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自分に満足していないか? 大学生日記#13

朝顔洗った後、問いかける。
「おい、自分に満足していないか?」
満足していないって顔をしていたら、タオルで顔を拭く。
満足していそうだったら、目を覚ますため両手で頬をピシャリと叩く。

人生で自分に満足したことないかと言えば、嘘になるであろう。しかし、幸いなことに結果がついてこない人生を送ってきたことから人よりは満足することは間違えなく少なかった気がする。




人間という生き物の習性

そもそも人間とは、動物界で最も大きな脳みそを備えながら考えたくない弱い生き物。考えるということはある種の不安定を示すからだ。ここでの不安定とは心理的な状態の不安定を言う。心理的な状態が安定していないと考えられないだろうと考える人がいるのもわかる。
しかし、人間が1番考えなければならない局面とは間違えなく苦境。だからこそ、考えることは不安定を示しているわけだ。

人間は、考えることを放棄したくなる。そのほうが楽だから。無駄な労力を割かなくて済むから。
最たる例だと、「朝起きて布団を畳んで顔を洗いに行く」というルーティーン。こんなところで考えていたら、1日で考えられる量の限界はすぐに迎えてしまう。
この例からもわかる通り、人間は人生を効率化するためなるべくルーティーン、つまり思考停止の状態を作っている。

それを踏まえて、満足という感情を考察していこう。

満足という感情の罠


満足とは間違えなくプラスの感情であり、一見すると感情として人生に害を与えるものではないと考える人が多いと思う。
実際、プラスの感情であり、誰もが感じたい感情であることは間違えない。
しかし、ここに少しばかりのトラップがある。
満足をしてしまうとはどういうことか。
満足するということは”現状を良しとする”ということ。
人間とは残念ながら怠惰な生き物。現状を良しとすることによって、思考を停止させてしまう。
現状維持をしようとしてしまうということだろうか。
結果、どこかでこれでいいやと思ってしまうことで、それ以上の成功を見込めなくなってしまい、また求めなくなってしまい、停滞してしまう。
だからこそ、満足という感情は危険なのである。

満足を回避するには


簡単に言ってしまえば、考え続けるという行為をし続ければ不満足を継続できるわけだが、具体的にどのように満足を回避しているのか。

複数の方法が考えられるが、心理的不安定の状態にするために外的な要因を加えることが挙げられると思う。
人間は心理的安定を目指しているため、殻に篭りやすく、内的要因にアプローチをするのは難しい
だからこそ、外的要因によって刺激を、ハテナを脳に与えることで、考えなければいけない状況、つまり心理的に不安定な状況を作り上げるのだ。

人間は弱いから自分が変わることは難しい。ならば環境を変えてしまえということだ。

環境を変える最たる例は、組織を離れることであろう。現在、部活を離れて留学をしている。それ自体、自分への刺激になっているし、サッカーを普段考えなかった面から考えるようになっている。新たな出会いによって、新しい自分の生き方を見つけられたような気もする。

また、"疑い"を持ち続けることも大事であろう。自分自身を常に疑う。
疑いを持つことによって物事を考え、常に不安定な状態を作る。疑い続けることで、これで大丈夫か?これで問題はないか?これ以上アップデートすることはできないか?など自問自答することによって変化をさせていく。常に満足しない状態を作るわけだ。

満足はいつする?


では、満足とは持てば良い感情なのだろうか。何かを完了した時、つまり自分に満足は死ぬ寸前にすべきなのである。
人生において満足することは停滞を意味するため、最期に感じれれば良い感情だと思っている。死ぬ寸前に自分の人生に満足できれば、それは良い人生を送れた証であると思うし、そう思えるような人生を送れればと思っている。



こうは言っているものの、こういう自分に酔いしれて満足してしまっているのではないかと思う。人生最後の日に満足した人生を送るためにも、常に成長していければなと思っている。

顔を洗ったらピシャリ。
よし、今日は昨日よりも、明日は今日よりも成長できるように頑張ろう。


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