など、海の危機は待ったなしの状況にあります)。

2048年に、急に魚が消えるわけではありません。漁獲量が徐々に減るという状況に対して、われわれ人類はなすすべなく見守るしかない、という期間が四半世紀ほど続くのだと思います(書いていて、ツラい)。

「魚」という貴重な食糧資源が、この世界から消える(養殖は残るでしょうか?)。この一事からも、食べものを「買う(だけ)」という生活が、持続可能だと言い切るのは難しいように思います。

(本文終わり)


★☆次の記事はコチラ★☆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?