遅すぎる夜に遅すぎる新年のご挨拶。

2021年になった。「あけまして『おめでとう』」

そんな常套句を浪費した、年始の騒がしさもとうに過ぎ去り、もう1月も半ばである。「おめでとう」という言葉が皮肉の様に、世界はずっと怒っていて、怯えている。1月15日、深夜二時。遅すぎる夜に、遅すぎる新年のご挨拶をしたい。

正月は何をしていたかというと、特に何もしていなかった。「みだりに外に出るな、みだりに遊ぶな」と社会が求めているのだから、それでいいのである。

…それでいいと、思うようにしている。僕は元来怠惰な人間であるけれど、正月はさらにその怠惰が加速する。昼に起きて、テレビを見て、スマホをいじり、深夜は一人でAVを見る。人生80年だとして、まぁ、貴重な人生をダラダラと浪費する時間があったって、いいじゃないか。ねえ。僕はそう思うけどね。

さて、2021年。今年は何となく良い一年になると思っている。昨年と一昨年が本当に苦しいことばかりだったから、まぁそれよりは「心の免疫」はついてるだろう、という概算だ。スピリチュアルとかの知識はないけど、幸運って巡り巡ってまた自分に帰ってくるもんでしょ?ねえ。僕はそう思うけどね。

・・・・・・・・・・・・

とはいったものの、新年早々パソコンの6のキーが、僕の不手際によって吹き飛んだ。その一週間後に、全く同じ不手際を犯して、パソコンのNのキーも吹き飛んだ。同じミスを繰り返すという、僕の悪いところが新年早々露呈したわけだ。キーボードって、吹き飛んでから分かるのだけど、一つも要らないキーなんてないんだよね。一つ欠けるだけで、パソコンは円滑に回らなくなるんだよ。悲しいもんでさ、キーボードと違って人間は一人欠けてもそれを埋め合わせるように社会は回るよね。何なんだろうね。そこが人間社会の強みでもあるのだろうけどね。



アルバイト先では珍しく理不尽なクレーム対応もした。マジで許さねえ、あのジジイ。「定年退職直後の面をした60歳半ばぐらいの意地の悪いジジイ」が世の中の中で一番厄介だったりする。事の経緯は省略するが、「定年退職直後の面をした60歳半ばぐらいの意地の悪いジジイ」が、僕の接客に対し、神経質な理由で因縁をつけた格好である。「だから俺は【ウチの店舗名】では買わないんだ!」とか「俺はいつも【ライバル店の名前】で買っている!」とか「クソッたれ!もっとまともな奴呼んで来い!」とか「お前みたいなアホのせいで【ウチの店舗名】は廃れていくんだよ」とか、嫌味のテンプレートをジジイから理不尽にぶつけられて、新年早々、私のアルバイト・モチベイションは空に消えたわけだけれども。


あ、そうね、皆さん、お元気ですか?僕は元気です。

・・・・・・・・・・・・

「今年は頑張ります~」とか毎年言ってたんですけど、今年に関してはそんなこと言わないようにする。

僕は病的に頑張れない時があるので、それなら無理して頑張らんでもいいかなと。一昨年の夏に一回ぶっ壊れて、昨年の夏も一回ぶっ壊れたので、自分の心の取扱説明書を改訂することにした。

今年は、「頑張る」よりも「頑張った」という気持ちを重視したい。自己肯定感サゲサゲMANだから、「なんでこんなに頑張れないんだろ、俺…」と毎日思ってるけど、頑張ってない人間なんてこの世に居ない。居ないんだよ。

朝起きた、頑張った。仕事に行った、頑張った。稼いだお金でAV買った、CD買った、稼いだお金で好きなもの買えた、頑張った!

これでいいんだよな。てか、これが生活の全てでは?

21歳になってしばらく経って、ようやく出会えた哲学です。これまでの僕は「変に頑張ろうとしすぎた」のかもしれません。お陰様で最近は精神的に安定しているよ。

あ、でも、頑張るとは言わんけど、やりたい事は、沢山ある。

・満足できる就職をしたい。

・TMCでアルバム作りたい。

・ソロでもEPぐらい作りたい

・そろそろライブしたい。

・Vlogしたい。

・文章もっとうまくなりたい。

・やりたい事というか。うん、そろそろヤリたい。

(嘘です、もう一生童貞でもいいわ)

どれだけ騒がしかろうと、どれだけ幸せだろうと、一年は無常に過ぎていく。どうせ無常に過ぎていくんだから、無理に追いつこうとはせずに、そっと流れに乗りながら、やりたい事をのんびりと、ゆっくりとこなしていこうと思っています。

そして光の方、光の方へ。

2021年も、皆さま、よろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?