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自分の選んだ道はいつも正解 大学生日記#3

何度も失敗してきた。
何度も挫折を味わった。
何度も何度も何度も、何度も自分の人生をやり直したくなった。

何のために今生きているのか。
何のためにサッカーを観て、サッカーを研究するのか。
何のためにドイツ語を勉強して、何のために留学をしているのか。
そう自分に答えの無い問いを問いかけた。

不都合なことに忘れたいものこそ人間は覚えているもので、すぐにその過去を消したくなってしまう。
その過去に今の自分が押しつぶされてしまいそうになる。
その過去に執着して、みるべき自分を見失ってしまい低空飛行を続けてしまう。

残念ながら、人間は弱いもので弱みを見られたくないがために隠そうとする。
自分の責任であることがわかっていながら、責任逃れをしようとする。
現状に満足しないからこそ、現実逃避をしてしまい過去の栄光に縋りつく。

全ては過去の話。所詮変えようと思っても変えられないもの。
不可能なもの

変えられないものなのにもかかわらず、それに絶望してしまう。
変えられないものなのにもかかわらず、それに後悔してしまう。
変えられないものなのにもかかわらず、その選択を責めてしまう。

その時間は必要なのか?
その時間を他に使う気はないのか?
なぜ、自分を否定するのか。

俺自身、自己肯定感とやらが高い人間だとは思ったことがない
だけど、今まで取り組んできたことが無駄と思ったことはこれっぽっちもない

例えば、俺は人生で3度受験に失敗した。
紛れもない事実。絶対に替えることのできない不変の事実。
だから何だ。そんなものに何故、固執するのか。
大学で過ごす4年間の方がよっぽど大事なんじゃないのか。

俺はサッカー素人同然だ。プロになれなかった下手の横好きもいいとこ。
それは紛れもない事実。絶対に替えることができない不変の事実。
だから、プロレベルの選手の前でアドバイスを控える??
失敗してでもその選手から学ぶことが大事なのではないか。

所詮、自分の実力はその程度だったということ。
なぜ自分を受け入れないのか。
なぜ現状打破をするという発想にならないのか。

自分を肯定するわけではないけど、今まで自分が歩んできた軌跡は正解であると思っている。
というか、正解にしていくしかないと思っている。
「あの時に、ああだったから自分がこうなってしまった。」とマイナスに捉えるのではなく、「あの時のおかげで、今の自分がある。」くらいに捉えればいい。
俺は受験に失敗したおかげで、サッカーの世界に飛び込もうと思えたし、ドイツ語を勉強している。将来の夢、サッカーの夢を追い求めることに成功している。
マイナスに捉えて停滞することに何の意味がある?

それに多いのは挑戦しないこと。
挑戦しようとして失敗したらどうしようとかリスクばかり考える
それはやらない言い訳にしか聞こえない。
「やってみたい」は所詮その程度だということ。
それでも、言い訳を繰り返す。いつまで5歳児みたいな言い訳してるんだよと。
「やってみたい」なら、やってみればいい。失敗したって何とかなる。何とかならないのは努力をしていない証拠
しかも、そんな奴に限って失敗を失敗として終わらせる
そこにある原因から学べることを学んだら、必ず将来に活きてくるはず。
失敗があるからこそ、将来の自分は形成される。

俺なんて人生失敗続き。
まあ、まだ何も成し遂げていないような奴が言うのに説得力があるとは思えないかもしれないが、今までたどってきた軌跡は紛れもなく正解だと信じている。
遠回りしているかもしれないが、確実に将来の夢に近づいていると信じている。
誰が何と言おうと、俺は全てを正解にしてやるよ。それくらいの気概で、明日も頑張ろうって思う。

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