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近所の水路も「ビオトープ」(ビオトープを守り・育てる #1)


(1)生き物が住めば「ビオトープ」

①「ビオトープ」の定義

皆さんは、「ビオトープ」という言葉を聞いて、何をイメージしますか?

「知らない」という方が多いかも。。また、「聞いたことある」という方は、学校や公園などにある、整備の行き届いた「池+その周辺」などをイメージするかもしれません。

一般的な「ビオトープ」のイメージ?
(Willfried WendeによるPixabayからの画像)

私も、仕事で「ビオトープ管理士」資格を取得するまで、同じような、ボンヤリとしたイメージを抱いていました。

実は、「ビオトープ」という言葉が意味する範囲は、とても広いのです。都市の街路樹も、マンションのベランダの鉢植えも、生き物が生息する場であれば、それは「ビオトープ」といえます。

ビオトープとはドイツ語のbiotopのことで、もともとはギリシア語で命(bio)のある場所(topos)、つまり「生き物の生息場」という意味です。ビオトープというと人工の池をイメージする人が多いかもしれません。しかし、本来の意味では人工や自然を問わず、池に限らず、森も川も海岸も、生き物が生息・生育する場はビオトープです

『自宅で湿地帯ビオトープ!』(中島淳著, 大童澄瞳画, 大和書房, pp16-17, 太字化は筆者による)

この定義を知ってからは、それまでは町の一風景でしかなかった「街路樹の植え込み」や「庭先の花壇」まで、あらゆる場所が「生き物の生息場」として見えてきたことを覚えています。

庭先の花壇も「ビオトープ」
街路樹の植え込みも「ビオトープ」

② 近所の水路も「ビオトープ」

東京から岐阜にUターンしたことで、子どもの頃の遊び場だった近所の農業用水路(以下「水路」と表記)や田んぼなどが、再び身近なものになりました。

そして、水路や田んぼには、たくさんの生き物が生息しています。まさに「ビオトープ」と呼ぶにふさわしいエリアが、身近に広がっています。

近所の農業用水路
自宅隣の田んぼ

③「ビオトープ」に関するオススメ書籍

私が「ビオトープ」や「生物多様性」の問題に再び関心を持ったのは、図書館でふと手にしたこの本がきっかけでした。

『自宅で湿地帯ビオトープ!』(中島淳著 大童澄瞳画, 大和書房)

「ビオトープ」とか「生物多様性」と聞くと、なんだか小難しくて、自分には手に負えないような、大きな問題に感じられます。ですが、この本では、「ビオトープ」をもっと身近な存在として、自宅の庭やベランダで、「手軽に作れるもの」として紹介されています。

そして、手軽に作ったビオトープであっても、生物多様性の保全に貢献できることを教えてくれます。何よりも、ビオトープに主体的に関わる楽しさを教えてくれます。子どもにも読みやすく、大人にとっては、すぐにビオトープを作りたくなる、実践的な内容が詰まった良書です(写真がいっぱいで、すぐに読み終えられます)。

「池」や「生き物」が好きな方は、ぜひ読んでみてください。

(2)生物多様性が失われた

(原因①)コンクリートの側溝化によって、エコトーンが消えた

Uターンによって再び身近になった水路や田んぼを、改めて見てみました。すると、私が遊び回っていた頃(20年以上前)と比べて、「生き物の種類が減った」ことに気づきます。

原因のひとつは、田んぼの「畦(あぜ)」が、「土」の斜面から、コンクリートの「側溝」に変わったことにあります。

私が小学生の頃、近所の道路と田んぼの境界は、土がむき出しの「畦」でした。そして、畦には種々の草花が生え、生き物が生息していました。その畦も、いまではコンクリートで固められた、垂直壁の「側溝」に変わっています。

コンクリートで固められた側溝
(25年前は土の斜面(畦)と開放水路でした)

畦は、「ecotone(エコトーン=移行帯)」として機能していました。ちなみに、エコトーンの定義は次のようになります。

エコトーンとは日本語では「移行帯」といい、2つの異なる環境が少しずつ変化しながら接する場所、と定義されます。湿地帯においては、陸と水の間にある「陸とも水ともつかない場所」がエコトーンです。池のほとりの場合で考えると、「陸だ!」と思って踏み込むとずぶずぶと沈んで泥まみれになるような場所です。エコトーンはもちろん陸地にもあります。日向環境と日陰環境の間、草原と森林の間、海と陸の間、本来はその境界は曖昧です。それらもまさしくエコトーンです。

『自宅で湿地帯ビオトープ!』(中島淳著・大童澄瞳画, 大和書房, 第2刷, p27, 太字化は筆者)

「畦」は陸と水(田んぼ・水路)との境目です。まさにエコトーンでした。エコトーンがあることで、水中とエコトーンの両方を利用する生き物が生息することができます。

例えばドジョウ。
コンクリートの側溝に変わる前(土の畦だった頃)、近所の水路ではドジョウをたくさん見かけました。ですが、畦が側溝となった今では、ドジョウは暮らせません。なぜなら、ドジョウは普段は水中で生活しますが、繁殖はエコトーンで行うからです。現に、自宅から少し離れた(土の)畦が残るエリアでは、いまも、ドジョウの姿を見ることができます。

ドジョウに限らず、「コンクリートの側溝(上の写真)」と「土の畦(下の写真)」では、どちらにたくさんの生き物が暮らせるかは、一目瞭然だと思います。

土の畦(エコトーン)がある場所
(ドジョウたちが暮らせるエリア)

「だからコンクリートの側溝を壊して土の畦に戻せ」などと言いたいわけではありません(心の中では叫びたい…)。一度失われた環境を元に戻すことはできません。

それでも、たくさんの生き物が暮らす「ビオトープ(生き物の生息場)」を取り戻したい。いまは、そのために自分ができることを模索しています。

ビオトープに関する自分の活動を、このような形で紹介することも、その一環だと思っています。

(原因②)外来種によって占拠されたビオトープ

「生物多様性が失われた」と書きましたが、いまでも、水路や田んぼには生き物が暮らしています。ですが、目にするのはほとんどが同じ生き物です。それも「外来種」ばかり。。

いま、「外来種」が占拠している環境(「生態的地位(=ニッチ)」と呼びます)には、数十年前までは、古来より日本で暮らしていた生き物たち(在来種)がいました。

(侵略的な)外来種は、捕食や競争によって在来種の生き物を駆逐するとともに、強い繁殖力によってどんどんその数を増やしていきます。その結果、私の身の回りのビオトープ(水路、田んぼ)で見かける生き物は、ほとんどが次に挙げるような外来種ばかりになっています。

  • スクミリンゴガイ(通称:ジャンボタニシ)…要注意外来生物(外来生物法)、世界の侵略的外来種ワースト100、日本の侵略的外来種ワースト100

  • アメリカザリガニ…条件付特定外来生物(外来生物法)、日本の侵略的外来種ワースト100

  • ミシシッピアカミミガメ(通称:ミドリガメ)…条件付特定外来生物(外来生物法)、世界の侵略的外来種ワースト100、日本の侵略的外来種ワースト100

  • コイ(真鯉など)…世界の侵略的外来種ワースト100

  • オオカナダモ(アナカリス)…要注意外来生物(外来生物法)、日本の侵略的外来種ワースト100

数え切れないスクミリンゴガイ’(通称ジャンボタニシだが、「タニシ」ではない)
水路で捕らえたミドリガメ

「ビオトープ」について考えるとき、「外来種」は避けて通れない問題です。ちなみに、「外来種」の定義は次のようになります。

外来種とは「人の手によって自然分布域外に持ち込まれた生物」という意味です。持ち込まれた年代は問いませんし、意図的か非意図的かは関係ありません。1年前でも1000年前でも、人の活動に伴って持ち込まれたことが確かならそれは外来種です。

『自宅で湿地帯ビオトープ!』(中島淳著 大童澄瞳画, 大和書房, 第2刷, p22)

「外来種」の問題については、2023年6月1日からアカミミガメ(ミドリガメ)とアメリカザリガニが「条件付特定外来生物」に指定されたことで注目されています。なお、外来種については、別の記事に書く予定です。

(3)生物多様性を回復させる

(活動①)外来種を取り除き、在来種の回復余地をつくる

「見かけるのは外来種ばかり」と書きましたが、数や種類は少なくても、「在来種」の生き物も暮らしています。

もちろん、「在来種」の生き物が数を減らしたのは、「外来種」だけが原因ではありません(農薬の利用とか環境の変化とか…)。ですが、環境中から外来種を取り除けば、「外来種が原因となって数を減らした在来種」の数や種類は回復すると予測できます。

コトはそんなに単純ではないかもしれません。ですが、「多種多様な在来種が暮らすビオトープを見たい」、それが私の希望なのです。

そのために、自宅前の水路を活動範囲(約650m)と定めて、「外来種の駆除」を定期的に行っています。この水路をひとつの「ビオトープ」と見立てて、「生物多様性の回復」を目指しています。

水路で捕らえたアメリカザリガニ(わが家のミドリガメの餌にしています)

[前提] 生き物に罪はない

「外来種の駆除」と書きましたが、外来種の生き物たちに罪はありません。上に挙げた外来種の生き物たちは、全て「人間の都合(食糧として、観賞用として等)」によって、日本に導入されました。

外来種の生き物たちは、「生存と繁殖」という本能に基づいて、与えられた環境で生きているにすぎません。

それを、再び「人間の都合(人間にとって都合の良い、生態系の保全)」によって邪魔者扱いされ、(私のような人間によって)駆除される。これが外来種の問題の本質です。

それを理解しながらも、多種多様な生き物が共存する環境を取り戻したい。だから外来種を駆除する。これが、私の素直な動機です。

「外来種」の生き物を、「悪者扱い」はしない。ビオトープ(生き物の生息場)に関わるとき、この点だけは忘れたくないと思っています。

(活動②)自分で(湿地帯)ビオトープを作る

生物多様性の保全に貢献するもう1つの方法が、「自分で(湿地帯)ビオトープを作る」ことです。

ビオトープを作るといっても、大きな池を作る必要はありません(作れたら楽しいのでしょうが…)。小さくても「水場」があれば、生き物たちは勝手にやってくるそうです。

上で紹介した『自宅で湿地帯ビオトープ!』には、具体的なビオトープの作り方が紹介されています。庭がなくても、ベランダがあればビオトープを設置できるのです!ちなみに、同書で紹介されているビオトープの設置方法は以下の4つです。詳しく知りたい方は、ぜひ同書をお読みください。

  • (A)防水シートを使った湿地帯ビオトープ(庭を自由に使える人に!)

  • (B)コンテナを埋めてつくる湿地帯ビオトープ(より手軽に庭先で)

  • (C)コンテナを使った湿地帯ビオトープ(ベランダでも庭の隅でも)

  • (D)小型の睡蓮鉢を使った湿地帯ビオトープ(これならうちにも置けるかも?)

『自宅で湿地帯ビオトープ!』(中島淳著 大童澄瞳画, 大和書房)

私の場合、わが家の耕作放棄地の一部に、(A)の防水シート式の人工池(というよりも水たまり?)をこしらえました。山間の耕作放棄地なので、たくさんの生き物がやってきてくれることを、楽しみに待っています。

防水シート式の人工池
(設置してから晴天が続き、水が溜まっていない)

難点は、自宅から遠くて頻繁には手入れができないこと。ということで、自宅近くの田んぼ(同じく耕作放棄地。畑地として再耕中)にも、人工池の設置を計画しています。

(活動③)ごみ拾い

水路脇を歩きながら、いつも目に入ったごみを拾っています。「ごみ」はビオトープの生き物にとって「邪魔者」でしかありません。

ちなみに、私の前職は河川/海洋のごみ問題(主にプラスチックごみ)の解決を目指すNPO職員です。

水路に落ちたごみの多くは、いずれは大きな河川に入り、海へ流れていきます。海へ流れてしまえば回収は不可能です。だから、目の前にあるごみは拾うことに決めています。

水路で拾った「ごみ」

世界中の(日本を含む)国々から、大量のごみが海へ流れ込んでいます。そのほとんどはプラスチックごみです。そして、この先、何十年・何百年経っても、プラスチックごみが自然に還ることはありません(目に見えないくらいバラバラになっても、プラスチックはプラスチックのままです)。

特に、ごみ回収システムが未整備である発展途上国からは、日本で暮らすわれわれには想像できない量のごみが、海へ流れ込んでいます。そのため、「海のごみ問題全体」から見れば、日本の片隅で、目の前のごみを拾うことは、焼け石に水なのかもしれません。

それでも、自分が目の前のごみを拾わない理由にはなりません。

生物多様性の保全も同じことだと思います。世界中でたくさんの生き物が絶滅しています。個人が小さなビオトープに関わったり、新たにビオトープを作ったりしたところで、生物多様性の全体から見れば、何の意味もないのかもしれません。

それでも、せめて目の前にはたくさんの生き物が住むビオトープを残したい。自分なりに、目いっぱい楽しみながら、そうした活動をしていきたいと思っています。

(終わり)

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