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あなたが望むなら

部屋に反響する破裂音。
日本国内で聞くのは我々の様な一部の人間に限られるであろう銃声。
今この瞬間、私は二度に渡り人を殺めた。
今回は兵士と兵士の殺し合いではない。
愛する人を守る為に自らの意思で、2度引き金を引く。


日防陸軍を退役して、18歳以来の真に自由な空間。思えば激動の二十代だった。自衛隊の国防軍への再編成。今は世間から日防軍なんて呼ばれている。その一年後に国内でテロリストと戦闘になるなんて誰が予想できただろう。


30歳になって歩兵の仕事について行けなくなった私に舞い込んだ誘い。
お姫様の護衛なんて洒落た仕事を与えてくれた英国軍集合教育の同期には本当に感謝している。



初めてあの子に会った時のことを今でも思い出す。
白と青の混ざる髪を持つお姫様、私とは住む世界がまるで違う異国の人。
戦場とは違う世界。血や泥の臭いを感じさせない、純白の肌。スピネルの様な赤い瞳。
透き通る美しい声、私がイメージしていた皇族とは違う明るい年相応の明るい笑い声。
しかしながら私を見た途端急に静かになって人見知りの様に「エ、エリザベート......」なんて急に暗い声で言うものだから親近感を抱いて思わず笑ってしまったものだ。
「Nice to meet you,ma’am. I am Kento Nagai. Ex Japanese army,sergeant major.(はじめまして。元日防陸軍陸曹長、永井健人です。)」
「二、日本語デ大丈夫ですヨ......?」
「なら日本語で。リズって呼んでもよろしいですか?」



リズが好むブラックコーヒーを味わいながら本を読む。
時刻は午後3時。ロビーのこの窓の辺りは日光がよく当たるから気持ちがいい。11月だが最近は暖かい。

巷で流行の流行り病。米国では暴動、国内でもデモが起きるなどまさに映画の様な世界だ。
しかし身の回りといえばいつもの光景、強いて変わったとしたらマスクをする人が増えたぐらいか。

窓の外で悲鳴が上がる。
「人が襲われている!」
こんな天気のいい日にそんなゾンビ映画のようなことが起こるはずがない。

そう、起こるはずがないのだ。

しかし現実には窓の直下、血塗れの男が、人を...喰っている...?



私の意志とは相反するようにその波紋は広がっていく。
このホテルに居るのが最適なのだろうか。あるいは脱出か。

ロビーから戻り自室のドアを乱暴に開ける。空気感を変えるためだ。
賢いあの子の事だ、私の行動に違和感を感じてくれるだろう。

「リズ、身支度を。」
「どうしたの?」
「とりあえずよくない事が起きてる。」


ジャケットを脱ぐ。肩周りの違和感をなくすためだ。
護身用のグロックを鞄から取り出し、スライドを二度引く。薬室は空だ。
弾倉に17発、弾を込めて行く。黄金色でいっぱいになったら腰の弾納に入れていく。
心配そうな目線を感じるがそれには答えない。答えると彼女はより不安になるだろうから。

銃を分解し丁寧に手入れする。WD40の嗅ぎ慣れた甘い臭い。部屋とは世界観が異なる臭い。
丁寧に、的確に整備をする。軍で習った通りに。
安全装置と単発機能を念入りに点検していく。引き金を引くことがない事を祈りながら。
金属の擦れる音、金属と金属がぶつかる音。スライドも問題なく止められる。
手に銃口を押し付け安全機能を確認する。引き金を引いてもストライカーは前進しない。
リズの前で血を見せないように。人が人を殺める、私の醜い行為を見せないように。
いつまでも姫様が綺麗であるように。

「どこ行くの?」
「食事と水分の確保ですかね。」
「私、怖いよ.....」
「ブラックコーヒーでも飲むかい?」
「そうじゃないの、人が人を......」
彼女の手を取る。あの光景を見てしまったのだろう。
彼女の手はひどく震えてる。
「リズ、戦場とはこういうものだ。深呼吸して気持ちを入れ替えよう、ok?」
戦場を体験するはずがない可愛い女の子にそんな事を言うのはなんて酷なのだろう。

「リズ、私が出たら鍵を閉めろ。」
「待ってよ、私も行く」
「だめだ。脅威は未知数だ、貴女を危険に晒したくない。」
「嫌だ、怖いよ......」
「とにかく私が出たら鍵を閉めなさい、いいね?何があっても絶対に開けるな。」
「......わかった......貴方が戻ってきたら?」
「鍵は私が持ってるからそれで開ける、大丈夫だよ。」


袖を七部に折り、革手を着ける。
深呼吸して拳銃のスライドを引き、薬室に装弾する。
「気をつけてね。」
「うん、リズは何が欲しい?」
「コーヒーゼリーかな、甘くないものを食べたい。」
「了、それでは」

鍵の閉まる音。廊下はやけに静かだ。あたかもホラー映画に入り込んだかの様な異様な雰囲気。
戦場と同じ、鉄の臭い。
スライドを少し引き薬室を点検する。射撃の機会がない事を祈りながら。

現在地は5階のロビー、ここから中央階段を通り2階のキッチンへ向かう。
このパニックの中、ここが異様に静かなのはすでに“アレ”に喰われたか、或いは脱出しているか。
廊下に血痕があると言うことは前者なのだろうけど。

幸いなのは電気が生きていることだろう。対象を容易に識別できる上、今守るべきものは我が身ひとつのみ。
軍に居た時よりも簡単な仕事をこなすだけでいい。
銃を構えながらゆっくりと階段を下っていく、地獄への入り口かのように一段ずつひどく空気が重く感じる気がする。

3階の踊り場。この階は一般客が多いフロアだ。辺りは血まみれだが遺体は一つとしてない。想像したくないが、おそらく人の肉であろう物が点々と転がっている。鼻が曲りそうな濃い鉄の臭い。構わずに二階へ下っていく。

酷く鼓動が速い。耳の奥で心臓が早い速度で脈打つ音が聞こえる。
緊張しているのだろう。戦闘経験があっても慣れないものだ。
脈拍を抑えるようにゆっくりと呼吸しながら、やっとキッチンに着いた。

倒れている人が3人見えるが、どれも動かない。本来なら救急処置を施すべきだろうが、あいにく今はそんな物は持ち合わせていない。一人は明らかに致死量の血溜まりが体の下に広がっている。
壁に背を向け、遺体を警戒しながら食料をカバンに詰めていく。缶詰、菓子類、アーモンド、コーヒーゼリー。

箸を4膳とスプーンを取ろうとした時に床を蹴る音が、聞こえた。
いや、床を擦る音だろうか。まるで湖に石を投げ入れた水面の波紋の様にその違和感は近づいて来た。


「誰か」
短く誰何する。負傷者か、“アレ“か。後者なら引き金を引くしかないのだろう。
もしそうだったら、どこが弱点なのだろう。バイタル?脳?
そもそも銃弾は効果があるのだろうか?

程なくしてその波紋の原因はキッチンの入り口に現われた。
複数箇所の噛みちぎられた跡、腹部からは自らの腸が脱出しておりそれを引きずりながら歩いている。しかしながら“アレ”の表情は一切の苦痛も感じさせない。トリアージするなら誰もが死亡群として扱うだろうが、“アレ”はただ真っ直ぐ、一歩一歩確実に私を目指し歩み寄ってくる。

「止まれ、撃つぞ」
警告する。必要があるのかは定かではないし、聞こえてるのかもわからないまま銃を向ける。
「撃つぞ!」
最後の警告。最大限にこちらの殺意が伝わるように大声で叫ぶが、“アレ”は歩みを止めない。

キッチンに響き渡る破裂音が2回。この日本でそう聞くことがないであろう銃声が響き渡り、“アレ”のバイタルゾーンを弾丸が貫く。
しかし“アレ”は怯みはしたものの、胴体に空いた風穴を気にすることなく前進してくる。
さらに響く銃声。飛翔した弾丸は“アレ”の頭へ吸い込まれていった。
肉塊と化した“アレ”はまるで操り人形の糸が切られたかの様に倒れていった。

箸を4膳とスプーンを鞄に突っ込み速やかに離脱の準備を整える。
おそらく“アレ”の耳が良ければ集まってくるだろうし、生存者も助けを求めて集まるだろう。
今の装備では守れても私自身とリズぐらいだ。いくら何でも無理がある。

キッチンを離脱して速やかに中央階段を駆け上がる。リズが先程の音で心配しているだろう。
誰にも会わないまま5階に到着しそのまま部屋を目指し廊下を駆ける。
息が上がる。頭が痛い。
廊下の壁を部屋まで続くように残っている血の跡に目を背けながら。
最悪の事態を、優しいあの子が部屋に負傷者を招き入れていないことを祈りながら。

鍵を開け部屋に入ると、血まみれの女性とリズ。大慌てでリズは私に抱きつく。
「どうしよう、血が止まらないの」
「リズ、怪我は!?」
「私は大丈夫、でもこの人の血が......」

パニックだったのだろう。
彼女が一生懸命、肘から先を欠損した右腕を止血しようとしていたその女性は誰が見ても明らかに死んでいた。
そう、死んでいたのである。人としては。

私が思うに“アレ”はどうやら接触感染か何かで数を増やしている様だった。
となると、噛まれた段階で助からないのだろうか。
ゆっくりとこちらに視線を向け、死んだはずの“アレ”は操り人形の様に立ち上がる。
「リズ、見るんじゃない。」
声が届いていないのか、思考が停止してしまっているのか。彼女は“アレ“から目を離さない。
私は銃の引き金をゆっくりと引く。乾いた破裂音が2回、部屋に響きわたる。




「リズ、申し訳ない。」
「いいの、私が悪かったの。貴方の言うことをちゃんと守らなかったから。」
「本当に間に合ってよかった。でも貴女に殺しなんて汚い所は見せたくなかった。」
酷いトラウマになるだろう。私に抱き着いて、わんわん泣くのだから。
目を真っ赤に腫らして、声が掠れるほど大きな声で。
ごめんなさい、ごめんなさいと何度も私に謝った。

「リズ、部屋を綺麗にするからその間にシャワーに行ってきたら?綺麗な顔が台無しだ」
口説いてどうするのよ、もーなんて笑いながら姫さまはシャワー室に消えていく。
日常と変わらない会話を心がけ、日常と非日常を溶け合わせる。
今はこれが最善だろう。
遺体をバルコニーに安置し、手を綺麗に洗う。
コーヒーゼリーは血の臭いがしないベッドで食べてもらおう。

「上がったよ」
「はい、コーヒーゼリーをベッドに置いてるよ」
「ありがと。......ねぇ?」
2秒ほどの沈黙。まるで1時間の様に感じる沈黙。
「......何でもない。貴方が上がったら一緒に食べよう。」

シャワーの栓を開ける。お湯が全身を流れる。
“アレ”を完全に終了させるには脳にダメージを負わせる他にないらしい。
弾が少なくても済むのはありがたい事だが、戦闘中はより一層冷静にならなければならない。
軍に居た時から銃の扱いは得意だが、油断は禁物だろう。
何でこんな事になったんだろう。一刻も早くこのホテルを出るしかない。やるしかない。
迷いを切り捨てる様にシャワーの栓を止める。

リズの横に座る。酷く疲れた表情だった。手は小刻みに震えている。
「リズ、貴女は正しい判断をしたんだ」
「血が、とまら、なかったの。」
「貴方に教えて貰った、通りにしたのに、出来なかったの。」
「あの人、死にたくないって、何度も.......貴方が入ってくるまで、ずっと。」
軍に入った時の自分を見ている様で悔しかった。私の様に思い詰めて欲しくなかった。

「リズ、貴女を守るのが私の任務だ。」
「うん?」
「これは私情も挟んでるんだよ。好きな女を守れるなら手が汚れるぐらい問題無い。」
「......うん」
「......俺の専門は戦闘だ。銃を握った以上“そっち”には戻れない。」
「......」
「でもリズは他とは違って俺を元軍人としてじゃなくて永井健人として見てくれた。」
なんでこんな事を急に口走るんだろう。それでも口が動くのを止められない。
「嬉しかったんだ、君にこの命を捧げてもいいとも思った。」
ああ、やっぱり俺はこの子のことが。
「リズが望むなら俺は......」
「一人の男として私を守って。」
リズは強い口調で私に言う。
「兵はいくらでも居たわ。でも誰も話しかけてくれなかったの。」
「貴方だけ、急に日本からきた元軍人さんの貴方だけが話しかけてくれた。」
「酷い人見知りの私に何度も何度も。」
「だから永井健人として私を守って。貴方の意思で守ってよ。」

顔が熱くなる。そんな宝石の様な瞳を向けないで欲しい。
「わかったよ、よくそんな恥ずかしい事言えるな。」
「貴方が先だったもん。急に告白しないでよ、もー」
目を赤く腫らしたまま、恥ずかしそうに微笑む彼女。

コーヒーゼリーとブラックコーヒーを流し込む。
頭が冴える。思考が今まで以上に回るような気分だ。


幸い、電気もネットも生きている。
軍の同期に電話をかける。きっと軍は動いているだろうからあまり期待はしてないけど。
「もし、宮田か?」
『もし、永井か?陸教以来だな』
「帝国ホテルで暴動に巻き込まれてな、今から脱出しようと思う。」
『マジか?!良く生きてるな。』
「ただ幸運なだけだよ.......軍は動いてないのか?」
『今準備中だ、すでに発生源のホテル周囲は押さえている。』
「銃を持ってても撃たないでほしいな、調整できるか?」
『任せな、この宮田小隊長が中隊長に具申しよう。』
「頼むよ小隊長。......暴動を起こしてる連中は普通じゃない。」
『らしいね、中国の最新NBC兵器だって噂も出ている。』
『とにかく気をつけろよ、じゃあな。』


さすが日防軍だ、初動が早くて助かる。

「リズ、軍が動いているらしい。今から一階のホールから脱出しよう。」
「どうして?このまま軍に保護してもらえないの?」
「まだ突入の準備段階だよ。それにこの事態の原因がわかっていない以上、人の密集は避けるべきだ。」
「そっか。わかった。」


準備を整え、扉を少し開けて音を聞く。無音。視界には何も映らない。
脱出はこのタイミングしかないだろう。

一歩一歩、中央階段を降りていく。リズは不安そうな顔をしている。
先ほどと同じような地獄へ降りていく感触。いろいろな不安が頭をよぎる。
もし噛まれたら、助かるのだろうか?
リズが噛まれたら、彼女の頭に撃てるのだろうか?
私が噛まれたら、リズは一人で生きていけるのだろうか?
私が死んだら、誰がリズを守るのだろう?

狭い空間と血の臭い。吐き気を催すのも無理はない状況だ。
広いホール。私たちは幸運らしい。
「よし、リズ。ここまでよく耐えたな。」
「気持ち悪いぃ......怖いよ......」
「あと少しだ。このホールを突っ切れば外に出られる。」
ホールには点々と“アレ”が歩き回っているが、数を減らし走り抜ければ問題ないだろう。

照門と照星で距離を測る。
「30m......ぐらいか。リズ、後ろを見ててよ。ここから撃って数を減らす。」
「どれくらいかかるの?」
「2分とかからないと思う。5人排除すれば安全に出られるだろう。」


引き金を引く。うるさい破裂音がホールに反響する。
なぜ神はこんなことを赦すのだろう。神が居るかは興味がないけど。

ゆっくりと間隔をあけ二度引き金を引く。正しく機械的に動作する引き金の感触を感じる。
リズはこんな私を見てどう思うのだろう。怖いのかな。それとも頼もしいだろうか。

引き金を引き反動受けた直後に引き金を数ミリ戻し、再度引く。
それでも、貴女が望むならどんなこともやって見せよう。

「リズ。」
「早いね、もう終わった?」
「うん、1分程度か。今なら出口まで走って行ける。急ごう。」

ドアを蹴破る。ホテルの中庭だ。
少し肌寒い風に乗る花の香りが地獄からの生還を実感させる。
目の前には古巣の迷彩が隊列を組んでこちらに銃を向けている。
助かったのだ。また戦場から生きて帰ってこれた。
「王立警備隊の永井曹長です!銃を下ろしてください!」
王立警備隊のバッジを見せ、ここに生存者がいる事を叫ぶ。
私たちは生きている。
「小隊、銃を下ろせ!命令であった保護対象だ!」



日はまた昇る。暖かい日の光だ。
白い隔離テントに二人。地獄から生還した英国の皇女とその騎士。
「リズ......私の事、怖くないか?」
「どうして?私を守ってくれたじゃない。」
「でも貴女の目の前で......私は......」
「貴方は私を守った。たまたまその方法が銃だっただけよ。」
「私をそばで守り続けた人をそんなことで恐れるわけないじゃない。」


「だから、誇っていいのよ。健人は正しいことをしたのよ。」
顔が熱くなる。これは日の光のせいだろうか。それとも。

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