見出し画像

途中下車ver.note#4

須ヶ口

2024.1.1

止められなかった。電車に乗って旅に行きたいという欲を新年早々から抑えることが出来なかった。だから私は今、名鉄岐阜駅にいる。
両親から、行ってもいいけど夕方の時間には帰ってこいと言われているのでそれまでに戻れるのはどこかあるかな―。
あ、ここいいのではないか。
ということで改札を通って電車に乗り込む。

13:25+1 普通 須ヶ口(1352)

データイムだからか、そこまで人はいなかった。
さて、今回乗車する車両は3100系。
3100系は1997年~2000年にかけて製造された赤い2両編成の通勤形電車である。2019年から新塗装がほぼすべての車両に施されている。
さて、乗車だ。
13:28 加納到着。
かつてこの近くを五街道の一つ、中山道の宿場町・加納宿があった。
13:29 茶所到着。
この加納と茶所の間は名鉄で最も短い駅間(400m)で、180円(執筆当時[2024.5.27]の運賃)である。400mの為だけに180円払うのも…うん…。
ちなみに、名鉄岐阜駅から先の岐南駅まで高架化工事の計画があり、その際、加納駅、茶所駅は統合される予定である。
13:47 石刀(いわと)到着。
この駅は、すぐ隣をJR東海道本線が併走しており、ホームが狭くなっている。私も以前降りたことがあるが、通過電車が来た時の恐怖はすごかった。
13:51 名鉄一宮到着。
ここで乗り換え。

13:52 急行 豊橋(1410)3500系+3150系

14:03 須ヶ口到着。
さあ、目的地に着いた。何をしよう。

須ヶ口駅。

…といってもここは以前降りたことがあり、そこをもう一度訪れようと思う。
駅から歩いて7分。大雄山正覚寺。その中にある今川塚へ。
1560年に勃発した桶狭間の戦いにおいて、織田信長によって今川義元は倒された。重要な歴史資料として重宝されている文書「信長公記」によると、討ち取った義元の首を清洲城外の須ヶ口に義元塚(今川塚)を建て、丁重に弔ったという。当初は別の場所にあったのだが、2007年に今の場所に移設された。祟られないのか不思議である。
とりあえず、今日は正月の元旦だ。手を合わせて行こう。
その後正覚寺にも手を合わせた。この正覚寺は1603年に松平忠吉(徳川家康の4男)が清須城主となった際に亡くなった母、西郷局の菩提寺として建立されたという。

正覚寺


今川塚


その正覚寺を出て美濃路街道を少し歩くと、須ヶ口の一里塚がある。
一里塚とは、一里(今で言うと3.927km)毎に建てられた塚で、主に街道に作られた。

須ヶ口の一里塚

さて、親との時間の待ち合わせもあるのでそろそろ帰ろう。
さて、次はどこへ行こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?