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あの頃のドイツはどこへ〜最大のクライシス〜(前編) サッカーのお話#6


俺がドイツを愛し始めた頃からの軌跡


2010年のW杯で魅せられ、2012-13シーズンではドイツクラブが欧州の頂点を決める大会の決勝で対戦し、2014年にはW杯を獲った。
チームはまさしくイケイケ状態で、選手のピークになる次のEUROとW杯は相当の期待感があった。2016年のEUROはウェールズの大躍進に隠れてベスト4とまずまずの結果を残した。
そして、2018年は2010年からの8年の集大成として、連覇を狙ったはずだった。
しかし、結果はグループステージ敗退
2020年のEUROこそポルトガルを退け群雄割拠のグループを勝ち抜いたもののイングランド相手に何もできず敗戦。ここで、„Jogi“ことJoachim Löwの長期政権は幕を閉じた。
満を持して19-20シーズンにバイエルンを再び頂点に導いた俺たちの"Hansi"ことHans-Dieter Flickを招聘してW杯に向けて新陳代謝を図った。
再び、結果はグループステージ敗退
1年前の今日(11月23日)、日本に負けた雪辱を晴らすべくホームに大金を払って向かい入れたが、なすすべなく完敗。世界にドイツが弱いこと日本が強いことだけを知らしめてHansiの政権は幕を閉じた。
次のゲームこそフランスに勝ち、Hansiの代役として若き知将Nagelsmannを招聘。
初戦のアメリカにこそ勝ったものの、その後3戦は勝てず。
11月シリーズに至っては2連敗。
皮肉なことに負けた2チームは、元ドイツU-23監督でアンダー世代のEUROを獲ったStefan Kuntzが形作ったトルコと"教授"ことRalf Rangnickが率いるBundesliga連合軍のオーストリア。

俺がサッカーを見始めた頃こそ最強だったドイツも今ではお世辞にも強いとは言えない。
強いと言われたドイツはどっかに行ってしまった。「最後にドイツは勝つ」と言われていた、「勝ったものが強い」と言って数々の結果を何が何でも残してきたドイツはもうそこにはいなかった。

ドイツ人の魂


ドイツサッカーを語る上で必ず語られるであろうあの言葉、「ゲルマン魂」
※ 厳密に言うと、この表現はドイツ語にない。

このドイツ人のメンタルが近年、消えてきているように感じる。

オーストリア戦でのLeroy Sanéの愚行
恐らく従来のドイツ人だったら、したたかにプレーするはず。

日本戦でのAntonio Rüdigerのサボりや挑発ダッシュ
恐らく従来のドイツ人だったら、冷静沈着にシャットアウトしていたはず。

最近のドイツ代表
恐らく従来のドイツ人だったら何が何でも勝利をもぎ取ろうとドイツのホームユニフォームに泥が目一杯つくまでプレーするはず。

もう、昔にイメージされた「狡猾で勤勉、そして何より気難しい表情をした心の奥底でメラメラと沸る」ドイツ人はどこかへ消え去ってしまった。
そう、ゲルマン魂という外国人が作り上げた虚像は栄光と共に置き去られてしまったのだ。
サッカーというものは時代に合わせて変わっていくもので、一度トレンドに置いて行かれてしまうと低迷期を迎えてしまうことも少なくない。だからこそ、トレンドに常に敏感になり、それを自分たちなりに咀嚼した戦術をとらなければならない。
近年ではこのトレンドがまるで情報社会の象徴かのように、とてつもなく速いスピードで変化していっている。
その潮流に合わなかったのが、ドイツ人の気質だったのかもしれない。

現に、昨日観てドイツ人らしいなと思えたのは、途中出場で所属チームではメインキャストではないAndrichやベテランのMüllerくらい。そして何より、敵将のAlabaこそが1番ドイツ人らしかった。
(75分、筆者お気に入りのAndrichがシュラーガーにかましたスライディングは彼が常に準備できていることを示していて嬉しかったです。)

では、なぜあそこまで何度も敗北をしては執念深く蘇ってくるドイツ人気質が失われてしまったのだろうか。
次回のNoteでは、筆者なりの考察していきたいと考えている。

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