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途中下車note ver#3

河和

2023・12・29

 また早朝である。この男、遂に寝坊と負う朝早いが故の失態を犯したのである。なぜこうも早く行きたがるのか。この時の私は恐らくこう答えたであろう。
「この時間の電車に乗りたかったから。」
と。
 今思えば本当に意味が分からない。ただ、起きてしまった、駅に来た、乗り遅れたのはまだ取り返せるのでフリーきっぷを買ってホームへと歩を進める。

5:29 準急 豊橋
 車両は3700系。1997年に登場した通勤型車両である。以前触れた3500系とほぼ瓜二つである。私も初見では判別できなかった。

3700系


 さて、そろそろ乗車しよう。乗ってすぐに出発した。危なかった。
5:33 笠松に到着。
 最初の停車駅。馬は走っていなかった。以前は走っているところを見たことがあるが今日はたまたまであろう。
5:42 名鉄一宮に到着。
 乗客がここでかなり乗ってきた。年末の早朝から何をしに行くのだろうか。恐らくその乗客からすると私もそう見られているのかもしれない。
5:47 国府宮に到着。
 ここで目的の電車に追いついたので乗り換え。これが地獄の始まりだったった。

5:49 普通 河和
 車両は3500系。1993年に登場した通勤型車両で、現在名鉄電車の主力の一つになっている。車体全体が赤い塗装が施されており、名鉄初(当時)の機能、性能を搭載している。2013年から少しずつ機器更新が始まり、2017年から本格的に更新が始まり、2019年には、一部の車両に車内の更新が施され、2023年にも1恥部車両が車内をリニュアールするなど、編成によって車内が異なるという混沌としたことになっている。どうしてこうなった。

3500系

 さて、そろそろ出発だ。乗客は手で数えられる程の人数である。
6:07 西枇杷島に到着。
 かつては細長いホームがあり、ファンの中でも有名な駅であった。私もその時に何度か下りたことがあったが、狭くて本当に危ないし、怖いなと感じた覚えがある。改札の近くに係員が配置されていた程である。現在は改良工事がなされ、ホームが広くなっており、係員が不在になった。
6:14 名鉄名古屋に到着。
 乗客がごっそり下りて行った。流石は都会である。平日というのもあると思うけど。
6:25 神宮前に到着。
 ここで乗務員交代。ここから名古屋本線と別れて常滑線に入る。
6:30 道徳に到着。
 学校の教科にあったのを思い出した。僕が小学校6年生の時に道徳の授業が当時の国の政策でなくなったのはびっくりした思い出がある。心のノートという道徳の教科書もあった気がする。まだあるのかな。
6:32 大江に到着。
 ここから東名古屋港までの一区間、築港線が伸びており、線路と線路が十字に交わるダイヤモンドクロッシングという、全国的にも珍しいものがあり、ファンの間では有名な路線である。朝と夕方の通勤ラッシュしか運行されないため少しハードルの高い路線であるが乗ってみたい。
6:44 太田川に到着。
 この駅で常滑線と別れて河和線に入る。そして、ここまで普通出来たがこの駅から急行に変わる。
7:01 知多半田に到着。
 ここから再び普通に戻る。童話・「ごんぎつね」の作者、新見南吉の出身地である。
7:05 青山に到着。
 ここで朝日が昇ってきた。これを拝めるのも今年もあとわずかである。
7:19 河和口に到着。
 ここから単線区間となる。海沿いを走っているのでとても寒い。
7:25 終点・河和に到着。
 長かったし、寒かった・・・。もうこれでこの男には冬の早朝から普通電車に乗るというのはしばらく控えてもらいたい。

河和駅

 さて、目的地に着いたので駅前を歩いてみよう。・・・と言っても以前にもここを訪れているのでまずは一度訪れた場所に行ってみよう。
 そのために、まずは歩こう。駅から歩いて5分程のところに、神社がある。天神社である。○○天神神社というのはよく耳にするのだが、シンプルな天神社は聞いたことがない。天神社に着くと、そこまで大きい本殿ではないが、どこか趣のある佇まいである。由緒書きを見ると、成立は中世だという。さらに古くは境内から東は海だったという。(今は住宅街となっている。)天正のはじめ、当時の領主戸田孫八郎が河和城を築城すると共に社殿を寄進。福徳、豊作、医薬、結縁、知恵の霊験あらたかな二芯を奉斎した・・・という。そんな由緒ある天神社にお参りしていこう。この旅が安全に終わりますように。仕事が上手くいきますように。そんなことを祈った。

天神社


 その後、猿田彦神社など、小さな拝殿が本殿の周りにあったので参拝し、ふと道の脇を見ると銅像が。よく見るとその銅像の人物は乃木希典だった。
 乃木希典は明治時代の日本の陸軍の軍人で、日露戦争の激戦・旅順攻囲戦を指揮し、勝利するなど数々の戦果を上げた他、東京にある乃木坂の由来になった人でもある。乃木希典自身も知多地域にゆかりのある人物のようである。

乃木希典像

 さて、その銅像のもとにあった護国神社に参詣し、神社を後にした私は河和港へ足を進めた。以前ここに訪問した時は、台風が日本付近に接近していたため(なぜそんな時に訪問したのか、今思うと自分に疑問に思うが)、船が欠航したりしていたので船に乗ることが出来なかったが、今日は晴天でいい天気なのでこの旅で初めて船に乗って島に行こうと思い、きっぷを購入し乗船。

乗船する船「しらさぎ」

  そして、僕が降りたったのは・・・日間賀島。
三河湾に浮かぶ人口1900人ほどが住む小さな島で、タコとフグが有名である。

日間賀島東港

 東港に降りた僕は鯖大師へ。弘法大師が鯖を持っていて、全国的に珍しいものである。なんかかわいい。日間賀島特有のものだなと感じた。

鯖大師

 さて、少し移動するとまたお寺が。大光院。知多四国霊場八十八ケ所の37番目の霊場となっている。この知多四国霊場八十八ケ所巡りは、端的に言えば四国地方にあるお遍路巡りと同じものである。ここで旅の無事と来年の安泰を祈念した。いつかはお遍路巡りをしてみたいものだ。

大光院

さて、大光陰を後にして日間賀島に別れを告げ、河和港に到着。(この間の島の滞在時間は30分程・・・もっといればよかった・・・)高速船を出ると、かっぱの銅像が。どうやらかっぱ伝説がこの地区にあるようで、それを記念して建てられたようだ。ここ以外にも知多地域には複数のかっぱの銅像があるようで、地元の人々に愛されているのがよくわかる。
 さて、見るものも見たし、そろそろ帰るか。
 日間賀島にもう少し居ればよかったなという悔いも残っているが、それはまた次回訪れた時の楽しみに取っておこう。
 一応お土産も家族に買ったのでこれを持っていこう。
 しかし・・・、本当にあともう少し居ればよかった。でも、ここでずっと愚痴をこぼしていても仕方ないので次回の楽しみにしよう。
 さて、2024年はどこへ行こう。

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