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自分なりの人との関わり方

自分って八方美人?


何かしらの集団に属したとき自分はよく、
「誰とでも仲良くしてるよね(できるよね)」と言われる。
その言葉の真意は言う人ごとで異なるだろうが、客観的な見え方の一つとして、そうらしい。

これを言われたとき、どこか何か不思議な気持ちになる。
自分はその自覚を持ちきれていないから。つまり、彼ら全員と仲良くなりきれているとは思えていないから。
これは深い意味でも何でもなく、単に人間関係構築の問題。友達レベルまで関係を深めることは、自分には時間のかかることであり、先の言葉をもらう時にはまだそうなっていないケースは(どうしても)多くある。

そして合わせて、「誰に対しても平等だよね」と言われることもある。
これは、確かにそうだと思う。よっっっっぽど嫌い・苦手な人でなければ、不平等に接する理由が自分にはなくて。特に関わり始めなんかはその人のことを全然知らない訳だし、まっさらに近い気持ちで関わりたいと思っている。

ただ、中には確かに「直感的に合わないと感じた人には関わりに行かない」という人もいる。そして、自分にもそうした直感能力がどこかに備わっていることへの自覚もある。ただ、「もう関わらないぞ」という決断を下すまでの期間・時間が割と長めということは確かだと思う。

このような特徴を持つ自分は、時に「八方美人」という言葉で形容される。
誰に対しても愛想良く付き合う人ってことなんだろう。そしてそれが故に、「この人は何考えてるかが分からない」らしい。一周まわって「人に興味もない」んじゃないかって。

んー、たーしかに。

たしかに自分は、誰に対しても同じように接していくと思う。特に関わり始めの時なんか、その人のこと何にも知らないから関わり方を区別しようにも難しい。

それと、八方美人の人の心理でよく言われる「人に嫌われたくない」という思いは、正直自分にもあると思う。やっぱりどうしても、人に嫌われたくはない(笑)

でも、だからといって自分の意見を言わない訳でもないし、常に愛想振るまいて周りに合わせているわけでもない。どちらかというとマイペースで自己中な要素が多い気もする。

ほんでもう一つ、「人に興味がないのでは」という見方に関しては、これは「誰にでも同じように接する→特別に好きな人がいない」と見えることからくるらしい。

んー、なるほど。でも、そんなわけはなくってさ。

確かに最初は誰にも同じように関わるし、その後も多くの人に対して特に拒否的な関わり方はしない。本当に、そうする理由がないから。
でも、自分にとっての好みや相性はある。この人は関わりやすいな、もっと関わっていたいな、とか。そんな人には連絡したくもなるわけで、人間っぽい感情は多分に持ってると、思う。

「好きな人がいないんじゃないか」っていう見え方は、たしかにその人からするとそう見えるのかも。だけど、こいつ(自分)の中を覗きにいけば、確かに好きな人がいることが分かるはず。たまたまそれが、その時点ではその人に向いていないだけで。

ここまでが、自分って八方美人なのか?的な話。

ただ、

ただたしかに、これに関連する悩みはある。

多くの人と関わる中で、自分の本当の好きが埋もれちゃうんじゃないかってこと。

これは色々なモノに興味を持ってみるけど、本当に興味あるものが何かが分からないという現象と似ている。

自分の「好きな人」への好き具合には、どれだけ大小差があるんだろう。これはたしかに自分の中で明確に出来ていない。

これがモノであれば断捨離という形で精査できるかもしれないけど、ヒトとなるとまた違う。「この人、興味ない」「この人の方が興味ある」ってスパッと割り切ることは自分には難しい。

これは自分の中で試行錯誤中。自分の心に素直に向き合い、ある程度のメリハリをつけながら、それをどう実際に落とし込むか。1,2年前のかつての自分よりかは出来るようになってきているけど、こればっかりはまだまだ継続課題って感じだな。


今回は、自分の人との関わり方についてぼわーっと書いてみた。書くのにだいぶん時間がかかるけど、こうして書くのもなんかよい。


ちなみに、以前のnoteの最後に書いた「人のことが好きかどうか」の実情は、今回書いたこととはまた違う。これについては、またにしよ。


また書こっと。

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