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呪詛

自分にも楽しいことが続いている時はそうでもないのだが、家に篭もる日が何日も続いている時にInstagramのストーリーを見るのがとても苦手だ。なぜかというとストーリーの煌びやかさに対して自分自身がものすごく惨めに感じられるから。それなら見なければいいというのは至極正論で、元から一人の時間が嫌いでない性格も相まってTwitterほど見るのに時間を費やしてはいない。

ただ、たまに自分もメンタルが安定していてもどうしようもない気持ちに苛まれる時がある。きっとその感情の源泉には「自分自身に対する後悔」があるのだろう。

どういうことか。

遡ること2~3ヶ月前、コロナ禍での様々な制約を受けながら2個下の後輩たちがいろいろな国へ旅立った。
めでたいことだ。中にはnoteを始めた子もいて、その記事を読むと情景が伝わってきてとても楽しい。

ただ、どうしてもその留学生活に嫉妬をしている自分を自覚し器の狭さに情けなくなる。

そもそも自分自身のことを軽く説明すると
・昨年秋(3年秋)出発の留学が中止
・今年秋出発の留学に出願するも就活との兼ね合いや渡航の不透明さから断念
という状況である。

正直自分が他の人の立場で自分を見たら、そりゃ嫉妬するのもしょうがないと思うはずだ。
ただ、なんで今こんなことを書き連ねているかというとそういう風に同情してほしいわけでもなく、「留学に対して誠心誠意向き合ったか」というのを考えた時に自分自身の行動を100%後悔していないと言い切る自信がなかったからである。だから今こうやってどうしようもなくなって書きなぐっている。

まずそもそも1年生の時に2年秋出発の留学に応募して1次募集で全落ちした時。明らかな高望みのような出願はしていなかったとはいえ、もう少し選択肢を考えることができたのではないか。結果論で言えばその時に渡航していれば半年くらいは留学できていたわけで。もっと遡るとそもそもTOEFLのスコアを上げる努力をすればよかったのではないかとか、そういう後悔だってないわけではない。

その後2次募集があった際に、悩んだ末2年出発は諦め3年出発のロシアのプログラムに切り替えることを決めたこと。これは後悔していない。1次募集もう少し考えておけばと思うことはあれど、全落ちしたあとのこの選択は間違っていなかったと言える。

そこから感染症の影響で3年秋出発が中止になり、それでも諦めず4年秋出発で応募をした。2,3年生の間の過ごし方としては悔いはなかったはずだ。

そして2回目の後悔。
3年生の12月、モスクワ大学への留学候補者として選出されそこから2月頃までは留学一筋で就活もせずにいた。
ただ、2月になっても感染症が収束する気配は見えず念の為にと就活にも本腰を入れ出した。そこで就活の大変さを知ることになる。
2つ目の後悔はこの「就活」と「留学」を天秤にかけた時に「もう就活をしたくないから」という理由で就活を取ってしまったことだ。

最終的に留学を断念する決断をしたのは4年生の6月中旬。その時には第1志望の会社から内定を頂いており、なんなら内定承諾書を1~2週間ほど提出せずにいた。
しかし、やはりもうそろそろ提出してほしいという連絡も再度あったこと、その会社に行きたい気持ちは嘘ではなかったこと、その内定を蹴ってまで渡航が保証される保証がなかったことなどいろいろな要因の上、精神的にもまた1から就活をしなくてはいけない可能性を考えた結果留学を断念した。

正直9割9分の人はその選択は「間違っていない」と言うと思う。当時の自分だって「そうだよな、この判断は間違ってないよな」と思っていた。
ただ、留学第一として考えた場合は仮にダメでも留学に出願して、行けたなら5年卒業になってももう1回就活するかダメだったら内定無しでまた1から就活するのが正解だったのかもしれないと思う。

これは本当に悔やんで悔やみきれないのだが、結果としてあの時留学に行くことを申請していれば、大学の留学センターはOKを出していたらしい。後からそれを聞いてそりゃないぜと思って周りに愚痴もこぼしたが、「でも最終的に諦めたのはお前じゃん」と言われてしまえば反論の余地がない。

留学を断念する旨をフォームに記載する。留学センターの担当の人にその旨をメールする。推薦状を書いてくれた先生にもメールをする。学部事務所の担当の人にも電話をする。今だから言えるが一通り対応をしたあと自分の部屋でめちゃめちゃ泣いた。なんでこんなことになってしまったんだろうと悲劇のヒロインぶっていた。
今思えばそんなことをするくらいであればダメもとでも行くつもりでいればよかったのかもしれない。

そんな自分自身への後悔を抱えている。後輩たちの留学の成功と無事の帰還を楽しみにしながら、どうしても素直になりきれない自分がそこにいる。彼らは全く悪くなく、全て自分が悪いだけなのに。
そんな自分自身への呪詛。

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